ニュース・最新情報
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エディ・ヴァン・ヘイレンがレスリー・ウェストへ贈ったギターがオークションに出品
エドワード・ヴァン・ヘイレンが、80年代、マウンテンのフロントマン、レスリー・ウェストへ贈ったFrankenstratギターがオンライン・オークションに出品された。
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マイケル・シェンカー、レスリー・ウェストを追悼「僕のヒーローだった」
マイケル・シェンカーが、12月22日に急逝したマウンテンのフロントマン、レスリー・ウェストへお別れの言葉を送った。
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マウンテンのレスリー・ウェスト、死去
アメリカのハード・ロック・バンド、マウンテンの創設者、レスリー・ウェスト(Vo,G)が、12月23日亡くなった。
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マウンテン紙ジャケ化、「ナンタケ」ライヴも再現
▲『レズリー・ウェスト/マウンテン』▲『勝利への登攀』▲『ナンタケット・スレイライド』▲『悪の華』70年代ロックに青春を燃やした貴兄へ、大変お待たせしました。
プロフィール・バイオグラフィ・リンク
Creamの高く舞い上がるようなブルースロックに、ロングアイランドの粗野なバーバンドの繊細さを加えるとMountainになる。この組み合わせ、実は我々が思うよりずっとうまく出来あがっている。CreamのプロデューサーだったFelix Pappalardiと元Rascals~Vagrantsの巨漢ギタリストLeslie Westが友人となったところから、Mountainはスタートした。
Felix Pappalardiのメロディセンスと、Leslie Westのメタルの原型とも言えるギタープレイをフィーチュアしたこのバンドは、''70年代初頭のハードロックの最高傑作アルバム『Nantucket Sleighride』をリリースしている。しかし、予想どおり2人の性格がぶつかり合い、麻薬の問題も絡んで、このラインナップはここで終わってしまう。
Felix Pappalardiは当初、''69年に発表されたLeslie Westのソロアルバム『Mountain』のプロデュースをするために、彼のプロジェクトに参加していた。しかし、その1年後には、ドラマーのCorky Laing(Ginger Bakerの弟子だったティーンエイジャー)とキーボードのSteve Knightを迎えて、彼らは公式にバンドとしてスタートする(ただし、キーボードのプレイはアルバムでは全く聴こえない)。
Cream同様、Mountainも、スタジオで録音した時は短い曲でも、ステージではどんどん即興演奏を加えて曲を長くするタイプだった。しかし、彼らの場合は、ジャムセッションを中心としたライヴ作品よりも、スタジオで制作したアルバムの方がずっと出来がいいようだ。
プロデューサーのFelix Pappalardiは、Creamの“White Room”で使用したのと同じ音像をMountainにも持ち込んでいる。そのため、彼らの唯一のヒット曲である“Mississippi Queen”のような大仰なロックソングにも、深みというものが加えられているのだ。また、天翔るようなタイトル曲“Nantucket Sleighride”で、Felix Pappalardiは、今日のメタルでは殆ど見られなくなってしまった優雅なメロディラインを展開している。
やがて、元Creamのベーシスト、Jack Bruceとスーパーグループを結成するために、Leslie WestとCorky Laingが脱退し、結局バンドは2年ももたなかった(ちなみにこのスーパーグループはその後も2枚のアルバムを発表しているが、1枚は素晴らしいものの、もう1枚は平凡な出来に終わっている)。
''70年代中頃、短期間だけオリジナルのMountainが再結成されたが、これは成功を収めることが出来ずに終わっている。
さらにロックの歴史の中でも非常に悲惨な殺人事件が起こる。''83年、ヘロインに埋もれた家庭で起こった口論の結果、Felix Pappalardiが妻に射殺されてしまったのだ。妻のGail CollinsはMountainで歌詞を書いており、アルバムのジャケットデザインも務めていた人物だった。
一方のLeslie Westは今でも活動を続けている。時にはCorky LaingとともにMountainの名前でプレイしたりもしている。
Felix Pappalardiのメロディセンスと、Leslie Westのメタルの原型とも言えるギタープレイをフィーチュアしたこのバンドは、''70年代初頭のハードロックの最高傑作アルバム『Nantucket Sleighride』をリリースしている。しかし、予想どおり2人の性格がぶつかり合い、麻薬の問題も絡んで、このラインナップはここで終わってしまう。
Felix Pappalardiは当初、''69年に発表されたLeslie Westのソロアルバム『Mountain』のプロデュースをするために、彼のプロジェクトに参加していた。しかし、その1年後には、ドラマーのCorky Laing(Ginger Bakerの弟子だったティーンエイジャー)とキーボードのSteve Knightを迎えて、彼らは公式にバンドとしてスタートする(ただし、キーボードのプレイはアルバムでは全く聴こえない)。
Cream同様、Mountainも、スタジオで録音した時は短い曲でも、ステージではどんどん即興演奏を加えて曲を長くするタイプだった。しかし、彼らの場合は、ジャムセッションを中心としたライヴ作品よりも、スタジオで制作したアルバムの方がずっと出来がいいようだ。
プロデューサーのFelix Pappalardiは、Creamの“White Room”で使用したのと同じ音像をMountainにも持ち込んでいる。そのため、彼らの唯一のヒット曲である“Mississippi Queen”のような大仰なロックソングにも、深みというものが加えられているのだ。また、天翔るようなタイトル曲“Nantucket Sleighride”で、Felix Pappalardiは、今日のメタルでは殆ど見られなくなってしまった優雅なメロディラインを展開している。
やがて、元Creamのベーシスト、Jack Bruceとスーパーグループを結成するために、Leslie WestとCorky Laingが脱退し、結局バンドは2年ももたなかった(ちなみにこのスーパーグループはその後も2枚のアルバムを発表しているが、1枚は素晴らしいものの、もう1枚は平凡な出来に終わっている)。
''70年代中頃、短期間だけオリジナルのMountainが再結成されたが、これは成功を収めることが出来ずに終わっている。
さらにロックの歴史の中でも非常に悲惨な殺人事件が起こる。''83年、ヘロインに埋もれた家庭で起こった口論の結果、Felix Pappalardiが妻に射殺されてしまったのだ。妻のGail CollinsはMountainで歌詞を書いており、アルバムのジャケットデザインも務めていた人物だった。
一方のLeslie Westは今でも活動を続けている。時にはCorky LaingとともにMountainの名前でプレイしたりもしている。