【インタビュー】片平里菜、10thシングル「愛するたびに」で立ち返った自身の内面「まずは自分を愛さないといけない」

2026.04.08 19:00

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■札幌の音楽仲間との平和な夜
■そんな夜を曲にできてよかった

──それこそ20代の頃の片平さんのラブソングでは、恋愛は厄介なものだったと思うんです、それも含めて、楽しくて愛おしいものでしたが。だけど、今はそれを超えて、愛というものは厄介なだけじゃないものだ、と思えている?

片平:もともとは甘美で美しく、素晴らしいものだと思って始まった愛ですけど、それが自分の心の問題とかと絡んで、とても厄介に感じたり、煩わしくなったり、離れていきたくなったりしましたけど……やっぱり求めたいものなんですよね。

──なるほど。

片平:でも「愛するたびに」という曲は、誰かを愛すること以上に、まずは自分を抱きしめる、みたいな自己愛のほうが強いかもしれない。自分の心のなかに恐れがある限り、誰のことも本当の意味で愛せていなかったと気づいて。だったらまずは、自分を愛さないといけない。不安や恐怖ってどんどん膨らんで、また違う問題を引き寄せてしまうから、そんな自分を抱きしめて“大丈夫だよ” “なんとかなるよ”と言ってあげて、進んでいくことが大事なのかなって。

──それを曲にしているということは、今の片平さんはそれに気づいて前に進めているということでしょうか?

片平:そうですね。20代の恋愛や、幼少期から10代までに抱えていた親との愛情問題を振り返ると、私はずっと安心感を持てなかったんです。恋愛に限らず、人と対峙することにおいて、常に不安定で自己否定感がすごく強かったから、恋愛もそんなにうまくいかなった。だけど、自分なりに愛の旅を進んでいくなかで、だんだん“あ、これが原因か!” “こいつが傷だったのか!”って見えてきて。

──原因が見えてからは、自分を愛せるように?

片平:完全ではないですけど、それまでよりは上手に自分と向き合って、自分を愛せているのかなと思います。自分の機嫌取りを頑張って、今はとってもすっきりした気持ちです。

──素敵ですね。

片平:人によっては、この曲を聴いて“里菜ちゃん、また失恋したのかな”とか“苦しそうだな”と思うかもしれないんですが、私のなかではとても前向きな曲だと思っていて。自分の中の不安感や恐怖感みたいなものを全部抱きしめて、“大丈夫、All right”って歩き出しているイメージです。

──そんな大切な曲は、浜田将充さん(B)、高橋飛夢さん(G)、マコトU.S.Aさん(Dr)と共に作り上げたシンプルなバンドサウンドになっています。

片平:ここ数年ずっと弾き語りツアーをしていたんですが、去年の夏、久しぶりに“片平里菜バンド”を組んで、バンドでワンマンツアーを回ったんです。それがすごく楽しくて。高橋飛夢さんとマコトU.S.Aさんは、THOMAS MARQUARDTというバンドをやられているのですが、お二人のライブを見たときに、自分の声が埋もれずにバンドをやっている絵が浮かんで、“この中で歌いたい”と思ってお願いしました。浜田将充さんは Idol PunchやLEARNER BOYSのベーシストで、すごくバンドマンっぽい方。ハマさんがいるだけでバンド感が出るみたいな。その三人のバランスが良いなと思っていたので、「愛するたびに」のレコーディングも一緒にやってほしいとお願いしました。無駄を削いだシンプルなアレンジだけど、曲の最後はちょっとだけゴスペル調になって、クラップも入って、ハッピーに終わっていくという素晴らしい曲になりました。このメンバーでレコーディングができてよかったです。

──バンドとのレコーディングや曲作りというと、2曲目「そんな夜を」は札幌在住バンドのBENBEと制作したそうですね。その経緯を教えてください。

片平:一時期、東京で曲が全然書けなくなっちゃって。去年9月に「夏の祈りのなかで」という曲を作ったんですけど、それはツアー<風の吹くまま>最終公演で沖縄に行って、6月23日の慰霊の日を沖縄で過ごす中で言葉を紡いで作った曲だったんですね。で、“東京で曲ができないなら、いろんな土地で曲を作るのもアリだな”と。BENBEというアイリッシュサウンドのバンドは札幌に行くたびに対バンしてもらっていて。大好きだし、彼らのサウンドは片平里菜との親和性も高いから、一緒に曲を作ったら面白いかなと思ってオファーしました。

──曲作りはどのように?

片平:BENBEの皆さんには「とりあえず札幌に行きますね」と言って、1週間以上札幌に滞在したんじゃないかな。狸小路という音楽好きの呑兵衛がいっぱいいる場所があって、結局は毎日そこで飲んで終わったんですけど(笑)。だけどその期間が自分にとってとてもよくて。“札幌の音楽仲間たちには、こんなに平和な夜があるんだ”と感じたので、それをそのまま曲にしました。曲は札幌のホテルでひとりで作って(笑)。

──東京では曲ができなかった理由が、なんだか少しわかるような気がします。

片平:デビュー曲「夏の夜」もそうですけど、私には眠れない夜が多々あって。札幌の深夜12時から4時くらいの、夜から朝に移り変わるグラデーションの中を生きる人たちと一緒にいることが、私にとって救いだった。そんな夜を曲にできてよかったです。

──BENBEのメンバーとはどのような作業をされたのでしょうか?

片平:それだけで滞在期間が終わってしまったので、東京に帰ってから、BENBEに曲を渡してアレンジしてもらいました。間違いないアレンジが上がってくることがわかっていたので。

──“BENBEと作ろう”と思った時点で、ある意味、この曲は完成だったのかもしれないですね。片平さんの中から出るものは普段とは違いました?

片平:違いましたね。その頃は自分に飽きていたというか、自分らしさを一回壊したいと思っていた時期だったんです。だから片平里菜らしさを一旦置いて作りました。BENBEを知っている人からすると“BENBEっぽい曲だな”と思うかもしれない。それくらい作り方を変えましたし、それが私的にはバッチリでした。それこそ、タイトル曲の「愛するたびに」は札幌から帰ってきてから、東京で作ったものなんですよ。

──そう考えると、本当に札幌に行ってよかったですね。

片平:はい。自分を一回壊したからこそ、取り戻すことができたものもあったのかな。必要な過程だったんだろうなと思います。

──3曲目の「うたのふるさと」は、冒頭で「その土地土地に根付いている音楽の魅力を知ることができた」とおっしゃっていた通り、全国の民謡の囃子詞(はやしことば)を採り入れた楽曲ですね。

片平:民謡は本当にたくさんあるので、私に所縁のある土地の民謡の囃子詞をピックアップして。その土地土地の民謡の歌い回しや音階を模倣しているわけではないんですが、自分の作ったフォークソングに乗せて、民謡の囃子詞を取り入れるという形で作りました。最初の“えんやーこーらー”は全国どこにもある囃子詞で、“いーやーさーさー”は沖縄、“あーえんやーやっさー”は能登半島の砂取節。“なーはーはー”は私の地元・いわきの念仏踊りから取りました。いわきじゃんがら念仏踊りは死者への思いを込めた念仏なんですが、“なはは”って笑うんです。“命がある人は笑いましょう”という思いがこもっていて。それもすごく素敵だなと思ったので入れました。

──じゃんがら念仏踊りは小さい頃から馴染みのあるものだったんですか?

片平:実はそうではなくて。いわきはお母さんの地元だったので、お盆には必ず帰っていたし、聴いていてもおかしくないはずなのに、小さい頃は見たことも聞いたこともなくて。いわきじゃんがら念仏踊りを初めて体感したのは、震災後。毎年3月10日〜11日にタテタカコさんが福島でイベント<ASYLUM>をやっていて、いわきじゃんがら念仏踊りのチームが演舞されるんですね。そこで初めて見たんですが、すごくカッコ良くて。沖縄のエイサーのルーツになっているという話もあって、素敵な文化だから続いてほしいなという思いも込めています。