J、AX 5デイズ 番外編

ポスト
無事に5日間のライヴと5日分の速報連載も終了。本日からは何回かに分けて5日分のエピソードのうち“文字にしても危険じゃないもの”をいくつかお届けしよう。

まずは補足。前回、10月7日分のレポートのなかで、いかにも「PYROMANIA」でライヴが終了したかのようなことを書いているが、実はその後、少なくとも3~4分は鳴り止まなかった声援に導かれ、Jは予定外の再アンコールに応えている。そこで披露されたのは『GLARING SUN』の最後の最後に収められていた「…..」。もちろん筆者もその場面はしっかり目撃していたわけだが、その事実を報告する以上に、この5日間が“「PYROMANIA」に始まり、「PYROMANIA」に終わった”ということを言いたかったわけです。

ところで同日、masasucksがアンコール時にキッスのTシャツを着用していたことを憶えているファンも多いはず。実はこのTシャツ、筆者が数週間遅れのバースデイ・プレゼントとして彼にこの日、進呈したもの。しかもそこにはちゃんと意味があって、あのTシャツにはキッスの名盤、『ラヴ・ガン』のアルバム・カヴァーがプリントされていたんだけども、何を隠そうmasasucksは同作と同じ年に生まれているのだ。

さらに興味深いのは、この日の開演前にmasasucks自身が話してくれた事実。彼が生まれた1977年9月16日は、実に、かのマーク・ボランの命日なのである。30代になることを嫌っていたボランは、皮肉なことに29歳のとき、30回目の誕生日(9月30日)を目前にして、自動車事故のため亡くなっている。その歴史的事実から、masasucksは「俺もきっと、30歳になれないんだろうと思っていた」のだという。しかし、こうして生誕30周年を無事に迎えた彼の破壊的音楽人生は、きっとボランのぶんも続いていくのだろう。

マーク・ボラン映像(「Born To Boogie(ダイジェスト)」)
https://www.barks.jp/watch/?id=1000007775


同時に、言うまでもなく1977年はパンク・ムーヴメント勃発の年。それから30年を経て、11月にはロンドンでセックス・ピストルズの再結成ライヴが行なわれたりもするわけだが、もしかしたらmasasucksは“生まれながらにしてロッカーでパンク”ということでもあるのかもしれない。

次回はもうひとりの凄腕重低音ギタリスト、藤田タカシにまつわる話をお届けしようと思う。

増田勇一
この記事をポスト

この記事の関連情報