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55年10月18日生まれ、福岡県出身。''72年1月、NHK大河ドラマ『新・平家物語』で芸能界デビュー。同年8月にシングル「男の子女の子」で歌手デビューを果たす。甘い鼻声とキュートなルックスで一躍トップアイドルとなり、その年のレコード大賞最優秀新人賞を獲得。翌年にはNHK『紅白歌合戦』に初出場した。''77年に出演したTBSドラマ『ムー』では老舗足袋店の若旦那に扮しコミカルな役にも挑戦、新たな魅力を開花させる。''78年には同ドラマの続編『ムー一族』の主題歌となった「林檎殺人事件」(共演の樹木希林とデュエット)が大ヒットし、さらに広い層のファンを獲得。しかしその年の12月、年末恒例の行事であった各音楽賞の受賞を辞退することを表明。芸能界全体に波紋を起こした。

''79年に「マイ・レディ」、''80年に「セクシー・ユー」、''81年に「お嫁サンバ」、''82年に「哀愁のカサブランカ」と、コンスタントにヒット曲を世に送り出し、''84年に「2億4千万の瞳」を発表。

''87年6月、女優・二谷友里恵と結婚。新居をニューヨークに構え、英語やダンスのレッスンに勤しむ。''90年にリリースされたアルバムは、世間のイメージを逆手にとったかのように『アメリカかぶれ』と名付けられた。''93年1月、「僕がどんなに君を好きか、君は知らない」を、その翌年には「言えないよ」とバラード曲でのヒットを連発し、新境地を拓いたことを印象づける。また、歌手としてだけでなく舞台俳優としても初座長を務めるなど、この時期からより充実した活動が見られるようになった。''97年2月、舞台座長3作目の「ドラキュラ」出演中に右手首と肋骨を骨折するが、最終公演まで休座することなく舞台に立ち続けた。そのプロ根性に、多くの賞賛が寄せられた。同年4月、デビュー25周年記念シングル「Zeroになれ」発売。その翌月からツアー“HIROMIX WORLD”をスタート。8月には、デビュー曲から「Zeroになれ」までの全シングル曲とカップリング曲を収録したベストアルバムを、10月には広瀬香美プロデュースによるシングル「ゆっくり恋をしよう」を発表。''98年4月、幻冬舎より発売された『ダディ』にて離婚の真相が明らかに。

''99年7月、 リッキー・マーティンの「Livin'' La Vida Loca」をカヴァーした「GOLDFINGER''99」を発売。サビの“アチチ”というフレーズが印象的で、空前の大ヒットに。そして2000年6月リリースの「なかったコトにして」では、DANCE☆MANとのコラボレイトによりハイパー・ダンスチューンをGO快にぶちかましてくれた。

ストイックなまでに自身の芸に磨きをかける様は、プロ魂の極みとも言える。歌も踊りも芝居も笑いも、すべてにおいて勝利を収めている希少な存在である。

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