[追悼]デイヴ平尾、ザ・ゴールデン・カップスが残した軌跡
ザ・ゴールデン・カップスのボーカル兼リーダー:デイヴ平尾氏が、2008年11月10日、食道がんにより逝去した。63歳だった。
ザ・ゴールデン・カップスは、1960年代後半に横浜・本牧で結成し、1967年「いとしのジザベル」でデビュー、「長い髪の少女」などのヒット曲で知られるグループ。GS(グループ・サウンズ)ブームの中のバンドのひとつという認識が多いものの、演奏力に定評のある実力派のグループでもあった。そのため当時からコアなファンや、40年以上過ぎた現在でも忌野清志郎、矢野顕子、Char、横山剣といった様々なミュージシャンやロック・ファンから愛され続けているグループでもある。
魅力はただ単に演奏力だけの問題ではない。
当時「長い髪の少女」「愛する君に」などの楽曲が大ヒットするも、彼らはライヴでこれらの曲を演奏する事を嫌い、主にアメリカやイギリスで流行していたロックやR&Bのナンバーを演奏していた。
ジミ・ヘンドリックスの「ヘイ・ジョー」を、原曲の面影を全く感じさせないサイケデリックなアレンジでアプローチしたり、マディ・ウォーターズの「モジョ・ワーキング」を荒々しくダイナミックに演奏したり、その演奏テクニックはもちろんの事、実験的でサイケデリックな独自の感性を併せ持ったロックバンドであった。
セカンド・シングルにもなった「銀色のグラス」(アルバムバージョン)では、前奏からファズをかけて歪ませたギターが乱暴に鳴り響き、ワンコードで展開されるスタンダードなロックンロール調のAメロから始まったと思いきや、サビで急にマイナーコード主体の歌謡曲に変化する。これだけでも十分に斬新なアレンジなのだが、リードベースとも呼ばれるルイズルイス加部のギターソロよりも目立つうねりまくるベースに、デイヴ平尾の時にねちっこくまとわりつくようなボーカルが異様なサイケデリックな雰囲気をかもし出し、一際異彩を放ったナンバーとなっていった。
当時、アイドル的なGSグループも多い中で、GS=グループ・サウンズのみならず、GS=ガレージ・サウンドと位置づけるべき、稀有な存在でもあったのだ。
またメンバーのニックネームからもわかるとおり、全員がハーフという設定でレコード会社に売り出されたのも彼らならではのエピソードだ。その実、本当にハーフなのはベースのルイズルイス加部のみなのだが、人気絶頂の頃にアメリカ国籍であったケネス伊東(サイドギター)のビザが取得できず本国へ送還されるなど、外タレ顔負けの武勇伝もあり、素っ頓狂なエピソードも盛りだくさんだ。なによりも、1971年解散後も在籍したメンバーが日本のロックシーンで活躍しているという事実こそが、その伝説たる所以でもある。
ベースのルイズルイス加部は、後期はギターに転身しつつも、のちにChar、ジョニー吉長とジョニー・ルイス&チャー、ピンク・クラウドを結成、その後の活躍はご存知の通りだ。キーボードのミッキー吉野も、1976年にゴダイゴを結成、解散後今もなお作曲や編曲などで活躍中である。ボーカル兼リーダーのデイブ平尾もソロ歌手として数曲をリリース、俳優としても活動していたわけである。
2004年に映画「ザ・ゴールデン・カップス ワン・モア・タイム」の為に再結成され、テレビ番組の出演、その後も活動を続けていた彼らだったが、今回のデイブ平尾氏逝去により、このメンバーの形での活動には終止符が打たれてしまった。
2008年11月28日(金)に行なわれる予定であった<THE GOLDEN CUPS / G.S.SUPER UNIT LIBE SPECIAL 2008>は、デイブ平尾追悼ライヴとして実施となる予定である。
◆<G.S.SUPER UNIT>オフィシャルサイト
日本のロックシーンに与えた多大な功績を残した故人のご冥福を心からお祈り申し上げます。
●【BARKS特集】解散から32年を経て奇跡の再結成!アルバム・リリース&映画も公開!!
●【動画】2004年の映画公開時に行なったトークイベントの他では絶対に見れない貴重な映像
●GSをテーマにした映画『GSワンダーランド』
ザ・ゴールデン・カップスは、1960年代後半に横浜・本牧で結成し、1967年「いとしのジザベル」でデビュー、「長い髪の少女」などのヒット曲で知られるグループ。GS(グループ・サウンズ)ブームの中のバンドのひとつという認識が多いものの、演奏力に定評のある実力派のグループでもあった。そのため当時からコアなファンや、40年以上過ぎた現在でも忌野清志郎、矢野顕子、Char、横山剣といった様々なミュージシャンやロック・ファンから愛され続けているグループでもある。
魅力はただ単に演奏力だけの問題ではない。
当時「長い髪の少女」「愛する君に」などの楽曲が大ヒットするも、彼らはライヴでこれらの曲を演奏する事を嫌い、主にアメリカやイギリスで流行していたロックやR&Bのナンバーを演奏していた。
ジミ・ヘンドリックスの「ヘイ・ジョー」を、原曲の面影を全く感じさせないサイケデリックなアレンジでアプローチしたり、マディ・ウォーターズの「モジョ・ワーキング」を荒々しくダイナミックに演奏したり、その演奏テクニックはもちろんの事、実験的でサイケデリックな独自の感性を併せ持ったロックバンドであった。
セカンド・シングルにもなった「銀色のグラス」(アルバムバージョン)では、前奏からファズをかけて歪ませたギターが乱暴に鳴り響き、ワンコードで展開されるスタンダードなロックンロール調のAメロから始まったと思いきや、サビで急にマイナーコード主体の歌謡曲に変化する。これだけでも十分に斬新なアレンジなのだが、リードベースとも呼ばれるルイズルイス加部のギターソロよりも目立つうねりまくるベースに、デイヴ平尾の時にねちっこくまとわりつくようなボーカルが異様なサイケデリックな雰囲気をかもし出し、一際異彩を放ったナンバーとなっていった。
当時、アイドル的なGSグループも多い中で、GS=グループ・サウンズのみならず、GS=ガレージ・サウンドと位置づけるべき、稀有な存在でもあったのだ。
またメンバーのニックネームからもわかるとおり、全員がハーフという設定でレコード会社に売り出されたのも彼らならではのエピソードだ。その実、本当にハーフなのはベースのルイズルイス加部のみなのだが、人気絶頂の頃にアメリカ国籍であったケネス伊東(サイドギター)のビザが取得できず本国へ送還されるなど、外タレ顔負けの武勇伝もあり、素っ頓狂なエピソードも盛りだくさんだ。なによりも、1971年解散後も在籍したメンバーが日本のロックシーンで活躍しているという事実こそが、その伝説たる所以でもある。
ベースのルイズルイス加部は、後期はギターに転身しつつも、のちにChar、ジョニー吉長とジョニー・ルイス&チャー、ピンク・クラウドを結成、その後の活躍はご存知の通りだ。キーボードのミッキー吉野も、1976年にゴダイゴを結成、解散後今もなお作曲や編曲などで活躍中である。ボーカル兼リーダーのデイブ平尾もソロ歌手として数曲をリリース、俳優としても活動していたわけである。
2004年に映画「ザ・ゴールデン・カップス ワン・モア・タイム」の為に再結成され、テレビ番組の出演、その後も活動を続けていた彼らだったが、今回のデイブ平尾氏逝去により、このメンバーの形での活動には終止符が打たれてしまった。
2008年11月28日(金)に行なわれる予定であった<THE GOLDEN CUPS / G.S.SUPER UNIT LIBE SPECIAL 2008>は、デイブ平尾追悼ライヴとして実施となる予定である。
◆<G.S.SUPER UNIT>オフィシャルサイト
日本のロックシーンに与えた多大な功績を残した故人のご冥福を心からお祈り申し上げます。
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