●ヨーコさんの挨拶 出来上がったミュージアムを見て、まず、はるばるニュー・ヨークから来た甲斐があったと思いました(笑)。とても素敵なミュージアムになっちゃいましたから……、なっちゃったっていうのはおかしな言い方ですけど(笑)。今はホッと一息といった感じです。 こうしたジョンのミュージアムを作りたいという話は、他の国々からもいくつか貰っていました。ただ、どういうんでしょう、なかなか信用できないものもあって……。そんな時に今回の話を頂いたんですけど、日本でやると「またヨーコがひどいことをした」と言われるのでは、と思いました(笑)。ですから(このミュージアムを日本に作ることは)、私にとっては一種の「賭け」のような気がしていたんです。 ご存じのように、ジョンは日本をとても愛していました。いま、ジョンは何処か……、宇宙の中の1点か何かにいると思うんですね。だからそこから見ると、アメリカだろうとイギリスだろうと、日本やフランスだろうと、彼の居るところから見たら違いはないんじゃなかって、同じなんじゃないかと。そんな、とても宇宙的な見方でもって見てるんですね。 完成したミュージアムは、世界的なスケール、標準からも誇りを持って見てもらえるものになったと安心しています。ほんとうに素晴らしいものが出来ました。ただ、いくら始めが良くても、このままでいいというわけではなくて、ここから成長していくことが大事です。ですから、皆さんにもそんなふうに、暖かい目で見てもらいたいですね。どうか、よろしくお願いします。 ●質疑応答 ジョンが亡くなって20年経ちました。10月9日はジョンの誕生日ですが、今はそれを祝えるようになったのでしょうか? ジョンが突然去ってしまったことは、とてもショックでしたね。最初の1,2カ月は気持ちがずっと震えているようで、非常に辛かったですけども。でも、そのうちにジョンが残していったものを世界へ出していこうという気持ちになりましてね。今はまた、2人がいつも一緒にいるような、ジョンがそばにいていつもアドバイスしてくれているような気がしています。誕生日は、ジョンの精神が世界へ広がって、巣立っていくことをお祝いしている、ということですね。 若い世代の人たちに、このミュージアムをどのように見てもらいたいですか? それはねぇ、(私たちが)コントロールできることではないですし、アーチストとして私もジョンも、そのことを知っています。ただ、ジョンが私たちと歩んだ道……、ほんとうに嵐の中を歩いているような緊迫感のある道だったんですが、それを見てもらって、分かってもらえればいいですね。 ミュージアムに提供した品々は、どのような基準で選ばれたのでしょうか? ジョンはとても多面的な人でしたから、絵も音楽も同じくらいやっていましたね。あと、詩人……、といっていいと思うんですけど、言葉というものをとても大事にしていました。だから、それが分かる品々を、たくさん見せたいと思って。また、ジョンも一人の人間ですから(笑)、彼にも生活というものがありました。それが立体的に分かってもらえるものを選んだ、ということですね。 なぜミュージアムを日本に作ったのでしょう? ジョンは日本をとても愛していたし、東と西の調和というものをとても望んでいましたからね。息子のショーンは日本人とのハーフで、それで何かと、私たちを東と西の間の掛け橋のように感じていましたし……。ジョンの国境のない世界という考え方からも、彼の博物館が日本にあってもいいのでは、と思ったわけです。 ジョンの残した品々が見られるのは、ファンにとっては嬉しいことです。しかし、一方でジョンは自らが神格化されたり、崇拝されることを嫌ってましたよね? ジョンはこれまでずっと、自分がした間違ったこと、自分が困っていることすべてを正直に世界に報告してきました。ですから、そういう意味で神格化されるはずがないんですね。皆さんがジョンを愛してくださるのも、彼がそういった正直な、何も隠さない人間だからだと思うんです。ですから、このミュージアムもジョンの生活を正直に出しているわけです。 日本の音楽シーンについて、なにか意見はありませんか? 私は決して、よく知っているとは言えませんけど(笑)。標準、レベルはとても高いと思います。ただ、どうしても地理的な問題で、世界的な展開には難しい問題もあるんでしょうねぇ。ショーンは日本の音楽がとても好きで、すごく熱心に聞いていますね。友人のミュージシャンなんかがNYに来ると、よく彼らと一緒に訪ねてきてくれます。 ミュージアムにはショップやレストランが併設されていて、とてもコマーシャルな印象がしますが。 ビートルズって、歴史上最もコマーシャルなバンドでしょう?(笑)。私はジョンがこれを否定するとは思わないんです。コマーシャルということは、決して悪いことではないと思うんですね。それは、ジョンのメッセージを世界へ送り出すことを可能にしたわけですから。 ミュージアムを作った大成建設について、何かありますか? 会見に出席した3人。向かって左が浜田氏、右が菊地館長 | | (会場内に笑い。ヨーコさんも隣の菊地氏を見て笑いながら)正直に申し上げて、日本の建設会社……、私たちがイメージしてしまう建設会社ってことですね。そういうところにアーチストであるジョンのミュージアムができるのかしら、とは思いました(笑)。でも、ほんとうに想像していたより標準が高くて、芸術的なものができたと思います。素晴らしいと思ってますよ。 最近はジョンがTVCMに登場して、ファンとしては少し複雑な思いもあるのですが。 ジョンはとても人間的な心、魂を持った人でした。そういう意味で、今も生きている人間のように、どんどんTVにも出してあげたいし、現代にも生かし続けてあげたいと思ってるんです。 ジョンとの出会いについて若い人の中には知らない人も多いので、ぜひヨーコさんの口から話してほしいのですが。 '66年の個展のとき、オープンの前日に画廊のオーナーがジョンを連れてきたんです。オープン前だったので、私は中を見せるのが嫌だったんですけど。彼は、見た人が壁に釘を打っていくという作品の前にいて、それで自分にも釘を打たせてもらえますか、と聞くわけです。私は、まだオープン前だったので、最初は駄目といったんですけども……。ちょっと考えましてね。5シリング払ったら、打ってもいいですよ、と言ったわけです。そしたらジョンも少し考えて、じゃあ、僕が想像上の5シリングを払ったら、想像上の釘をここに打ってもいいですか、と返してきたわけです。そのとき「ああ、この人は私と同じような感覚を持った人なんだな」と感じましてね。そうしたユーモアでこちらに答えたということで。まぁとにかく、そのときのジョンはエレガントな人でしたよ。その後、会ったときは、まぁ、少しむさくるしい格好をしてましたけど(笑)。そのときは、とてもエレガントでした。 ヨーコさんが思い出深いと語っている軽井沢滞在時の服。写真とともに展示されている | | 展示物の中で、特に思い出深いものはありますか? みんな、それぞれに思い出があるんですけど、やはり、そうですね……。先ほども見ていて、軽井沢の風景のある辺り(「ゾーン9:ハウス・ハズバンド」に展示されている軽井沢滞在時の品々)で、胸が詰まってしまいましたね。あの時のジョンとショーンと私の写真と、着ていた服があって……。嬉しいのような、もの哀しいような気がしました。 最後にメッセージをお願いします。 ジョンはとてもパワフルで、大きなエネルギーをもった人でした。ジョンがたどった道をこのミュージアムの中でたどることで、彼のエネルギーを皆さんの心の中に持って帰っていってほしい。そして、それを育んでもらいたいと思います。 ジョン・レノン・ミュージアム 館内レポートはこちら | |