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2001年の初頭、元SOCIETYS FINESTのギタリスト、ティム・ランベシスが自らの音楽ビジョンを高めるために結成したバンドこそがこのAS I LAY DYING。当初はエヴァン・ホワイト(Gu)とジョーダン・マンチーノ(Dr)の3人組だった。結成から1ヶ月後、バンドはスタジオに入り1stアルバム、「Beneath The Encasing Of Ashes」をレコーディングする。このアルバムはPluto Recordsより2001年6月にリリースされた。

2002年8月にPluto RecordsからAMERICAN TRAGEDYとのスプリットCDをリリース、その後も休むことなくツアーを繰り返す。彼らの名は、アンダーグランドでは格段の知名度があり、それも手伝って数々の契約のオファーが舞い込んだ。その中から彼らが選んだのはMETAL BLADE。そして2003年3月にディールを結び、2ndアルバム「Frail Words Collapse」を同年7月にリリースする。

ティムによってプロデュースされたこの作品は、AS I LAY DYINGを新たなる境地へと誘う金字塔的アルバムになった。メインストリームな受け入れはなくても、そんなことは問題ではなかった。バンドはクラシックなイェテボリ・サウンドに基づいた、そのあのAT THE GATESを想起させるリズム、ボーカル、メランコリックなリフ。モダンなハードコアが息づくこのサウンドはアメリカのメタル界に新たなるシーンを開拓したアルバムになったのだった。

2005年1月、バンドはBIG FISH STUDIOS(「Frail Words Collapse」もこのスタジオでレコーディングされた)に入り、新作のレコーディングに突入する。プロデューサーはティムで、バンドメイトのフィル・エスグロッソ、エンジニア/コ・プロデューサーのスティーヴ・ラッセルも制作に加わった。そうして、彼らの全ての美学と努力を傾けた作品「Shadows Are Security」が完成したのだった。

「Shadows Are Security」のツアーは大規模なものになり、CORNERSTONE FESTIVALやOzzFest 2005の2ndステージのヘッドライナーを務めるなどの成功を収める。このアルバムについてティムはこう語っている。「今メタルコアは凄い人気があるって、俺達は皆分かっている。だから、そういう風潮に合うような"これがメタルコアだ"って曲を書くのなんて簡単さ。だけど、俺は確かにメタルコアの要素が少しはあろうとも、クラシックなメタル・レコードを作ったと思っているんだ。」

ここ日本では3度の来日公演(2005年:EXTREME THE DOJO Vol.12にてSHADOWS FALL、EVERY TIME I DIEと共に初来日。2006年:STORY OF THE YEARのジャパン・ツアーにゲストとして2度目の来日。2007年10月には日本最大のメタル・フェスティバルLOUD PARK 06に参戦)を経験し、抜群の知名度を誇っている。そんな中、メタルコアの常識を覆すアルバムがここに完成した(この作品直前にベーシストのクリント・ノリスが脱退。新たにジョシュ・ギルバートが加入している)プロデュースにはKILLSWITCH ENGAGEのアダム・デュトキエビッチ、ミックスはコリン・リチャードソンと最強の布陣で臨んだ作品こそがこの「AN OCEAN BETWEEN US」なのだ。ヘヴィでメロティックなメタルは全てのファンをノックアウトする要素が詰まりに詰まった最高傑作!

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