【インタビュー】MR.BIG、18枚組ライブCDリリース「ライブをやるために生きていて、生きるためにライブをやっているんだ」
■MR.BIGは日本のファンと非常に良い関係を築いているので
■他の国のファンはヤキモチを焼いていると思う。(笑)
――このCD18枚組を制作するにあたってすべての音源を聴き直してみての感想を教えてください。
ビリー・シーン:まあ、どのショウでも同じ曲をプレイしているけれども、毎回、演奏は少しずつ違っているよ。MR.BIGではいつも即興的な手法を取ってきたので、活き活きとした演奏をすることが出来るのさ。同じコードや歌詞であっても、毎回何か違うものを入れているので、それぞれショウごとに異なるものが聴けるから面白いと思う。例えば、ワイルドにプレイしているライブもあれば、ちょっと控えめにプレイしているライブもあったり、レコードと同じようにプレイしている時もあれば、またレコードとは全く違うようにプレイしている時もあったりするのさ。だから、それぞれの夜の曲ごとに、曲に対するアプローチが微妙に違ったり、あるいは明らかに違ったりするので、聴いていて興味深いと思う。若い頃にクラブでコピー・バンドをやっていた時、僕は週7日間毎晩同じセットで3~4回演奏していたので、来る日も来る日も何度も何度も同じ曲をプレイしていたから、例えば、ちょっと曲のエンディングを変えたり、もっとハーモニーを加えたりというように、即興的なものを交えてプレイするようになり始めたんだ。で、そういった即興的なアイディアがMR.BIGの1部となり、僕らはちょっと実験的な試みをするようになったのさ。だから、このボックス・セットに収録されているものを聴くことが出来るのは、僕らにとってもいいことなんだよ。というのも、演奏中は、自分達がどんなプレイをしているかあまり注意を払ったりしないから、レコーディングされたものを後から聴いて、例えばポールがギター・パートを変えていたとか、エリックがちょっと違うメロディを歌っていたとか、パットが別のドラム・ソロをやっていたとか、初めて気が付くことがあるんでね。そういうのはいつもとても嬉しい驚きなのさ。数年前にデモや初期の音源を収録したボックス・セットを制作したんだけど、その時もそれらを聴き返してみたら、驚きの連続だったな。先週、リッチー・コッツェンと話をした際に、彼は自分がMR.BIGに在籍していた頃の「30 Days In The Hole」のヴァージョンを見付けて聴いてみたら、その曲は修正も全くしていないし、何もいじったりせずに全てライブでレコーディングされたんだけれども、まさに完璧な演奏だったと言っていたよ。誰かがクラブでカセットか何かに録音した音源だったにもかかわらず、ヴォーカルは驚くほど素晴らしかったし、ギターもベースも最高だったそうだ。おかしなことに、プレイしていると、時々、思っているのとは正反対の反応が返って来ることがあるんだよ。例えば、自分達としてはこのライブのプレイは最高に出来がよかったと思っていても、人々にどうだったか訊いてみると「まあまあ良かったんじゃない」というような返事が返ってきたり、逆に自分達としては最悪のライブだったと思っていても、「これまで観た中で最高のショウだった」といった反応が返ってきたりすることがあるのさ。どうしてそういうことになるのか分からないけれど、面白い現象だよね。これはどんなバンドでも経験があることだと思う。というように、ライブの最中は演奏に集中しているので、何かマジカルな瞬間があったとしても、時々自分達では気付かないことがあるものなんだ。だから、特に何年も後になって、自分達の演奏を聴き返してみるのは非常に興味深いことなんだよ。
――印象に残っている公演はありますか?
ビリー・シーン:あの時はたくさんショウをやったので、その中から1つだけ選ぶのは難しいな。(笑) というのも、僕はその時の気分で好きなものが変わったりするから、きっとこのボックス・セットを聴いているうちにそれぞれのショウの印象が変わると思うんでね。それに第一まだボックス・セットを受け取っていないので、聴いていないけれども(笑)、入手したら、車を運転している時にでも聴いてみようと思っているよ。あの時のことを再び追体験してみるのは興味深いことだと思うし、楽しい経験になると思う。
――この頃のパット・トーピーの状態はどのようなものだったのでしょうか。印象に残っているパットさんのエピソードなどを教えていただけますでしょうか。ビリー・シーン:あのジャパン・ツアーの後、パットはナッシュヴィルの僕の家に来たことがあったよ。パット・トーピーに敬意を表して、ナッシュヴィルで特別な催しを行なったんでね。そんなわけで、彼はナッシュヴィルに来て、僕の家に泊まったのさ。で、その催しでは色々なドラマーがパット・トーピーの曲をプレイし、最後に彼も登場したんだけど、とても感動的だったな。悲しいことに、多分僕がパットに会ったのはその時が最後だったと思う。その際にパットのインタビューをビデオに収録したので、ファンが入手出来るように、目下その編集作業に取り組んでいるところだ。多分、そのインタビューはまだ誰も見たことがないんじゃないかな。それより前に、ヨーロッパ・ツアーを行なったんだけど、その最中にどこかの楽屋でパットが僕に「もうこれ以上続けるのは無理だと思う」と言ったのを覚えているよ。見るからに彼は疲れ果てていたので、ステージに上がる時には、彼が滑ったり転んだりしないように、僕がすぐ後ろにいるようにしたんだ。歩くのもままならなかったんでね。だから、彼がもう家に帰った方がいいという段階に来ていることが分ったので、僕は彼に言ったのさ。「もしやりたくないなら、気にしなくてもいいよ。誰かのためにやる必要なんてないのさ。君のためにやっているんだから、もし君が疲れて辛くなってきたら、いつでもやめればいい」って。で、ショウを終えて、パットを家に帰したんだ。彼はツアーをするのはもう無理だと分っていたのさ。というのも、たとえドラムをプレイしなかったとしても、ツアーに同行するのは大変な労力がいるからね。パットは強くて正義感があり、とてもいい奴だったので、出来る限りベストを尽くしていたけれども、その時点でもうこれ以上は先に進めないと分っていたんだ。その後も彼とは密に連絡を取り合っていて、さっきも言ったように、パットはナッシュヴィルで行なわれたドラマーのトリビュートを見に来たんだよ。で、その後しばらくして、ちょうどSONS OF APOLLOと一緒にツアーをやり始めた頃、マネージャーのティムからホテルに電話がかかってきて、彼が亡くなったことを知ったんだ。僕らみんなにとって本当に辛いことだった。大勢のファン、特に日本のファンがパットへの思いを綴ったメールを山ほど送ってくれて、とても心を打たれたね。パットは偉大な男だったよ。
――私は2017年9月26日 東京 日本武道館に観に行きました。ファンはパットの姿に涙を流していました。ファンからの反応をどのように感じていましたか。
ビリー・シーン:ああ、バンドのメンバー全員にとっても、涙を流さないようにするのは難しかったな。というのも、あれは8000~9000人の親友が武道館に一堂に会した瞬間だったと言えるんでね。その時のビデオを見せてもらったけれど、本当に物凄く感動的だった。そしてこれもまた、日本の友達であるファンが僕らにとって大きな意味を持つ理由の1つなんだよ。MR.BIGは日本のファンと非常に良い関係を築いているので、他の国のファンはヤキモチを焼いていると思う(笑)。もちろん、僕らは世界中のファンを愛しているけれども、みんな心の中で知っているのさ。MR.BIGは日本の友達と非常に特別な繋がりを持っているって。そして、その繋がりをとても嬉しく思っているんだよ。
――コンサートは重苦しいものにならず、みなさんが非常に楽しそうにパフォーマンスされていたのが印象的です。みなさんの心持ちはどのようなものでしたか?
ビリー・シーン:僕らは演奏することが大好きだから、ステージに上がれば、世の中の悩みとか、人生のトラブルとか、何か問題があっても全てが消えてしまい、プレイするのが楽しくて仕方がないんだ。特にMR.BIGでは、良い音で良い演奏をしたり、笑ったり、ファンと一緒に信じられないほど素晴らしい経験をしたりして、最高に陽気で楽しい時間をステージの上で過ごしてきたよ。そんな風に演奏するのはとても楽しいことなのさ。大好きな友達と一緒にバンドを組んでステージに立ち、みんなで素晴らしい演奏をして、オーディエンスも一緒に盛り上がってくれるなんて、そんな興奮することは他にはないね。これほどの喜びを与えてくれるものは世界のどこにもないんだよ。これまでで最高のものだ。だからこそ、僕は生きてきたんだ。つまり、僕はライブをやるために生きていて、生きるためにライブをやっているんだよ。そして、ライブでプレイすることは、僕にとって最高のことであり、僕の全てだということは本当なのさ。だから、MR.BIGと共に過ごし、最高のライブ演奏を行なったことは、最も楽しいことであり、素晴らしい思い出がたくさんあるんだよ。だからこそ、パットがいないとライブをやるのが難しいのさ。パットが亡くなった後も、ショウを行なったけれども、それは既にブッキングされていて、多くのファンがチケットを買っていたからだ。マットは素晴らしいドラマーで、良い仕事をしてくれたけれど、だからと言って、パットがいなくてもいいというわけじゃない。彼がいないと、どうにもしっくりこなかったんだ。今後、僕らがまた一緒にプレイすることになるかどうかは分からないな。まあ、もしかしたらやるかもしれないね。僕としてはそうなって欲しいと望んでいるけれども、僕らはパットがいなくて本当に寂しいのさ。多くのバンドは、たとえ誰かを失ったり、メンバーが変わったりしてもそのまま活動を続けているけれども、僕らの場合は、どういうわけか、ちょっと違っていて、僕、エリック、ポール、パットの4人が揃って、初めてMR.BIGとして機能するんだ。そうでなければならないのさ。まあ、もしかしたら、また一緒にやることになるかもしれないけれども、目下のところ、想像し難いな。さっきも言ったように、パットがいない状態でショウをやったけれども、ステージの上を見回してみると、以前と同じじゃなかったことをよく覚えているよ。旅をしていても、楽屋やホテルにいても、彼がいないと、誰かが欠けているという思いが四六時中付き纏って、適応するのがなかなか難しかったんだ。まあ、何年か経てば、そのことはあまり問題ではなくなるかもしれないけれどね。でも、たとえパットがドラムを叩けない状況だったとしても、その場にいて欲しいと思っていたので、彼がいない状態でショウをやるのは難しかったよ。
――ライブCDについてなのですが、10月29日・仙台サンプラザホールでの「Addicted To That Rush」のあなたと観客とのコール&レスポンスは楽しかった。
ビリー・シーン:うーん、申し訳ないけど、そのコール&レスポンスについては、もう1度聴き返してみないと、思い出せないな。(笑) だけど、仙台は常に僕らにとって特別な街なんだよ。というのも、MR.BIGの初期の頃に、仙台の人々は自分達の街でMR.BIGにプレイしてもらいたいと思い、嘆願書を作ってくれたからだ。確か3万人の署名が集まったと思う。で、会場の収容人数はたった2~3千人だったので、もちろん、ソールドアウトになり、ショウが終わった後、入場出来なかった人々が通りにいて、僕らは窓から手を振り、それから外に出て、本当に長い間みんなにサインしたのを覚えているよ。それ以来、仙台はMR.BIGにとって非常に特別な街になったのさ。仙台は美しくて趣のある小さな街で、人々もとても親切だし、食べ物も美味しいよね。それだからこそ、あの地震が起こった時、仙台が非常に大きな被害を受け、空港まで津波が押し寄せたと最初にニュースで聞き、物凄く心配したのさ。そんなわけで、地震の直後に来日した理由の1つは、日本に行って友人やファンと一緒にいなければならないと思ったからだ。
――“ここの演奏、実はこうなんだよ”というようなリスナーが気付きにくいポイントなどを教えていただければうれしいです。
ビリー・シーン:このボックス・セットにはCDが18枚も入っているから、音楽がぎっしり詰まっているので、そこにはクールな瞬間が山ほど埋まっているのさ。例えば、僕は毎晩ベース・ソロをやっていたしね。まあ、それらのソロはいささか似通っているとはいうものの、全く同じということではなく、長めのものもあれば、短めのものもあり、時々何か違うものを入れたりしていたよ。それはポールのギター・ソロにも言えることだ。実のところ、毎回常に何かしらちょっと違っていたのさ。レコード会社がこのボックス・セットを纏め上げている際、僕は仕事をたくさん抱えていたので、時間の関係上、各曲を1分1秒逃さずに聴くことが出来なかったから、このコレクションの全曲をじっくりと聴くのを楽しみにしているよ。そんなわけで、聴いた後に、多分またインタビューをしてもらえれば、この質問に答えられると思う。(笑)
―やはりMR.BIGのライブといえばこのタイトル『ロウ・ライク・スシ』ですね。皆さんはどう感じていますか?
ビリー・シーン:このタイトルは日本のために制作したMR.BIGの初のライブ・レコード『RAW LIKE SUSHI』に端を発しているんだよ。日本でのツアーが終わり、次のアルバム『LEAN INTO IT』にはまだ取り掛かっていなかったので、RUSHと一緒にアメリカをツアーしていたのさ。そうしたら、日本のレーベルから連絡があり、次のアルバム『LEAN INTO IT』の曲作りやレコーディングが出来るようになるまで、まだ何ヶ月もかかりそうなので、その間、ファンのためにライブ・アルバムを出してくれないかと言われたんだ。僕らはツアー中だったので、出来ることはあまりなかったけれども、ライブでのバンドのサウンドには自信があったから、そうすることにしたんだよ。で、僕らは低予算だったので、自分達でクルーを雇うことが出来なかったから、僕らがショウをやっている間、ブラッド・マディックスというRUSHのクルーに、サウンド・ボードを動かしてもらったんだ。彼はRUSHではモニターを担当していたけれども、腕のいいミキサーでもあったんでね。彼が言うにはマルチ・トラックではなくて、2トラックのステレオでしかレコーディング出来ないということだったので、後から音源に手を加えることが一切出来なかったから、あのレコードはあの時のライブをそのまま再現しているのさ。当時、DATというデジタル・オーディオ・テープがあったんだけど、僕らはそのDATカセット・テープを7ドル95セントで購入し、彼にショウをレコーディングしてもらったんだよ。だから、初のライブ・レコード『RAW LIKE SUSHI』にかかった経費はたった7ドル95セントだったのに、驚いたことにあのレコードは日本や韓国も含め世界中で確か35万枚売り上げたんじゃないかな。これが『RAW LIKE SUSHI』のシリーズの始まりで、その後『RAW LIKE SUSHI II』など、このタイトルがついた1連のライブ・アルバムを出すことになったのさ。今振り返って見ると、このシリーズは経費がたった7ドル95セントのCD1枚から始まったのに、最終的にはCD18枚組のボックス・セットになったなんて、とても面白いよね。
――この18枚組CDをどのようにファンに聞いてもらいたいと思いますか?
ビリー・シーン:まあ、リスナーの出身地がどこであれ、友達を誘って、日本酒やビール、あるいは赤ワインを飲みながら、腰を下ろして、このレコードをかけ、2017年に戻って、共に過ごした素晴らしい夜をもう一度追体験してもらえると嬉しいな。さっきも言ったように、僕も腰を下ろしてそれらのレコードを聴き直すのを楽しみにしているよ。というのも、あの時、僕らはパットや親愛なる日本の素晴らしいファンのみんなと一緒に、信じられないほど最高の瞬間を分かち合ったということを知っているんでね。それって本当に凄いことだと思う。僕らが知らなかったにもかかわらず、レコード会社が賢明にもライブを収録してくれて、とても喜んでいるよ。彼らにはとても感謝しているし、出来ることなら、みんながこれらのレコードにじっくりと耳を傾け、楽しんでくれるよう願っている。
――ファンへの熱いメッセージをお願いします。
ビリー・シーン:まずはみんなにどうもありがとうと言いたい。みんなのことが大好きだし、会えなくて寂しいよ。このパンデミックが起きてしまったので、長い間プレイすることが叶わないかもしれないな。2022年には多分終わるだろうと言っている人もいるけれども、どれくらい続くかは誰にも分からないよね。日本にはここのところずっと行っていないので、君達のことがとても恋しいよ。だから、いずれにせよ、バンドとのツアーか、あるいはベースのクリニックか何かで、また日本に行きたいと思っている。というのも、日本が本当に大好きなんでね。願わくは、状況が変わり、出来るだけ早く、またみんなで集まって演奏出来るようになるといいんだけれど…多分今のところは難しそうだね。本当に大変な時代だけれども、もっと重要なことには、僕は家でレコーディングをすることが出来るし、音楽を作り、インターネットで遣り取りすることが出来るんだ。それに今はすぐにビデオ通話も出来るから、僕らはそうやって繋がることが出来るんだよ。だから、一番大事なのはみんなが健康でいられること、そして健康を維持出来ることなのさ。誰にも病気になって欲しくないし、この状況下で誰のことも失いたくないんでね。願わくは、出来るだけ早くまた日本に行ってプレイしたいと思っているよ。僕の最大の喜びは、会場の照明が落ちて、日本のファンの歓声が聞こえ、またみんなのためにステージに立ってプレイ出来ることなんだ。それこそが僕の人生における最大の喜びなのさ。
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