【インタビュー】AKI、「EVERY .LIVE」で開拓したライブ配信の魅力「一緒に戦う仲間がいっぱい増えていく」

ポスト


ライブ配信アプリ「EVERY .LIVE」内のイベント<MUSIC ROOKIES Vol.1>で、見事優勝に輝いたAKI(ID:AKI🔥MEIS)。AKIは、ライバーとしての活動はもちろん、作曲家としてアーティストへの楽曲提供や、レコーディングエンジニアをはじめとした音楽をメインにした仕事をしながら、さらにはラジオDJも務めるなど、多岐にわたって活動している。リスナーよりも同業者のライバーが集まってくるという、ちょっと特殊な彼のライブ配信に対するこだわりや様々な想いはもちろん、音楽を始めたキッカケ、これまで音楽を続けてこれた理由、そしてこの先の目標など、AKIのバイオグラフィーを紐解きながら、いろいろな話を聞いた。

◆AKI🔥MEIS 写真

   ◆   ◆   ◆

──AKIさんがライバーとしての活動を始めたキッカケを教えてください。

AKI:僕はもともとバンドをやっていて、3年半ぐらい前から某有名アプリケーションでライバーを始めたんですけど、それはバンドの告知のためにやっていて。バンドが解散してからは、僕は作曲家や楽曲提供の方向に進んだんですけど、去年の12月ぐらいですかね。EVERY .LIVEで、もう一度やれることをやってみようかなって。今っていろいろなライブ配信のアプリケーションが出ていますけど、納得いかないことが多かったんですよ。

──納得いかないこと?

AKI:ライブ配信って要は投げ銭なので、たとえば、プライズを取りたいと思っていくら頑張っても、ひとりのお金持ちが大金をボンと投げたら終わっちゃう世界線なんですよね。それを変えたいなと思ったんです。ライブ配信を楽しんでやっている人間が報われる世界線にしたいなと思ったので、まだローンチ段階だったEVERY .LIVEだったら、もしかしたらそれができるんじゃないかなって。そう思って、今は頑張っている途中ですね。

──そもそもの話ですが、バンドの告知をするにあたって、ライバーとしての活動をすぐにやってみようと思いました?

AKI:最初はすごく抵抗がありました。どうやっていいのかわからなかったですし、ひとまずやってみたのはいいけど、なかなかうまくいかなかったですね。

──特に難しさを感じたところというと?

AKI:お金に対するプレッシャーですね。バンドをやっていたときは、ライブに来ていただいて音楽を提供したり、CDを販売したりしたことの対価としてお金をいただいたんですけど、それがライブ配信になると、自分としてはみなさんとただ楽しく会話しているだけなのに、そこに対してお金が動く。たとえば、(イベントで入賞すると)アプリケーションのバナーに載れるという、ただそれだけのために巨額のお金が動いて、しかもそれだけのお金を出していただいても、他に争っている人達がたくさんいるので、入賞できるかどうかもわからないし、すべて水泡に帰してしまうかもしれないという。それがすごくプレッシャーでしたし、苦痛で仕方がなくて(苦笑)。絶対に入賞しなきゃいけない、でもみんなにお金を払ってもらわなきゃいけないっていう。

──そういう部分はご自身の中でどう折り合いをつけたんですか?

AKI:EVERY .LIVEに来てから、だいぶその辺りは変わりました。自分自身としても、ライブ配信の経験を積んでいく中で、捉え方が変わってきたというか、価値観がわかったんですよね。それがモノを販売しているという価値なのか、サービスやトークを提供しているという価値なのかという。

──ああ。そもそもの価値観が違うんだと。

AKI:最初はそこがわからなくてしんどかったんですよね。でも、今その瞬間におもしろいと思えるものを提供するというところに価値を見出すことができて。だから、たった1時間、40分、もっと短い時間だったとしても、笑っていただけたり、ちゃんと内容のある配信をやろうって、今は心掛けています。なので、僕は配信時間が短いんですよ。EVERY .LIVEさん側からしたら、「いや、もうちょっとやってよ」っていう話かもしれないですけど(苦笑)。

──実際にお客さん的にはどうなんですか? 長いほうがいいのか、短いほうがいいのか。

AKI:そこはもう僕のエゴになってしまうんですけど、長い時間ダラダラ配信するぐらいなら、短く切って濃いものをやりたいっていうだけですね。その瞬間に来てくれた人達が楽しんでくれればという意識はすごく持っているし、その配信にはそれだけのお金をいただく価値があるのかどうかをストイックに見ているので。それに見合う配信ができるのであれば、もちろんしっかりやりますし、そのためのコンテンツの作り方や内容というのは、すごく重視しています。

──SNSに配信されている最中の動画をアップされていましたけど、かなりライブ感がありますよね。

AKI:EVERY .LIVEは、まだローンチしたばかりのアプリケーションなので、競合他社に比べると機能性が少ないところはあるんですよ。でも、そこを言い訳にせずに、この機能性でもこれだけの展開ができるっていうのを見せつけたかったんです(笑)。なので、ちょっと特殊な感じの加工というか、僕が突然消えたり、出てきたり、いきなり場面が切り替わったりするというのは、OBSとかシステムが組めない中で、今あるものだけを使ってどうやって楽しいライブ配信をするかというのを意識していました。

──言い訳にしないというのは、ご自身のモットーだったりされるんですか?

AKI:そうですね。自分が持っているカードを使って、今何ができるのかっていう。そうしないと、結局ないものねだりをしてるだけになっちゃうんですよね。“大富豪をジョーカーだけでやりたい”って言ってるのと同じじゃないですか(笑)。そういうのはおもしろくないから、このカードを使って、いかに最高のパフォーマンスができるのかっていうのはよく考えます。


──今回優勝されたイベントが<MUSIC ROOKIES>ということもあって、AKIさんの音楽遍歴についてもお聞きできればと思っています。そもそも音楽は小さい頃から好きだったんですか?

AKI:いや、17歳のときからですね。サッカー推薦で高校に入ったんですけど、途中でケガをしてやめてからは、典型的なグレ方をしまして(笑)。そのときに音楽に出会ったんですけど、当時はヴィジュアル系が流行っていたので、そのコピーバンドを始めたのが最初でしたね。友達とカラオケに行ったら、バンドやるけどボーカルやらない?って急に誘われたのがキッカケでした。

──となると、小さい頃はサッカー漬けだったんですか?

AKI:そうですね。それまでは音楽は聴くぐらいで、まさか自分がやるとは思ってなかったです。それで、高校を卒業したら音楽の専門学校に行きたいという話を親にしたら、ダメだと言われてしまって。そこから一旦就職したんですけど、その間もバンドはずっと続けていたんですよ。もともとは京都にいたんですけど、そこでお金を貯めて、23歳のときに名古屋の専門学校に行きました。

──なぜまた名古屋の専門学校に?

AKI:バンド活動って人脈も大事だったりするじゃないですか。京都にいたときは、横の繋がりがなかなかできないなと思って。で、当時僕の友達がGOLLBETTYというスカバンドをやっていて、メジャーデビューしたタイミングだったのかな。その繋がりから名古屋に行きました。その専門学校を卒業するぐらいの頃に、クリエイターの先生についていろいろやったり、作曲の仕事したりするようになりました。

──将来は音楽をやりたいという目標は、コピーバンドを始めた頃からあったんですか?

AKI:漠然とありましたね。自分自身が音楽に救われた部分がすごく大きくて。それこそ落ちたタイミングで救ってくれたアーティストに会ってみたいとも思いましたし、自分もそういう音楽をやってみたいなって。

──落ちていたときに救われたアーティストって?

AKI:僕、SURFACEの椎名(慶治)さんがすごく好きで。ストレートにモノを言う歌詞の書き方というか、着飾った言葉じゃなくて、不恰好なんだけどちゃんと伝わってくるところが好きで。そこはMr.Childrenさんもそうですし、音楽から思いが伝わってくるアーティストに救ってもらえたところがありますね。

──特にこの曲に救われたというのはあります?

AKI:この曲というよりは、その人達が作る音楽、その人達が歌えば成り立つような感じがあるじゃないですか。Mr.Childrenも、ある意味ひとつのジャンルだと思いますし。そういう人達の生き方に、勉強させていただいている感じがあります。でも、僕としてはまだ音楽に集中してやれているわけではなくて。音響の仕事とか、レコーディングエンジニアとか、いろんなことをしているんですけど。ただ、ここまで音楽を続けられた理由というのが、僕、大事な人を病気で亡くしていて。

──いつ頃ですか……?

AKI:僕が名古屋に出てくるタイミングで病気のことが発覚したんですけど、もう手遅れの状態で、僕も名古屋に行かざるを得ない状況で。僕もまだ若くて、お金も時間も余裕もなかったんですけど、その人は身体がしんどいのに、わざわざ名古屋まで来てくれたりしていて。でも、そんな大変な人に自分が支えてもらっている状況とか、命の重みとか、いろんなことに耐えられなくなってしまって、結局離れることになってしまったんですけど。

──そうでしたか……。

AKI:その人の“ずっと音楽を続けていってほしい”という思いもありましたし、僕としても後悔していることがいっぱいあるんですよ。そこは今だからわかることにはなってしまうんですけど。今はもうその人に直接返すことはできないので、社会貢献とかチャリティとか、そういう活動もしていきたくて。その一環で、本田美奈子.さんのリブ・フォー・ライフ(特定非営利活動法人リブ・フォー・ライフ美奈子基金)に関わらせていただいたり、骨髄ドナーの啓発ライブをしたりというのは、昔からしていましたし、そういう人達を救っていけるような大きなチャリティフェスをしたいということが、ここまで続けてきたモチベーションになっているかなと思います。

──音楽を通して自分のできることがあれば、それをやっていきたいと。

AKI:やりたいです。でも、それはどんな形でもいいとは思っているんですよね。僕は今まで音楽をやってきて、ある程度アウトプットすることができるから、それを使っているだけというか。だから、何かが伝わるのであれば、音楽だろうが、ライブ配信だろうが、書籍だろうが、形はなんでもいいかなと思ってます。

──それこそ手持ちのカードを使って、自分はどうするのかという話ですね。

AKI:そうですね。今あるものを使って、どういうふうにやっていくかという。自分の身の丈に合わないことをやっても仕方がないから、身の丈に合うことをやって、伝えていければいいなと思っています。

──AKIさんが活動していたASTLITEの曲や、ご自身が提供された曲は、AOR的なものや、メロウな雰囲気の楽曲が多いですよね。

AKI:僕の親父がDJをやってたんですよ。ディスコで曲を繋いでいた親父が、おかんをナンパで捕まえてできたのが俺なんで(笑)。だから、両親はディスコミュージックが好きだし、自分の音楽的なルーツも、Earth, Wind & FireとかKool & the Gangだったり、AORだとBobby Caldwellとか、その辺りの人達なんです。

──サッカー少年だったけど、家では音楽が常に流れていた?

AKI:鳴ってましたね。僕、生まれて初めて行ったライブがChicなんですよ。まだNile Rodgersがいらっしゃった頃だったんですけど、親に連れられて行って、わけがわからないままずっと観ていて。そういうところがルーツだから、シティポップがリバイバルしている今の時代がすごく嬉しいし、音楽をやっていても楽しいですね。

──そこは土台はありながらも、高校時代にハマったのはヴィジュアル系なんですね。

AKI:そうですね。やっていたバンドはそっちのほうだったけど、聴いていた音楽は、その当時に流行り始めたJamiroquaiとか、Brand New Heaviesとか、Incognitoだったので(笑)。別物という感じでした。

──なるほど、すっきりしました。

◆インタビュー(2)へ
この記事をポスト

この記事の関連情報