チャー:ギター、ロック、そして音楽以外のことも含めて、自分が一番多感な時期が’70年代だったということだね。ロックにとっては’60年代に星の数ほど出てきたアーティストが紆余曲折しつつ、次なるステップを踏み出した時期。有名なバンドのメンバー同士がバンドを結成したりして。そこでできた音楽がとても個性的で、かつ’60年代のポップスと違ってアーティスティックなものが多くなってきた。テクニック的にも向上したよね。あと、白人と黒人の差がなくなってきたというのも大きい。昔は白人と黒人のチャートは分かれていたけど、スティーヴィー・ワンダーのようにチャートをまたいで活躍するアーティストも増えてきた。現場のミュージシャン同士もお互いに与える影響があったんじゃないかな。
――その’70年代にどのようにギターに引き込まれたんですか?
チャー:’70年代ってオレが10代の頃なんだけど、ティーンエイジャーって音楽に限らず何事でも一番吸収できる年頃、それとすごく背伸びをしたい年頃だよね。バイク、運動部、受験、そしてセックスとか、人生で初めて何かに熱中しなければならないのがその時期でしょ。イヤでもね。オレもその頃にはギターを持ってもサマになるような体格になってきて、これで女の子にモテるかもしれないというような、直接音楽とは関係ないけど男の子としての原点がそこで生まれたんだと思う。親には怒られ、近所からは後ろ指を指されながら(笑)。
――ティーンエイジャーの頃にギターに熱中できたのはどうしてでしょう?
チャー:その頃に、アニキのお古だけど自分のレコードプレイヤーを持てたり、アニキと別の部屋になったりした。それまではオーディオもギターもすべてアニキと共有だったんだ。それでやっと自分だけで音楽を聴く時間などが持てるようになって、エリック・クラプトン、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベックなどを死ぬほどコピーしたのがこの時期なんだ。中学~高校時代だね。それこそ寝食を忘れて没頭したよ。そこまでやったから、今になって考えてみると、その経験が自分の血肉になっているのがよくわかる。

――その頃はいろいろなロックが噴出してきましたね。
チャー:一つのジャンルだけじゃなく他にもいろいろな音楽が出てきた。プログレッシヴもそうだし、ジャズであるべきウェザー・リポートにジャコ・パストリアスが入ってきて非常にコンパウンドされた音楽が出てきたり、カントリーからイーグルスが出てきたり。そういういろいろなところから勝ち上がってきた奴らは当然テクニックもすごくて個性も強烈だよね。そこに共通なものは何かというと、それが“ロック”ということだと思うんだ。そして英米を通り越してジャマイカなどの世界中からロックが発生するようになった。そういうものがすべて’70年代に集約されていて、乱暴な言い方をすれば、’75年くらいでロックはピークを迎えてしまったかなと思う。それ以降は純粋なものはなく、商業主義的なものが大きくなりすぎて。
――相棒のジム・コプリーとは何が惹き合うのでしょう?
チャー:10数年前にジムと出会った。彼はロンドン生まれで、レッド・ツェッペリンのデビューコンサートをマーキーで見たとか言うわけよ。付き合っているうちに、同じ匂いのするものを聴いてきてるってことがわかった。あれだけ情報のない時代にイギリスと日本に離れて住んでいてもだよ。逆に言うと情報がなかったから、自分の嗅覚で嗅ぎ分けてきてたんだよね。あいつは向こうでプロになって、オレは日本でプロになって、そして出会って“せーの”で何かをやろうとすると、2人にある共通言語である’70年代の匂いが自然に出てきたわけよ。
――具体的には?
チャー:何々風にとか、こういうビートでとか、テンポとか言わなくても、オレが“ジャジャジャ”って始めるとどこが一拍目かわかるし、ビートは倍なのか半分でとってるのかもわかる。自分達に知らないうちにインプットされている何万という数のロックのリフのボキャブラリーが引っ張り出されるんだろうね。これをどれだけ共有しているかによって音楽の遊び方が変わるんだ。こっちが無意識に何万分の1かのフレーズを出すよね、これは昔コピーした誰かのフレーズなんだよ。それに対して向こうも瞬時にドラムのフレーズを引っ張ってくる。これが決まった時って気持ち良いんだよ。そして自分の中の別のレベルにインストールされているものの中に“こう来たらサビはこう行くよな”っていうのがある。それもアイコンタクトでわかっちゃうから、同時に行けちゃうんだよな。
――このアルバムは実質的には2人で作ったんですね。
チャー:自分達が楽器を持った時に一番ストレートに出せる音でアルバムを作っちゃおうということで。’70年代を総括しようとかそういうことじゃなくて、自然に出てきたものなんだよね。でも、自分の音楽ができあがっていくにつれて、こういう音楽をオレにやらせているのって、やっぱり’70年代にいたアーティスト達なんだなぁと思った。彼らがある意味でやり残したことをオレ達は模索してやってんのかなと。だから、この音楽っていうのは、ローティーンのような洗練されてない乱暴な音が多い。でもそれをあえてオレ達がやったら、ただガサツで乱暴なだけじゃなく、無理して若ぶってないちゃんとした不良の大人の音になるんじゃないかなと。着飾った部分じゃなくて、自分の日常を出したいと思ったんだよ。社会にいる俺じゃなく、もっともっと根源的なオレっていうところでギターを持ってね。やっと48歳にして、喜怒哀楽をエレキギターで表現できるようになったのかな。
――CDを聴き通してみて、引き出しの多さに驚きました。「JAY」での6/8拍子を4つで取っていく感覚、「UNDERHILL DAYS」でのオクターバー、「UNEXPECTED」のソロは最初マンドリンかと思いました。
チャー:あれは12弦なんだよ。ここは12弦のソロだなって聞こえてくるんだよ。それが’70年代のアーティストを聴いてハマって、知らないうちに分析までしてたっていうことなんじゃないかな。それくらいいろいろなアーティストが出てきたからね。
――アルバムを作り終えての感触はどうですか?
チャー:いまは歩きながら音楽が聴ける時代になった。そしてコンピュータでダウンロードできたりケータイで聴ける。こういう風に情報量が増えて何でもできるようになればなるほど、オレ自身は昔に戻ると思うんだ。本当に面白いものっていうのは、自分で実際に行ってつかんでこないとわからないじゃん。でも、近い将来に二極化するんだろうな。使い捨てのものと使い続けられるべきものっていうのは。そんな時に、捨てられないアルバムになってくれればいいなと思うね。
取材・文●森本智