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ロック史上インパクトある出だしの曲は数多かれど、いきなり”Awop-Bop-A-Loo-Mop-Alop-Bam-Boom!“という意味不明のシャウトから始まる Little Richard の「Tutti-Frutti」は、未だに瞬時に聴き手の血圧を上昇させる狂騒感と猥雑な魅力を発している。または「Long Tall Sally」にも聴かれる、ここぞという時に脳天から発せられる"Whoooo!"というファルセット。イギリスの港街でこの曲を初めて聴いた14歳の Paul McCartney はそのカッコ良さに一発でヤラれてしまい、数年後 John Lennon に出会った時に Richard のヒット ・メドレーを完璧に歌いこなしてバンドへの加入を許されたという。更に数年後に見られる the Beatles のトレード・マーク、Paul が髪を振り乱して叫ぶ"Whoooo!"は、Richard へのオマージュであると言っていいだろう。Paul をそこまでイカれさせたものは、Richard の音楽が持つ、紛れもない R&R の本質であるのは間違いない。

Little Richard (本名 Richard Wayne Penniman)は、'32年12月5日ジョージア州メイコンで生まれた。近所の教会でピアノと歌を学び、幼い頃から街頭やバスのターミナルで歌っていた。'51年、Buster Brown's Band のボーカリスト&ピアニストとして地元のクラブに出演するようになる。"Little"という愛称はこの頃付けられた。'52年、ニュー・オーリンズのローカル・ブルース・シンガー Bill Wright と出会い、2つの点で強い影響を受ける。1つはそのブルース・フィーリング溢れるボーカル・スタイル、もう1つは15センチの高さに及ぶポマードべったりのヘアに、ケバケバしいメーキャップや衣装といった、ステージ上のスタイルである。

同年 Wright の薦めでアトランタのタレント・コンテストに出場し優勝した Richard は、RCAレーベルからデビューを飾る。4枚のシングルを制作し、ヒットには至らなかったものの、高音部を叩きつけるような独特のピアノ奏法はすでに完成されていた。'53年から'54年にかけて彼はヒューストンの Peacock Records でもレコーディングしているがここでも目は出ない。が、しかし翌年ロスのSpecialty Records のオーナー、Art Rupe のもとに数曲のブルース・ナンバーを録音したデモを送ったことから事態は好転する。Art は Richard と契約を承諾し、9月14日 Specialty での初レコーディングがニュー・オーリンズで行なわれた。

その時に録音された「Tutti-Frutti」は'55年12月にR&Bチャートで2位を記録、翌'56年2月までにはポップス・チャートでもブレイクを果たす。次の「Long Tall Sally」もR&Bチャートで8週連続1位という大ヒットになったが、ラジオ局では白人のカバーを優先させるなどの事態も起こった。更に第3弾「Rip It Up / Ready Teddy」も両面ヒットになるなど快進撃は続く。以降'58年までに「Keep A Knockin'」「Good Golly Miss Molly」「Lucille」など、R&R のスタンダードを次から次へと発表していった。

'58年1月、アラバマ州ハンツヴィルにある黒人牧師のための大学で講演。その席上で Richard は「過去2年間に1億ドル近い金を稼いだが、エンターテインメントの仕事からはもう離れる」と宣言をした。理由は飛行機事故に遭遇しかかった時に神の啓示を受けたからと説明している。その日以来信仰の道に進んでしまい、R&R を”悪魔の音楽“と呼び「R&R が死んだ」と言われる当時の一連の動きの一翼を担ってしまう。しかし今思えばこうした Richard の言動は、R&B が R&R を経てソウルへと移行し始める象徴であったとも言える。

ゴスペル・シンガーとしてわずかな成功の後、'62年にSam Cooke とのパッケージ・ツアー、更に1年後の the Rolling Stones とのヨーロッパ・ツアーで、エンターテインメントの世界に復帰。以来「アイ・アム・ザ・キング・オブ・ロックン・ロール!」と叫びながら派手なライブ・パフォーマンスを続け、'86年にはロックの殿堂入りを果たしている。