【インタビュー】sads、清春が語った「sadsにとっての流れに一区切りつけたい」

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■いろいろ考える時期なんだろうなとは思います
■50歳、25周年、というのを迎えるにあたって

──清春さんに対して、”器用にいろんなことを同時進行させている人”というイメージを持っている人も少なくないと思うんです。しかし実はすべてをちょっとずつやりたいわけではなく、どれも徹底的にやりたい。その後に控えているソロ活動のことを考えながらsadsをやったり、その逆だったりというような動き方を、本当はしたくないんだろうなと思うんです。

清春:うん。やっぱり”次”があるといろんなことを考えなくちゃならないですから。何かひとつやることが、次にやろうとしてる何かに向けての布石になっちゃってたりとか。なんか、そうやって続けていくことで一個一個の輪がちっちゃくなってきてしまったように感じたんですよね。たとえば黒夢を復活させてた何年間かというのはほとんどソロもやってなかったわけですけど、結局そういう時期も何年かで一度終わって、またソロになって、sadsがまた動き始めて、という流れがあって。僕は一個しかやれないわけではないし、それができることは立証済みなんですけどね。たとえばイメージとして、今の自分はバンドもやってるわけだから「あ、sadsの清春さんですよね?」って言われてもべつに当然のことだし全然構わないんですね。黒夢は実際のところ今は動いてないけど、終わらせたわけでもないから「黒夢の清春さん」と呼ばれることにも抵抗はない。ただ、そこにちょっとした違和感をおぼえることはあるんです。確かに止めてはいないけどやってないな、みたいな。

──そういったことについて心苦しく感じている、というわけではないんですよね?

清春:それはない。ただ、いろんなバンドが復活してるなかで、たとえばバンドとしての大きな動きがあって、それが止まってる数ヵ月の間は各々はソロで動いて、みたいな活動展開をしてる人たちも近年は増えてきてる。そういう活動のあり方について、何が正解で何がそうじゃないというのはもうないんだ思うんです。というか、おそらく答えはないんだと思う。だけど僕としては、ここでちょっとしたリセットを求めたいというか。元々はね、東條(雅人:元FOOL’S MATE誌編集長/2009年に他界)さんへのレクイエムというか追悼の気持ちから動き始めたのがあったし、今年はまた9月28日(東條氏の命日)に岡山にも行くんですよ。ここまで再度バンドも頑張ってきたけど一旦整理する時期に来ました、ということを告げに行くためにね。この何年間か岡山に行ってなかったのは、毎年行き続けるのもちょっとトゥ・マッチかなと思い始めたからだったんですが、自分が50歳になる年でもあるし、今のsadsが満7年を経たタイミングでもあるし、そこでふたたび岡山に行って、そこをひとつの区切りにしようかな、と思います。

──終止符ではなく、ひとつの大きな到達点を迎えたというか。

清春:うん。たとえばVAMPSみたいに徹底的にそれに専念した活動を何年もやれていたわけではないので、sadsにとっての答えというのは非常に見えにくいところがあるんですけどね。なんならsadsをいまのペースのまま続けることもそんなにも難しく思ってるわけではないけど。今こうして1人でやってることがあるなかで、でも、もしsadsをやるならsadsだけでもいいような状況にホントはならなきゃいけないんだけどさ、何故かそうなれないこの気持ちはいったい何なんだろうと。

──複数のことをすべて良好なバランスでやるというのは、同じ期間で区切るとか、そういうことではないはずですしね。誤解を招く言い方かもしれませんが、sadsの活動が成立するのは、清春さん個人の活動基盤が揺るぎないものとしてあるからこそだと思うんです。そういう意味では現在のオフィシャルサイトのあり方も象徴的だなと感じます。今、sadsだけのサイトというのはないわけですから。

清春:僕個人のオフィシャルサイトのなかに含まれてますからね。

──結果、それがいちばんわかりやすい。すべてここに含まれているんだな、ということが一目でわかるわけで。

清春:そうですね。ただ、同時にちょっと……全部僕がメインになっちゃうのはどうなのかな、と最近では思っちゃうところもあるかな。僕が誰かのプロジェクトに参加しますとか、そういうのだったらいいんですよ。たとえばSUGIZO君の作品で歌わせてもらったとか、誰かのトリビュート・アルバムに参加したりとか。そこで自分が何のシンガーとして呼ばれてるのかはわからないし、それを敢えて確かめようとも思わないわけですけど、たとえYOSHIKIさんのフェスにもソロで出たりしたじゃないですか。実際、たいがいお誘い受ける際には「どの形態で出てもらっても構わない」みたいに言われるんです。ただそこで「どれでもいい」と言ってもらえるのは嬉しくもある半面、「ああ、なるほど」という部分もありますね。

──すべてについて「これじゃないと困ります」と言われたいわけですよね、要するに。

清春:うん、言ってしまえば。もちろん「どれでもいい」というのはいい意味で言ってもらえてるわけですから、そこについて全く嫌な気持ちを抱えてるわけなど無いんですけどね。なんと言うのか、自分はバンドだけに専念してる人にはもう戻れないんですよ。ソロでもうちょっとやりたいこともあるし。もちろんソロ・ツアーもやる。本来そのツアーにしても半年ぐらいかけてゆっくり回るような形でもいいはずなんだけど、その先にバンドでの動きが控えてるとなれば、限られた時間のなかで集中的にやらざるを得なくなる。そうしていくと結果的に年間を通じてやるべきことが増えてきて、それは観に来てくれる人たちには喜んでもらえるはずだけど、同時にファンのみんなにとっても負担になり兼ねない。そこで僕はある時、マネージャーに話をしたんです。今はまだギリギリのところでクリアできてるけど、このままの実働量が続くと僕自身が持たなくなるかもだね、と。精神力の部分でも、体力の部分でもね。もちろん死ぬまで永遠にチャレンジをしていきたいし、たとえば今、Huluで『デヴィッド・ボウイ 最後の5年間』という映像が上がってるんですけど、やっぱりその5年間におけるボウイというのは”遺す”ということに対する壮絶な衝動と、死ぬまで新しいことに挑み続けたいという意欲に突き動かされてるんですね。今、時代がこれまでとは違うじゃないですか。10年前とも違うし、僕がデビューした1990年代前半とも違う。やっぱ明らかに今回の対バンにしてもそうですけど、ものすごく多種多様で、今までだったら「絶対ないでしょ?」って言われてたことが普通にある時代になってきていて。この対バンに限った話じゃなく、世のフェスとかでも当時ではあり得ないことが普通に起きてる。ロック・フェスなんだけどアイドルも出るし、ロック然とした人たちのほうが意外と少なくなってしまった。

──ルールが壊れて、逆に、壊れていることがルールになってきつつある気がします。

清春:うん。実際はロックでもないんだけどロックっぽいもの、というのがたくさん実在しててね、もはやそれを普通に認めざるを得なくってきてる。そんななかで、自分って何なんだろうな、みたいなことを改めて考えさせられたりとか。そこでsadsのことに限定して言えば、やっぱりYUTAROが入ってきたことは大きいですよね。僕の見え方、僕が自覚できてない僕の見え方っていうのを、あいつは冷静に見てるし、知ってるので。もちろん自分のことはわかってるつもりだけど、自分のことだからこそ見えない部分というのはあるわけです。そこで彼は、何かを強引に押し付けてくるわけじゃなく「それって僕はこう思ってたんですけど?」みたいなことを言ってきたり、そこで改めて気付かされたことがあったり。だからまあ、いろいろ考える時期なんだろうなとは思います。50歳、25周年、というのを迎えるにあたってね。そこでまずsadsにとっての流れに一区切りつけたいな、というのがあった。

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