【インタビュー】ともちゃ、配信は「今でも怖いです(苦笑)」EVERY .LIVEで引き出された新たな素顔

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ライブ配信アプリ「EVERY .LIVE」にて行なわれたイベント<MUSIC ROOKIES Vol.4>で、見事優勝を獲得したともちゃ。現在、神尾朋依名義でシンガーソングライターとして活動中の彼女は、「こんな歌い方じゃロックは歌えない」という音楽好きの母親から一言でボイストレーニングに通い始め、14歳からバンド活動をスタート。現在は地元の北海道から動画サイトに自作曲をアップしつつ、明るく、ハイテンションなライヴ配信を行なっている。しかし、実は今でも配信するのが怖いと話す彼女。そんなともちゃの素顔について、リモートインタビューでじっくりと聞いた。

◆ともちゃ 写真

   ◆   ◆   ◆

──ともちゃさんがライバーとしての活動を始めたキッカケというと?

ともちゃ:元々は、私が通っているボイストレーニングのスクール生の中に、すごく好きな方がいて。女優業とかリポーター業をやられている佐藤かなんさんという方なんですけど、別のアプリで配信をされていて、その方を応援したくて始めたんです。何をどう応援したらその子が一番喜ぶのか、一度やってみないとやっぱりわからないなと思って。

──最初は、自分で何かを発信しようという感じでもなかったんですね。

ともちゃ:はい。とりあえず3ヶ月ぐらいやってみたら、やっている側の気持ちもわかるんじゃないかなと思って。そこから始めてみたんですけど、やっぱり大きなお金がバンバン飛ぶように動くので、すごい世界に入ってしまった……と驚いてしまって。そこから3ヶ月経った頃には、「毎日楽しみにしてるね」と言ってくださる方が何人もいて、やめられなくなってしまったというか(笑)。こんな私でいいのであれば……という感じで続けてきました。


──見る側から配信する側に変わったことで、気持ちの変化みたいなものはありました?

ともちゃ:そこは昔からあまり変わっていなくて。女の子ライバーさんが困っていたりしたら、助けてあげたいなって。今はライバーの気持ちもわかるので、困っているという相談が来たら、その枠に行って、できるだけいろいろサポートしたいなって思っています。

──そういうことができるのはシンプルにすごいなと思います。困っているなら助けてあげたいと思うだけじゃなく、そこで実際に動けることってなかなかできないことですし。

ともちゃ:私、小さい頃から共感力が強いんですよ。人にすごく共感してしまって、ちょっと涙もろかったり、ちょっとした目の動きとかで、その人が困っていたりするのがわかってしまうというか。それもあってこういう性格になっちゃったのかなと思います。

──ともちゃさんはシンガーソングライターとして活動されているのもあって、何かを作る上で共感力が役に立つことは多かったりします?

ともちゃ:多いと思います。やっぱり自分の経験だけで曲は書けないし、人の曲をどういうふうに受け取るかというのも、その受け取り方は何百通りでもあるので。共感力とか、イメージできる力みたいなものは、持っていてよかったなと思います。煩わしいこともいっぱいあるんですけど(苦笑)。

──確かに、共感しすぎてしまって、自分の意見を言うのをためらってしまう場面もあるでしょうし。

ともちゃ:そういうことばっかりです(笑)。でも、ライバーを始めてからは、自分の思っていることを言えるようになってきていて。黙っていても配信が進まないので、なんとかいろいろしゃべれるようになりましたけど、普段の生活とか、画面の前以外でしゃべることはあまりないですね。

──ともちゃさんは普段はテンション高めの配信をされていますけど、オンとオフはかなり差があるんですね。

ともちゃ:かなりあります(笑)。真逆というか、元々は静かなタイプです。

──そういうタイプなのもあって、ライヴ配信を始めたばかりの頃は、怖さみたいなものがあったりしませんでした?

ともちゃ:今でも怖いです(苦笑)。いつも配信ボタンを押す1時間前から、画面の前で声出しをするんですけど、それでもボタンを押せない日もあります。怖くて緊張しちゃって。やっぱり心から笑って配信を届けたいんですよね。来てくださっているリスナーさんの中には、わざわざ時間を割いてくださっている方もいると思うので、そのためにも、もし自分が心から笑えないようだったら、配信しないほうがいいと思っています。

──今日はシンガーソングライターとしての活動についてもお聞きしたいんですが、プロフィールに「北海道在住、元バンドマン」と書かれていて。元々バンドをやられていたんですね。

ともちゃ:バンドは14歳のときからやっていました。その後に東京で就職したんですけど、そのときもやっていて。

──就職されたのは、音楽関係の仕事とか。

ともちゃ:いえ、建築系の設計のお仕事をしていて。バンドをやるために、土日祝日が絶対お休みのところを選びました。

──そこは何があっても働かないぞと(笑)。

ともちゃ:はい(笑)。ライヴが入っていたら金曜日の夜は残業できないし、自由が利くというのが、仕事を選ぶ上で最重要でした。

──東京でバンドはどれぐらいやられていたんですか?

ともちゃ:5年ぐらいやっていたんですけど、母の死をきっかけに、北海道に帰ってきたんです。四十九日とかの頃は東京と北海道を行き来していたんですけど、その辺りで声が出なくなっちゃったんですよね。

──えっ……?

ともちゃ:心理的なものらしいんですけど、私はしゃべっているつもりだけど声が出ていなかったんです。それは1ヶ月ぐらいで治ったんですけど、仕事も筆談しないといけなくなってしまったし、声が出ないのでバンドもできなくなってしまって。それまで音楽も日常的に聴いていたけど、拒絶反応というか、聴けなくなってしまって、何もかも失った状態になってしまったんですよね。それで、親戚がいる北海道のほうがなにかと不自由しないから、こっちに戻ってきたんですけど、そこからも5年間ぐらい引きこもっていました。

──そうでしたか……。そこからまた気持ちが上向いていく瞬間やきっかけはあったんですか?

ともちゃ:これがキッカケだというのは嫌なんですが、コロナが始まった頃に、いろんな有名人の方が亡くなられたニュースが続いたじゃないですか。それを見ていて、今の私は生きているって言えるんだろうかと思ったんです。ほとんど誰とも会わずに、しゃべらずに、何もしないでいることってどうなんだろう……って悩み始めて。だから、何かひとつだけ、自分の好きなことだけでもいいから始めてみようと思って、今通っているボイストレーニング教室の門を叩いたのが、引きこもりからの出口だった気がします。

──スクールの門を叩いたのはかなり勇気いりましたよね。

ともちゃ:すごく勇気がいりました。もう汗だくで、がくがく震えながら行って、声の出し方を1から教えてくださいって。そのスクールの先生が、強いストレスがかかったりとか、あまりにも大事な人を急に亡くしたりして、声が出なくなってしまった例を何件も知っている方だったんですよ。それですんなり声を出せるようになっていって。そこからバンドでオリジナル曲をやっていたんですという話をしたら、「聴かせてください」ということになって。「こんなにいい曲持っているなら形にしないともったいないです!」と言われて、今は曲を形にして、YouTubeにあげるようになりました。

──じゃあ、この2年間で人生がまた一気に動き始めた、と。

ともちゃ:変わりましたね(笑)。

──そうだったんですね……。わかりました。では、バンドを始める前、ともちゃさんが最初に音楽を好きになったきっかけというと?

ともちゃ:やっぱり母の影響が一番大きいですね。母が音楽をすごく聴く人だったので、私としても、生まれた頃から音楽を聴くのも歌うのも、すごく当たり前のことでした。本気で音楽をやり始めたのは、9歳のときに、ヤマハのボイストレーニングスクールに通い始めたときですね。そこで歌い始めて、ごくごく普通に好きになったという感じでした。


──どんな音楽をよく聴いてました?

ともちゃ:なんでも聴いてました(笑)。洋楽も聴きましたし、演歌も聴きますし、歌いますし。大きく影響を受けたのは、YUIさんとかチャットモンチーとかですね。

──スクールには自分から通いたいと言い出したんですか?

ともちゃ:そのときは、私のしゃべり方がこういう感じなのもあって、唱歌みたいな歌い方だったんですよね。でも、母親が「こんな歌い方じゃロックは歌えない」って。「ボイトレに通って、今のうちに自分の声をしっかり作りなさい」って言われて(笑)。

──9歳から「そんな声じゃロックは歌えない」って、お母さんの発想めちゃくちゃかっこいいですね。

ともちゃ:ちょっと変わった人でした(笑)。

──小さい頃から、ゆくゆくは音楽の世界で生きていきたいと考えていたんですか?

ともちゃ:いや、まったく考えていなかったです(笑)。バンドに入ったのは、お兄ちゃんがきっかけだったんです。「ウチの妹はめちゃめちゃ歌がうまいから」って周りに言っていて、そこからお兄ちゃんのお友達の紹介で、30歳ぐらいの人たちのバンドにポツンとひとりで入ることになったんですよ(笑)。それが12歳ぐらい頃で、スタジオに入るようになって、14歳からライヴ活動を始めたんですけど、周りはみんなおじさんばっかりというか(苦笑)。

──14歳にしてみたら、その歳の人は確かにおじさんですね(笑)。

ともちゃ:そうなんですよね。だから、バンドに入ったのは兄からのプッシュだったので、自分からやりたい!と言って始めたわけでは決してないんですよ。大人になってからも、土日だけの活動で、ライヴは月に一本という形だったので、音楽でご飯を食べていこうというのは、一回も考えたことなかったです。

──ちなみに、12歳のときに、年上の方々とスタジオに入ったときはどんな曲をやっていたんですか?

ともちゃ:そのときはSHAKALABBITSのコピーでした。当時、女の子がボーカルのバンドって、その辺りが盛り上がっていたのか、たまたまその人たちが好きだったのかはよくわかっていなかったんですけど、そこからパンキッシュな歌を歌うようになりました。

──「こんな歌い方じゃロックは歌えない」という教育を受けていただけあって、ロックというジャンルは好きではあるんですね。

ともちゃ:好きです。やっぱり生のドラムで歌いたいという気持ちはすごくありますね。最近はDTMで作ったりする人も多いですけど、やっぱりみんなでスタジオに入って、一緒に合わせていきながら音楽を作りたいという気持ちは、今でも若干あります。

──オリジナル曲を作り出したのはいつ頃だったんですか?

ともちゃ:私の歌というのは……女の子ってなんでも歌にするじゃないですか。「なになにちゃんあそぼー!」みたいな。そういうものの延長なんですよ。だから、いつから作り出したのかわからないんですよね(苦笑)。コードとかをちゃんと付けたのは、それこそ9歳の頃だったんですけど。


──楽器も小さい頃からやられていたんですか?

ともちゃ:歌と同時にピアノも始めていました。その頃から自分でなんとなく曲を作るようになって、歌詞を書くようになって。

──14歳のときに始めたバンドでは、ともちゃさんの曲をやっていたんですか?

ともちゃ:その頃はギターの人がほとんど作ってました。バッキング的な音とかギターリフをその人が持ってきて、メロディと歌詞は私が書いて……そうなると私も作ってますよね……?

──それは作ってますね(笑)。

ともちゃ:ですよね!? ギターの人がほとんどって言いましたけど、思い出してみたら作ってました(笑)。

──(笑)。この取材の時点では、YouTubeに「砂時計」「B♭」「原色の頃」というオリジナル楽曲アップされていますね。その中の「B♭」に〈あたしが奏でたいのはきっと 57オクターブ下の B♭から始まる音〉という歌詞があって。“57オクターブ下のB♭”って、ブラックホールから出ている音波のことですよね?

ともちゃ:そうです、そうです。

──おもしろいワードを持ってきているなと思いましたし、この一節にともちゃさんのやりたい音楽が詰まっているのかなと思ったんですが。

ともちゃ:本当にその通りです。なんていうか、たくさんの人が好きと言ってくれる、いわゆる王道な楽曲ってあるじゃないですか。私も何曲かそういう曲を作ってきたんですけど、それよりもちょっと変わっている音楽を作りたくて。一瞬聴いただけだとちょっと意味がわからないけど、よくよく聴いたらわかる、みたいな。そういう個性的な曲を作って行きたいんですよね。なんていうか、誰にでも刺さらなくていいというか、刺さる人にだけ刺さればいいなって。

──なぜまたそういう発想になったんです?

ともちゃ:なんででしょうね……私、曲も声も、昔から個性的って言われるんですけど、その個性っていうのが自分では全然わからないんですよ。曲が普通のコード進行になっていないのは、自分にあまり知識がないからだし、声も自分では変えられないじゃないですか。

──自分が持って生まれたものを大事にしたい、と。

ともちゃ:そうです。こういう声を好きって言ってくれる人にだけ刺さればいいかなって。とにかく万人受けを狙っていくとか、そういうのはしたくないなと思っています。

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