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1984年結成。翌年、細野晴臣のプロデュースによりデビュー。1990年、オリジナル・メンバーである小西康陽と高浪敬太郎のもとに、3代目ボーカルとして野宮真貴が正式加入。彼女のファッションセンスやフレンチポップという耳新しいサウンドに対し、オシャレに敏感なリスナーを中心に火が付き始める。

1993年に発売されたアルバム『ボサ・ノヴァ2001』が好セールスを記録し、フジテレビ「ウゴウゴ・ルーガ2号」のオープニングに起用された「東京は夜の七時」でその評価と認知度は拡大していく。1994年にはシングル「5 X 5」でアメリカ・デビューを果たし、同年秋に発売されたアルバム『MADE in USA』は全世界で20万枚を越えるヒット作となった。しかしこの時期に高浪敬太郎が脱退を表明し、小西と野宮の2人編成での活動が始まる。

1995年に行ったワールドツアー(アメリカ10都市、ヨーロッパ4都市)で成功を納め、名実ともに世界的なアーティストであることを証明してみせた。以降、CMに出演したり楽曲タイアップが続くなど、日本国内での注目も急増。1997年には新レーベル*******records,tokyoを立ち上げ、その第一弾シングル「イッツ・ア・ビューティフル・デイ/愛のテーマ」を、6月には約2年振りのオリジナルAL『ハッピー・エンド・オブ・ザ・ワールド』を発売するなどさらに充実した活動を展開する。1998年1月には筒美京平氏作曲によるシングル「恋のルール・新しいルール」をリリースした。1999年11月1日に、自らの名前を冠したニュー・アルバム『PIZZICATO FIVE』を発売。同時期に野宮真貴の初の単行本「おしゃれ手帖」(パルコ出版)が発売となる。2000年1月には、ビニール・トート・バッグにアナログ盤5枚が収納されたアナログ・セット『ピチカート・ファイヴ・イン・ザ・バッグ』を限定で発売。

2001年1月1日、ニュー・アルバム『さ・え・ら ジャポン』を発売。雪村いづみ、デューク・エイセス、クレモンティーヌ、スパークス、松崎しげる、YOU THE ROCK★など多彩なゲストが参加し業界関係者から大絶賛を受ける。だが、ベスト・アルバム第3集『Pizzicato Five R.I.P. Big Hits and Jet Lags 1998-2001』をリリースした同年3月31日、かつてのメンバーであった田島貴男や高浪敬太郎、および大勢のゲストを招いたイベントを最後に17年間の歴史に幕を下ろした。