――「Shoganai(しょうがない)」「Mie Gakure(見え隠れ)」など、日本語がタイトルに使われていますが?
ロバート:タイトルを日本語にした理由のひとつは、キング・クリムゾンの日本のファンがいかに大切かを示す証なんだ。で、もうひとつには、言葉のニュアンスというものの受け取り方は、その国の人たちによって変わる、ということがある。例えば“セ・ラ・ヴィ(人生なんてこんなもの、というような意味)”というフレーズは英語でも使うが、もともとはフランスの言葉だ。
交通渋滞に巻き込まれたときの“どうしようもないな”という気持ち、それが“しょうがない”に当たるのだが、そういう微妙なニュアンスの違いを表わすために、外国の言葉を使ったんだ。何人かの日本の友人から聞いたんだが、この“しょうがない”という日本語の中にも、さまざまな意味が含まれているということは承知しているよ。
人生とは非常につらいもので、もう駄目なんじゃないか、と思うこともある。実はこの『しょうがない』というミニアルバムは、次のフルアルバムと対のような形になっているんだ。この『しょうがない』は、もうどうしようもない、できることはほとんどない、という意味なんだが、次の『The Power To Believe』には、そうした中からでも何かができるんじゃないか、という希望がある。だからこの2枚は対だ。一方は望みがあるも、一方には望みがないもの、というね。
――クリムゾンには、日本にも根強くそして非常に熱心なファンたちが多くいます。しかし、そうしたファンですら、ロバート・フリップが次に何をするか、予測がつきません。
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ロバート:人生の目標というものは、一個人としてはある一定のものを常に持ち続けることができる。だが、それが達成されるかどうかは、自分だけではどうにもならないこともある。それには外の環境に左右されるもので、必ずしも自分の考えたとおりに事が運ぶとは限らない。それこそが、今回のテーマである“どうしようもない”と、もうひとつの“もしかしたら可能なこともある”に集約されているんだよ。例えば、今から3年後に何が“起こる”かということは言えないけれども、自分が“起こす”ことなら4年後のことでも分かる。なぜなら、起こすことというのは、自分の目標だからね。
――キング・クリムゾンは常に進化し続けて来ましたが、それは蝶が幼虫からさなぎ、成虫へと変態するような、いくつかのターニング・ポイントを経てきた進化だと思います。そう考えると、まさに今がそのターニング・ポイントの時期なんでしょうか。
ロバート:そうだ。君の言うとおりだよ。
――それは、メンバーによるものでしょうか、それともあなた自身によるものなんでしょうか?
ロバート:私自身バンドの一員であるから、その両方だね。何が起こっているかは誰にも分からない。とりあえず、具体的なツアーの日程は来年の秋くらいまである。来日公演を含めてね。その後、何が起こるかというのはまったくの白紙状態で、誰にも分からないんだ。
――今回のミニアルバムに収録されたM2「Happy With What You Have To Be Happy With」は、キャッチーな中にもクリムゾンのキング・クリムゾンのフレーヴァーがあふれていて、昔から聴き続けてきたファンにもアピールしそうですね。
ロバート:ということは、次のアルバムも気に入ってもらえると思うね。そう、フレーヴァー、味わい、だ。キング・クリムゾンの今後は、アルバムの評価、反応によって大きく左右されるんだ。目標というのはさっきも言ったように一定してあるんだが、それをどのように達成するかという選択肢は、そうした反応によって変わってくると思う。
――M8「Potato Pie」は非常に興味深いブルースですが、クリムゾンがブルースをしたら自然にこうなってしまったのか、それともクリムゾンが提示するブルースはこういうものだ、という作りこみがあったのでしょうか?
ロバート:ブルースという大変長い歴史のある音楽体系に関して、提示しようなどというのはおこがましいのだが、一応、私が考えるキング・クリムゾンのブルースというものがこれだったわけだ。2年前のことだが、これをエイドリアンに聴かせてから2年、彼はこれに合った歌詞をつけることができなかった。それで切羽詰って、このテープを翌日イギリスへ持っていかなきゃならないという時になって、やっと出来上がったんだ。2年待った甲斐があったと彼に言ったよ。
――ブルースをベースにしてますが、これまで聞いたことがないものになっています。それは狙った結果なんですか?
ロバート:そういわざるを得ないね。だからといって、それがスゴいこととだは思ってない。本当に“クリムゾン・ブルー”なんだ。
――ブルースを皆が参加して楽しむものだとすれば、この曲はブルースの形態をとりながらも、参加することはできませんね。そういう意味でやはりクリムゾンの“作品”になってます。
ロバート:(ため息をついて)もっと楽にできればいいと思うんだが。クリムゾンというのは常に新しいものを求めている。だから新しい車輪を作っていく。できた車輪はそのもの自体はまったく同じだが、そこから出てくる音は少し違う。なぜそんなに大変だったのか、って思ってしまうよ。
――「太陽と戦慄」はなぜ収録を?
ロバート:このバンドのあり方というものが如実に表れているんだ。ここに入れなかったら、ほかに入れるところがない。今のバンドのアイデンティティを表わすものとして大事だったんだね。
――本当の意味でプログレッシヴな活動ですが、それを生み、推進するエネルギーは、あなたのアーティストとしての“性”なんでしょうか?
ロバート:常にプログレッシヴであり続けているのはまさにそうなんだが、そのあり方というのも、重力に従う方法と、重力に反する方法がある。クリムゾンの場合は常に反しているから、いつも苦しいし難しいんだ。
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――最後に、インターネットはあなたにどんな影響を与えていると思いますか。あるいはこれから、どんな影響を与えるでしょう?
ロバート:アーティストの立場として言えば、まだテクノロジーが追いついていない。例えばライヴ・パフォーマンスをすぐにも観られるようにするにしても、帯域が十分ではないから無理だろう。アーティストとしての欲求を満たすほどには、まだ発達していないね。だが、人間として、またビジネス面では、例えば世界中とメールでやりとりするということでは役立ってるよ。