R.E.M.のマイケル・スタイプ「カート・コバーンの命を救おうとした」
実現はしなかったが、R.E.M.のフロントマン、マイケル・スタイプは、ニルヴァーナの故カート・コバーンにコラボを持ちかけたことがあるそうだ。友人であるコバーンを助けようと「コラボを口実に連絡を取った」という。
マイケル・スタイプは、『Interview Magazine』のインタヴューで「あなたはいろいろなミュージシャンとコラボしているが、カート・コバーンとのコラボだけは実現しなかった」との問いかけにこう答えた。「彼の命を救おうとして、そうしようと思ったんだ。コラボを口実に彼に連絡を入れた。あの男に手を差し伸べようとしてね。彼は本当にひどい状態だった」
「(カート・コバーンのことは)よく知っていた。彼と彼の娘をね。それにコートニー(・ラブ)は僕の家に泊まったことがある。R.E.M.はシアトルで2枚のアルバムを作っているけど、ピーター・バック(G)はカートとコートニーの隣に住んでいたんだ。だから、僕達はお互いをよく知っていた。僕はこのプロジェクトで彼を助けようと思ったんだ。その先に起ころうとしていたことを避けようとしたんだよ」
「彼には飛行機のチケットとドライバーを送った。ドライバーは彼の家の前で10時間も待った。カートは出てこなかったし、電話にも答えなかった」
またマイケル・スタイプは、カート・コバーン同様、自分も一時期ドラッグ依存症だったが、恋人の死をきっかけにやめたと明かしている。恋人が亡くなったにも関わらず、ハイになっていて感情をあらわにすることができなかったという。「(1983年に)ドラッグはやめた。その理由の1つは恋人が死んだからだ。車の事故だった。それを知ったとき、俺はメチャクチャな状態で、泣くことができなかった。翌朝、“もういい”って思って、(ドラッグを)やめることにしたんだ」
Ako Suzuki, London
◆BARKS洋楽チャンネル
マイケル・スタイプは、『Interview Magazine』のインタヴューで「あなたはいろいろなミュージシャンとコラボしているが、カート・コバーンとのコラボだけは実現しなかった」との問いかけにこう答えた。「彼の命を救おうとして、そうしようと思ったんだ。コラボを口実に彼に連絡を入れた。あの男に手を差し伸べようとしてね。彼は本当にひどい状態だった」
「(カート・コバーンのことは)よく知っていた。彼と彼の娘をね。それにコートニー(・ラブ)は僕の家に泊まったことがある。R.E.M.はシアトルで2枚のアルバムを作っているけど、ピーター・バック(G)はカートとコートニーの隣に住んでいたんだ。だから、僕達はお互いをよく知っていた。僕はこのプロジェクトで彼を助けようと思ったんだ。その先に起ころうとしていたことを避けようとしたんだよ」
「彼には飛行機のチケットとドライバーを送った。ドライバーは彼の家の前で10時間も待った。カートは出てこなかったし、電話にも答えなかった」
またマイケル・スタイプは、カート・コバーン同様、自分も一時期ドラッグ依存症だったが、恋人の死をきっかけにやめたと明かしている。恋人が亡くなったにも関わらず、ハイになっていて感情をあらわにすることができなかったという。「(1983年に)ドラッグはやめた。その理由の1つは恋人が死んだからだ。車の事故だった。それを知ったとき、俺はメチャクチャな状態で、泣くことができなかった。翌朝、“もういい”って思って、(ドラッグを)やめることにしたんだ」
Ako Suzuki, London
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