【インタビュー】原雅明「ジャズという括りが曖昧になってきた80年代〜90年代の他の音楽の動向も含めた視点から、ジャズを書いていく」

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原雅明が『Jazz Thing ジャズという何か』を上梓した。原雅明は、編集者を経て80年代末から執筆活動を開始した音楽ジャーナリスト/ライター。HEADZの設立と雑誌『FADER』の創刊から、レーベル運営やイベントの実践も通じて、さまざまな現場に関わり、フライング・ロータスらを輩出したビート・ミュージックの最重要イベント<LOW END THEORY>を日本で企画してきた。現在は執筆活動とともに、ネットラジオdublab.jpの運営や、ringsのプロデューサーとして、これまで培った海外とのコネクションから、新たな潮流となる音源の紹介に務めている。

そんな原が書き上げた『Jazz Thing ジャズという何か』は、これまで語られなかった切り口からジャズを取り上げた論考集だ。「マイルス・デイヴィスとプリンスとの関係をジャズの側面から初めて掘り下げる」「ディアンジェロやエリカ・バドゥらのネオソウル/ヒップホップのコミュニティとジャズとの関係、影響を掘り下げる」「カマシ・ワシントンやサンダーキャットを生み出したLAジャズの歴史と特質を掘り下げる」など独自の切り口は、“ジャズっぽい”音楽を明快にしてくれる良著だ。そんな『Jazz Thing ジャズという何か』について、原に聞いた。

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■ジャズに焦点を当てつつ
■周辺の音楽にも触れてジャズを考える

──なぜこの本を今出すことになったのか、きっかけを教えてください。

原雅明 そもそもは前著『音楽から解き放たれるために 21世紀のサウンド・リサイクル』(2009年11月)を出した後、割とすぐにサウンドに焦点をあてた2冊目を出す予定だったんです。それが日々の原稿に追われ、いろんなことをやっているうちに月日が流れ……という(笑)。当初はジャンル横断的にサウンドを考える本を想定してたのが、ふと今まで書いていたものを振り返ったら、ジャズにフォーカスした原稿が増えていた。ジャズに絞ることで、さらに書けるかな、と思い始めたのがきっかけですね。ここ10年くらいジャズに活気が出てきて、いろんなプレイヤーも出てきた。前の本を出した時はLAでLOW END THEORYが始まって、若いビートメイカーたちがどんどん出てきてたんですけど、それと似たものを若いプレイヤーの登場に感じましたね。

──前回の本から考えるとジャズのシーンはすごく変わりましたよね? たくさんのプレイヤーが世に出てきて……。

原雅明 そうですね。それに、僕も書いてましたが、90年代〜00年代に当時の『GROOVE』や『STUDIO VOICE』のような雑誌がやるジャズ特集がジャズ雑誌より面白くて読んでいたという、『Jazz The New Chapter』の柳樂(光隆)さんのような新しい書き手が出てきたのも大きいです。

──その書き手もそうですが、今の若いプレイヤーはクラブミュージックを“普通に”聴いて育った世代とも言えますね。

原雅明 クラブミュージックやヒップホップを、ティーンエイジャーの頃から普通に聴いていて、かつジャズはジャズでキチンと勉強している世代ですね。

──昔はクラシックの人がジャズを演奏するのはNG、ロックのギタリストがジャズなんか弾くな、なんて“ルール”みたいなものがまかり通ってました。そういう古い概念が取っ払われた世代でもありますね。

原雅明 そうだと思います。本の中でも書いてますけど、例えばエリカ・バドゥと一緒に演っているトランペッターのロイ・ハーグローヴ。彼はエレクトリック・レディでディアンジェロの録音などに深く関わった人ですね。ティーンエイジャーの頃からヒップホップを聴きつつジャズトランペッターの道を歩んだので、ヒップホップやネオソウルに入るのに、それほど抵抗がない。

本人はジャズで演るのとそれ以外で演るのは違うとは言ってましたけど、ジャズとそれ以外を無闇に結びつけるのではなく、やり方やスタイルの棲み分けが自分の中できちんと出来ているという意味です。そのバランス感覚も優れてます。もっと上の世代の人たちは、例え自由に演奏するとは言っても、ジャズとそれ以外の線引きが結果として敷居を作っていた。だけど、いまは線引きはあれど敷居を作らない、そういうやり方ができる人が台頭しているんだと思うのです。

──本書の内容が原さんの頭の中でまとまったのはいつ頃でしょう?

原雅明 こういう本を書いた方がいいなと思ったのはここ数年ずっとですね。ジャズに関することは定期的に原稿化する機会はあったけど、いままで自分がやってきたことも踏まえ、ジャズという括りが曖昧になってきた80年代〜90年代の他の音楽の動向も含めた視点から、ジャズを書いていく必要があると思ったんです。ジャズに焦点を当てつつ、並行する周辺の音楽からもジャズを捉え、考え直すという。

──読ませていただいて、頭の中がスッキリした感じがしました。このところモヤッとしていた音楽シーンがつながったと言いますか……。例えばロバート・グラスパーはジャズなのか、ソウルなのか、そんな聴き方をしてる人も多いと思います。

原雅明 多分僕らよりも遥かに若い世代の人は……僕らの時代が規定したブラックミュージックとはまた違うかもしれないけど、大枠のブラックミュージック的なものとしてグラスパーみたいなものも、フランク・オーシャンみたいなものもフラットに聴いてる気がします。何よりブラックミュージックという大きな幹の中に、ジャズとジャズミュージシャンが入り込めているのが大きいかと。一方でブラックミュージックとは切り離されたところで機能してるジャズもあるし、さらにいうとグラスパーなどをきっかけに、若い人たちがピアノトリオも同時代の音楽として聴くようになっているのも感じます。

──例えば『Jazz The New Chapter』で取り扱うジャズはいわゆる本流のジャズよりエッジーで特殊なものだと思います。そことは切り離されてジャズが聴かれているということでしょうか?

原雅明 切り離しみたいなものはないと思います。ただ、ジャズってアンビヴァレンスですよね。ジャズの王道は頑とあって、40年代〜60年代半ばまでに確立されたアコースティックなジャズ、いわゆるモダンジャズの優位性はこの後も変わらないと思うんです。本来はその時代に革命的だった音楽が、以後は保守本流のように機能するという図式は。そして、リスナーもその磁場から逃れられないし、むしろ好ましくある、っていうのは、古典的な音楽の在り方としては正しいですよね。フュージョンとかアシッドジャズのようなものが出てきても、ジャズじゃないの一言であっさりと方が付けられるし。

『Jazz The New Chapter』はエッジーなものだけではなく本流もきちんと取り上げていますが、常にモダンジャズとの比較に晒されるわけです。そうすると保守/革新みたいな詰まらない図式に陥りがちなんですが、そこにいまはジャズミュージシャン自身が風穴を開けていると思うんです。例えば、モダンジャズ以前の時代の、ジャズなのか、ブルースなのか、カントリーなのか、分からない音楽。それらがアメリカーナと称され再解釈されて極めて現代的に演奏されているものなどを聴くと、ジャズかジャズでないか、ジャズの本流/傍流という対比も、それに伴う聴かれ方の仕来りみたいなものも、もしかしたらリセットされるのかなとも思うんです。

──その流れは世界的なものなのでしょうか?

原雅明 だと思いますね。ジャズミュージシャンに取材すると、昔よりオープンな感じがするし、何より自分たちが置かれている立場とジャズの位置付けに意識的であるように思います。すごくジャズの見取り図について考えているというか。例えばカマシ・ワシントンとかグラスパーもそうですが、プロとして活動するきっかけがコモンやQティップの録音だったり、ローリン・ヒルやスヌープ・ドッグのバックバンドだったり……ジャズだと喰えないからヒップホップ/R&Bの仕事でスタートした人が多い。それをやりつつ、そこでどういう音楽を要求されるのか勉強をしている。

昔のジャズミュージシャンもポップスなどのバンドマンとしての仕事はこなしてきましたが、いざ自分の作品となると、どうしても自分がやりたいことをやるんだってスタンスでしたが、そのあたりの考え方も変わってきてる感じがしますね。他者と情報も共有し合って、いい意味で柔軟に対応でき、そこにあるフォーマットの中で自分をどう出すか、それを演れる人が増えていますね。

◆インタビュー(2)
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