【インタビュー】J、メディアを語る「面白い時代。すべてが人の感覚にかかってくる」

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■言葉は悪いですけどね
■さっきから無駄、無駄、無駄って(笑)

──ええ。音楽情報サイトはともかく、今や一般のニュース・サイトとかって、芸能人や有名人のブログやSNSから発言を抜き出したようなものばかりじゃないですか。あれはちょっと無いよな、と思うんです。仮にそこから情報を拾っていたとしても、いろいろと裏付けを探したうえでより精度の高い情報として練ったものをWEB媒体は発信すべきだろうし。それに対して印刷物の場合は、世に出るのに時間がかかるぶんだけその媒体なりのフィルターの特性をきちんと使った記事にすることが大事であるはずで。

J:だから、たとえば『MASSIVE』という音楽雑誌は、増田さんとイコールなんですよ。増田さんがどういうふうに本を形作りたいか、というのがあの1冊のなかに詰まっていて。つまりアーティストでいうところのアルバムなんですよね。そういうものにみんなは触れたいし、そこから何かを感じたいはずなんです。そこで共感したかしないか、より深層まで行けたか行けなかったか、みたいな話にもなってくる。さっき、“べつに楽器が弾けなくたってPCのソフトさえあれば音楽を作れてしまう”という話をしましたけど、その音楽だって、やっぱりその人とイコールのものではあると思うんですよ。その人のイメージを基に作られていくわけだから、その人のイメージがものすごいものであればものすごいものになり得る。それに近いんじゃないかと思うんです、雑誌というのも。多分ね、増田さんなりの技のかけ方というのがあると思うんです。最後にどうやって倒すか、閉じるか、というのが。音楽で言ったら、例えば最後にどうやってサビで昇華させるか、みたいなことだったり。

──どんな技を持っているのかが自分ではよくわかりませんが(笑)。僕自身、自分では音楽を作れないわけです。もしかしたら勝手にそう思い込んでいるだけなのかもしれないですけど。ただ、サビを効果的に印象づけるために曲の頭に持ってくることがあるように、まず結論から書き始めることもあれば、同じことについて違う言い方を繰り返して印象付けようとすることもある。その記事にどんなタイトルを付けてどんな写真とともに届けるか、ということも考える。これは実際、音楽の作り手である皆さんがやっていることとそんなに遠くないことなのかもしれません。

J:確かにそこは、よく似てるのかもしれない。

──誰でも簡単にそこそこのクオリティの音楽を作れてしまう時代だからこそ、その作り手なりの持ち味とか、ちょっとした違いが大事になってくると思うんです。僕らみたいな立場の人間というのも、そこを求められるようになってくる気がしていて。

J:そこでひとつ思うのは、機能的であることばかりが重要じゃないはずだということで。今、何もかもがどんどん機能的になってきてるわけじゃないですか。だけど、それとは全然反対の話もあって。たとえば世界的な建造物とかって、機能的かどうかで言うと、結局そうではなく、無駄な部分が多いんですよね。でも、その無駄がカッコいいんですよ。

──それこそ、サグラダファミリアとかですか?

J:例えば単純に機能だけなら、あんなカッコしてなくたっていいわけでしょ?

──ええ。しかもいまだに建造途中ですからね。

J:もっと乱暴なことを言えば、ヨーロッパのすごいお城とかにしても、“そんなところにこんな飾りがついてなくてもいいんじゃないの?”とかあるじゃないですか。でも、それってやっぱり人の想いというか、そういったものが形になっているわけで。

──意匠が凝らされている、ということですよね。

J:俺、実は、70年代頃に建てられた古いマンションとか結構好きなんですよ。何故か心惹かれるものがある(笑)。ガキの頃に見てた風景のなかにあったからかもしれないけど。まだ都心にも結構あるじゃないですか。

──洋風なのに瓦が使われていたり、ちょっと和洋折衷な感じだったり。

J:当時の塗り壁の感じだったりとかね。あの時代のものが結構好きで。何故かなと思ったら、やっぱりそこにその無駄があるからなんですよね。ヴィンテージのアメ車とかもそう。今から考えれば無駄が多いんですよ、形とか。でもいまだにずっと残ってるじゃないですか。それは、その無駄さが格好良くて支持され、求め続けられてるからだと思う。機能だけを追求するようになってしまったら、何もかもが多分、ものすごく時代に流されるようになってしまうんだろうなという気がしていて。

──これが今の時代にあっていちばん機能的で無駄のないフォルムです、というものは、便利ではあっても魅力的ではないことがあるのかもしれません。

J:多分ね。機能美はあるのかもしれないけど、それは一時のものであって、5年後、10年後にはまたそこに上塗りされたものが出てくるわけだから。

──つまり、ロック・バンドにも無駄さが必要だということですか?

J:そういう意味では、ロック・バンドは究極にそうじゃないと(笑)。機能的みたいなところから一番遠い場所にいないとなんか格好悪いよね。そう考えると、その部分はすごく重要で不可欠な部分かもね。でも、その音楽がいろんな人を救ったり、いろんな人に影響を与えたりするすごいエネルギー持ってるって本当に最高だよね。単純に必要であるか否か、ということで言えば……。

──衣・食・住よりもずっと下ということになりますからね。ある意味、嗜好品というか。

J:だからこそ、その無駄さが重要なんだと思う。言葉は悪いですけどね、さっきから無駄、無駄、無駄って(笑)。でも、そういう部分がないと残ってはいかないのかな、とも思うんです。

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