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前衛音楽の作曲家でありモータウン・レコードの重役である父と声楽を学んだ母の下、スペリオル湖の近い北ミシガンの小さな町で生まれ育ったP.J.オルソンは、5歳でクラシック・ヴァイオリンを習い始めたという。

そして10代半ばより、ベッド・ルームでこつこつとネイティヴ・アメリカンや中近東の音楽とヒップホップ・ビートを混ぜ合わせた楽曲を作ることに夢中になり始める。17歳の時、家族とともにドイツに移ったオルソンは早くもドイツの弱小レーベルからアルバム・デビューを飾る。

6年後、L.A.に戻った彼はダスト名義でシカゴのHIT IT RECORDINGS なる小レーベルよりアルバムを発表。その後、ドイツの有名テクノ・レーベル、EYE Q と契約するなど、オルソンの名はテクノ・ミュージック界で徐々に知られるようになる。

しかし、そんなオルソンに転機が訪れる。たまたま手にしたアコースティック・ギターによって、彼は普遍的な歌の魅力に目覚めたのだった。

その後、ソロ、あるいはバンドで演奏活動を行なっていたオルソンは、次第にレコード会社の注目を集め、ついにコロムビア・レコードと契約。ルーファス・ウェインライト、ベス・オートン、DJスプーキー、プラシーボらとツアーを行うかたわらレコーディングを開始。それは'98年、コロムビア・レコード傘下のRED INK からリリースされた8曲入りのミニ・アルバムに結実。ミニ・アルバムはプレスに歓迎され、翌'99年にはテレビ・ドラマ『ドーソンズ・クリーク』のサントラ盤に「レディ・フォー・ア・フォール」を提供。

ついにオルソンはアルバム『ワーズ・フォー・リヴィング』で本格的なメジャー・デビューを飾った。