ジョー・リン・ターナー「フォリナーとバッド・カンパニーからも興味を持たれた」
ディープ・パープルやレインボー、イングヴェイ・マルムスティーンのライジング・フォースなどで活躍してきたシンガーのジョー・リン・ターナーは、ディープ・パープルに参加する直前、フォリナーとバッド・カンパニーからも興味を持たれていたという。
彼は『80’s Glam Metalcast』のインタビューで、「(ティープ・パープルの)他にも2本電話があった。1本はフォリナーからで、もう1本はバッド・カンパニーからだ。ブライアン・ハウが加入する前だよ。全て、同じ月の話だった。当時の俺は絶好調だった」と話した。
「フォリナーとはリハーサルしたが、それを知ったルー(・グラム)が“戻る”って言ったから、上手く行かなかった。彼ら、問題を解決したんだ。それで、俺はミック・ジョーンズのソロ・アルバムで歌うことになった。それに、彼がプロデュースしたビリー・ジョエルのアルバム(『Storm Front』/1989年)でもね」
「バッド・カンパニーについては、簡潔に話すと、フォリナーのベーシストだったリック・ウィルスから“バッド・カンパニーが興味を示してる”って言われ、仲介する人と話したんだけど、ディープ・パープルからオファーがあって……。彼らは俺がガキのとき1番好きなバンドだった。だから、俺は有頂天だったよ。こういう結果で良かったと思ってる。ブライアン・ハウはバッド・カンパニーで素晴らしい働きをした。俺は、ディープ・パープルとアルバムが作れて本当に楽しかった。彼らが(イアン・)ギランとよりを戻す前、俺ら、もう1枚アルバムを作るはずだったんだ」
ターナーはイアン・ギラン不在時の1989~1992年にディープ・パープルに在籍し、アルバム『Slaves And Masters』(1990年)を制作した。リッチー・ブラックモアは以前、同アルバムはお気に入りの1作で、ターナーはロックの殿堂入りすべきだと話していた。
Ako Suzuki
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