| ちょっと振り返ってみよう。アヴリル・ラヴィーンが'01年に発表したデビュー・アルバム『レット・ゴー』がシーンにもたらした影響は、全世界で2,000万枚以上という驚異的なリリース枚数を記録したことだけには留まらない。たとえば、彼女の登場で、ポップ・アイドルではない10代の女性シンガーに次々と注目が一躍集まることになった。
また、トロントのストリート・シーンの充実度がサム41やネリー・ファータドの活躍ともあいまって世界的に知られることになったのも、記憶に新しいだろう。
とはいえアヴリル自身は、それを意図していたわけではないという。むしろ、子供の頃からただ音楽を愛していただけの彼女は、16歳から17歳にかけての当時のことを、いまこんな風に振り返ってみせる。
「どんな音楽をやっていくのかっていうことが、あの頃は自分の中では漠然としていてよくわからなかったのよ。だって、そんな事を具体的に考えるには若すぎる年齢だったのもあるしさ。そもそも、自分がどんな人間なのかもわからないっていう年頃だったし」
最新アルバム『アンダー・マイ・スキン』は、そんなアヴリルがはっきり「自分のやりたいこと」を自覚し、そこに向かってまっすぐに進んでいったことがよくわかるアルバムに仕上がった。ポイントはあくまで、ロックンロール。
「私がもともと好きだった音楽が、そういうものだったから」とアヴリルはさらっと話す。しかし、もしかしたら、プロデューサー・チームのマトリックスのカラーが濃かったと言われるデビュー作への反動も、あったかもしれない。
今回の共同ソングライター陣&プロデューサー陣は、あくまでロック一色。ことに、パール・ジャムやレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンらを手がけたドン・ギルモアがプロデューサーに名前を連ね、エヴァネッセンスを脱退したベン・ムーディと一緒に曲を書いたことは象徴的だ。
「ドン・ギルモアがベンを推薦してくれたのよ。彼がベンに声をかけて、私たちを引き合わせてくれたのよね。それをきっかけに、いい友達になって。2人で作ったのは合計4曲だったんだけど、最終的にアルバムに入ったのは1曲。それが“ノーバディーズ・ホーム”なの。この曲は彼にギター・パートを書いてもらい……ていうか、私もギター・パートを一緒に書いたんだけどね。というのも、私も最近はギター・パートも自分で書くようになったから。で、歌詞とメロディは、いつものように私が書いて」
また、プロデューサーには元マーヴェラス3のブッチ・ウォーカーの名も。他には女性シンガー・ソングライターのシャンタル・クレヴィアジックや、青春の疾走感を音に封じ込めるのがうまいバンド、アワ・レイディ・ピースのレイン・メイダなど、共同ソングライターとしてカナダ人のミュージシャンたちが参加している。おそらく、友人なのだろう。
「“ドント・テル・ミー”は、実は私が17歳の時に書いた曲なの。当時エヴァン(・トーベンフェルド:アヴリルのバンド・メンバー)は18歳で、彼がギター・パートを、私は歌詞やメロディなどを全部書いたのよ。このことが、私たちにとっては自信につながったわ。何しろ若かったし。まぁ今もまだ若いんだけど、とにかく私たちみたいな(職業作曲家ではない)単なる友達同士でもこんなにいい曲が書けるんだ、って。すごく自分に自信が持てるようになった気がする」
前作の経験を糧にして、今作のレコーディングでは自分が何をやりたいか、やりたくないか、的確にプロデューサーらに指示を出せるようになったとアヴリルは振り返る。だからなのだろう、「エナジーのあるロック・ソングに惹かれる」という彼女の言葉通り、ミドル・テンポのダークなバラードでも隠しきれない情熱が見え隠れする曲、ピアノやストリングスを使いつつもハッとするほど不穏な空気を漂わせる曲など、ロックという表現と「自分らしさ」をうまく調和させて、19歳ならではの現在をこのアルバムには反映させている。
「私が書いてこのアルバムに収録したものは、どれも私自身にとても近い曲だわ。だって、私自身が体験した事ばかりがモチーフだから。曲作りは、私にとってはセラピーみたいなものなの。自分が乗り越えて来た事と向き合えるわけだからね。そうやって吐き出すことで、私は楽になれるっていうか」
そんな彼女の言葉から考えると、この最新作の歌詞の多くが「終わりを告げた恋」をモチーフにしているのも、ちょっと気になるところだ。ともあれ、17歳から19歳へ、激動の2年を走りきった現在のアヴリルの目に見えているものは、私たちが想像していた以上に大人びている。「10代の教祖」の座をしごくナチュラルに脱皮してみせた一人の女性の成長の足跡が、アルバム全体からあふれ出ている。
取材・文●妹沢奈美 |
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