【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vol.132「過去、現在、未来を希望でつないだ配信ライブ<フジロック’20>」

ポスト

8月21日から3日間にわたって配信された特別ライブ番組『FUJI ROCK FESTIVAL’20 LIVE ON YOUTUBE』。Foo FightersやThe Chemical Brothers、The Cure、Siaなどの豪華アーティスト映像を見ようとフジロックYouTube公式チャンネル登録数は20万人を超え、Twitterでも<フジロック>関連のワードが連日トレンドに上るなどの賑わいを見せていた。本来であれば同日程で開催されていたはずが来年に延期となり、今年は苗場に集うことなくそれぞれの場所で過ごすことになったわけだが、この配信番組があったことで<フジロック>を愛し、ライフワークにしている人たちの喪失感は和らげられたことだろう。かく言う私も視聴者の中の一人として楽しませてもらったのだが、一言でいうと「思っていた以上によかった」というのが正直な感想だ。過去への回帰、今の想い、そして未来への希望。それらすべてがギュッと詰まったもの、それが<フジロック’20>だった。


Foo Fighters


The Chemical Brothers


The Cure

この番組がこれまでの配信ライブとは一線を画した盛り上がりを見せたのには2つの要因があったように思う。第一に、<フジロック>の特徴である国内外の大物から新人アーティストまでを網羅する幅広いラインナップとその圧倒的な数の多さ、そして第二に過去に出演したアーティストたちによるパフォーマンスの素晴らしさもさることながら、配信ライブという状況を木っ端微塵に打破し、ライブ会場さながらの熱量と力強いメッセージをスクリーン越しに伝える力を持ったロックバンド、サンボマスターの撮り下ろしライブを組み入れたことが大きかった。過去に留まることなく「今」の気持ちを重ねられるサンボのライブに視聴者は希望を見出すことができたのだと思う。それ以外にも主催者からのメッセージなどの見どころが随所に鏤められていたし、過去の映像ではこれまで観たことがないアーティストの映像や、見逃したステージの一部を見られたことも新鮮でよかったし、とりわけ実際に当時現地で観た過去の映像を見て回想することがこんなにも胸を打つことになろうとは予想していなかった。そうした想いを抱かせてくれたのは日本のミュージシャンたちであることが多かったことも嬉しい驚きだった。



まず、THE HIGH-LOWS。2002年に歌われた「日曜日よりの使者」は曲前に語られた甲本ヒロトのロックへの愛とその場にいたオーディエンスすべてを肯定する優しさに満ちた稀代のMCによって、<フジロック>史上、最も号泣し、心を揺り動かされたシーンだった。初回配信では心臓が高鳴り過ぎてうまく視聴できなかったが、翌朝のリピート配信では朝の8時20分だというのにもかかわらず、当時を思い出して朝から号泣する母親に驚き顔でティッシュを差し出す息子には本当に申し訳ないと思いつつも画面から離れられなかった。次に、もう二度と観られないthee michelle gun elephantと忌野清志郎さんの映像も涙なしでは見られなかった。ある年は毎日出演し、ある時は自転車に乗って登場していた日本を代表するロックスター、キング・オブ・フジロックの名を持つ清志郎さんのステージは<フジロック>で何度も観た。リアルタイムでRCを知らない私でも「雨あがりの夜空に」の大合唱に加わることで大人になった気にしてもらえたことは忘れない。そして、ミッシェルの映像では20年を軽くトリップ。日本のロック史にその名を深く刻んだライブバンドは私が高校生の頃から社会へ出るまでの間にバイト代を最も注ぎ込んで足繁く通った若き日々、青春の象徴だ。おかげで配信後は呼び覚まされた魂を鎮めるべく、ミッシェルの音を聴き続けている。それから、最近の<フジロック>で観たエレファントカシマシもやはり良かった。自分が年を重ねたからか、以前よりも彼らの煽りにも似たエールが心の奥まで染み入るようになった気がする。バンドの円熟味と茜色の空と、美しかった光景が思い出されたが、疫病の流行によって自分の大切な場所が奪われることになるなんて、2年前のあの日に誰が想像できただろうか。

そして、唯一撮り下ろしされたサンボマスターのライブにはいたく感動させられた。「ロックンロール」「信じる」「愛と平和」「ありがとう」など彼らの持つすべてのキーワードは、音楽を愛し<フジロック>開催を願う人々の心に今必要なものであったし、フェスとオーディエンス双方の期待に見事に応えたサンボの心意気と底力を見せた渾身のパフォーマンスは今年の<フジロック>と最高のマッチングだった。彼らのライブがなければこれほど感動する配信番組にはならなかっただろう。ロックが主流ではなくなった近年の音楽シーンだが、その名に“ロック”を残す<フジロック>でのロック・スピリッツ溢れるパフォーマンスを目の当たりにして「これでいいんだ、これがいいんだ」という湧き出る想いを何度も飲み込んだし、山口の言っていた「ミラクル」は完全に起きていた。サンボマスターという誠実で実直で真っ直ぐなロックンロールを奏でるバンドが、今、日本に存在していることに希望と誇りを持てたこともよかったし、サンボからのColdplayへの流れも美しかった。


サンボマスター

以前の私は洋楽趣向にあったが、ここ5、6年は日本語の歌詞が心地よいと感じている。それは年齢を重ねたり子を産んだりしたせいだろうかと思っていたけれど、今回の配信番組を見てそれらが理由ではないとはっきり分かった。書き連ねた自身の体験もしかり、初めて観たラッドに我が子が夢中になっていたこともしかり、今も昔も人々を熱狂させる日本発のアーティストが<フジロック>には多数出演しているということを改めて理解した良い機会だった。

無論、画面でみる<フジロック>の映像はあくまでも映像であって<フジロック>そのものではないから、<フジロック>が音楽フェスとして存在する意義がなくなることはけしてないし、音楽の力とアーティストのパワーを直に感じられる臨場をなくしてはならないということは今回の<フジロック>番組に限らず様々なアーティストのライブ配信を見れば見るほどライブを超える感動はないことを痛感している。それでもアーカイブ、生、撮り下ろしなどのライブ配信は今できる最高のエンターテインメントであるし、音楽やその他のライブ文化を生きながらえさせるために必要な手段でもある。今回の配信でもYouTubeのスーパーチャット機能を使ったMusic Cross Aidと国境なき医師団へ送るための寄付金集めの試みがなされていたように、インターネットの利便性を用いて社会を担う音楽フェスとしての姿勢を示すことや活動を存続するために収入を得たいアーティストやクリエイターを応援できるのは配信サービスの大きな利点だ。過去と現在、そして未来をつなぎ、強力でポジティブな希望の光を灯した配信ライブ<フジロック’20>に日頃からオンラインライブに満足している人はもちろんのこと、やっぱりライブは同じ空間でしか味わえない臨場感がたまらないという人にも今回の番組には感じるところがあったのではないだろうか。

人生には失ってみて初めて気がつくことは山のようにあるが、コロナ禍では自分にとって大切なことが何かを気づくことが多い。音楽に限らず、ライブ文化とは、人間が他の人間の能力と直接感じ取るために人間にとって必要な場所であり、心を豊かにするために重要なものだ。<フジロック>を失い、今回の特別ライブ配信番組を見て、見渡す限りの豊かな自然の中でアーティストが掻き鳴らす音や周囲のオーディエンスの反応、そこで自分の想いを感じることが何にも替え難いと気づいた人も多いはず。そしてまた、過去を振り返って「あの年の自分はこうだった、ああだった」とフラッシュバックしてくるのは、当時の自分が音楽に救いや癒やしを求めて苗場に向かい、様々な想いを抱えながらステージを観ていたからではないだろうか。心の底を震わせるほどの音楽との出逢いはそれほど多くはないが、<フジロック>ではその確率がとても高いことで知られている。自身はもちろん、次世代のこどもたちにもその体験してほしいという願いを持ち続け、守るべき文化のために自分に何ができるかを皆で考えていけたなら私たちの桃源郷はきっと取り戻せるはずだ。いつかまた、大きなステージ、広大なエリアで、自由に音楽を楽しめる時間を持てるその日まで、今できる自分の楽しみ方を見つけて守るべき文化を共に守り、共に生きよう。

文◎早乙女‘dorami’ゆうこ

◆早乙女“ドラミ”ゆうこの【音楽ギョーカイ片隅コラム】
この記事をポスト

この記事の関連情報