【FUJI ROCK'15 ロングレポート】邦楽の増加&オレンジ・コートの廃止にも揺るがなかった夏フェス王者の風格

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そう、このレポートは長い。レポートし始めるとキリがないくらい色んな経験をしたからだ。早くも恋しいフジロック。こうして振り返っていたら、ますます恋しくなってきた……。実際に現場でも、最後の最後までいたい、まだ帰りたくない!と駄々をこねる人々が、とっくにすべての演目が終了した7月29日(月)の午前中も場外エリアの飲食スペースにまだまだ大勢集っていた。「カドヤ横丁」では、(このタイミングに来て!)再会を祝う人、別れを惜しむ人、終わりそうにない打ち合わげをしてる人で盛り上がっていた。焼き鳥、おでん、酒のアテが食べられて、スナックまで設置されたこの横丁は、深い時間もひとが群がっていた。



今回、フジロックファンにとって寂しいトピックだったのが、FIELD OF HEAVENのさらに奥にあったオレンジ・コートが、HEAVENとの音のぶつかり問題などにより廃止され、恒例のオールナイトフジもなかったことだ。がそれでも、オレンジ・コートの場所では、今度はフットサルを楽しむ人々が現れ、最奥エリアにあるBarのCafe de Parisまで人々はやはり足を運んでいた。だから今年のフジロックは、そういった改革はおこなわれたものの、やはり冒頭で述べたように「フジロックはフジロックだ」というこのフェスの確かなアイデンティティを逆説的に感じさせられたということが大きな実感としてある。



前夜祭を含め、延べ115,000の人々が苗場に足を運んだ。7月23(木)の前夜祭には10,000人が、7月24日(金)には32,000人、7月25日(土)には39,000人、7月26日(日)には34,000人が来場。3日目の夜には、退場ゲートに“SEE YOU IN 2016!!”と掲げられていたが、フジロックは最早、夏の風物詩になっている。初年度は台風襲来などの悪条件が重なり厳しい批判を受けながらも、ここまで開催を重ね、いまや日本の一大カルチャーである“夏フェス”の元祖的存在である。と同時に、他の多くのフェスとは一線を画する、ロックフェスだ。

ロックミュージックを愛するということは、こんなに私達を自由にする。つまりタフにする。そんな教えを、この国で初めて大々的に説いたのがフジロックだと言ったら、おおげさだろうか。けれど、19回目を迎えたフジロックに参加して、“ロックフェスに参加する”という新しい生き方の提案が、すなわちこれまでのフジロックの軌跡だったのだ、ということは確かに感じたことだ。次回で20回目を迎えるフジロックは、一体どのような景色を私達に見せてくれるのだろうか。今から、期待ばかりが膨らんでくる。

取材・文=堺 涼子



<FUJI ROCK FESTIVAL’15>
2015年7月24日(金)25日(土)26日(日)
@新潟県 湯沢町 苗場スキー場

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