“12年間の大打ち上げ”~この空間を満たしている音のすべてを噛みしめて…~
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“12年間の大打ち上げ” ~この空間を満たしている音のすべてを噛みしめて…~ |
![]() 『PERIOD』 2000年12月23日発売ベストアルバム ユニバーサル ミュージック UUCH-1012 3059 (Tax in)
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折りしも千年紀の区切りである20世紀最後の年、日本の音楽界もひとつの区切りを迎えたのかもしれない。
’80年代後半~’90年代初頭、世に言うバンドブームの頃にメインストリームではないスタイルで我を貫き、新たなシーンを開拓したパイオニア的アーティストたちが、それぞれの回答を出した年でもあったからだ。 LUNA SEAの終幕――言葉こそ違えど、つまり解散である。 これまでにも何度かまことしやかに囁かれる噂でならば聞いていたし、メンバーそれぞれのソロ作品を発表したときにもバンド以外のところに目線が向いていることは明らかだった。 しかし、再びLUNA SEAとして活動を再開してからの作品とて余力ではなかったし、ましてや惰性で生まれたものではなかったと思っている。 むしろ、ソロ活動を経たことによって"LUNA SEAとして何をすべきか?"ということを再認識して構築した楽曲たちだったのではないかと思っている。そして、各々が個々を確立したプレイヤーとしてLUNA SEAのメンバーとしてのプレイを音源の中に刻んでいたのではなかろうかと思っているのだ。 そんな私の思い込みは、2000年12月27日、最後の時間を共有できたことによって確信へと変換することができた。 通常の取材ならば大抵は受けることのないカメラチェックを2回、入り口で受けて東京ドームの指定された席に着いたときには当日のメニューの6曲目「FACE TO FACE」のエンディングが演奏されていた。今、この空間を満たしている音のすべてが最後の一コマであることを会場にいる全員が噛みしめているかのように、ステージから発せられる音が吸収されている。しかしそこにはセンチメンタリズムなどという"お涙頂戴"的ニュアンスは皆無に等しい、LUNA SEAとそのファン、スレイブたちの対等な意思疎通が形成されていた。 この日のセットリストは、J(B)がMCで言っていたように、まさしく“12年間の大打ち上げ”と呼ぶに相応しい内容だった。 新旧楽曲を織り交ぜたメニューは、LUNA SEAと共に時間を重ねてきたファンの心をタイムワープさせ、マスメディアで紹介されるようになって以降の彼らしか知らないファンを"もっと早くに彼らと出会っていれば…"とたまらない後悔の念に陥れたはずだろう。 インディーズ時代の小さなライヴハウスでも、数万人を収容する大規模な会場でも、LUNA SEAのライヴは常に完成された、甘えや迎合のないものだった。 そして、12年間の集大成であるこの日、最上級の完成度を誇るステージングでバンドの最期を飾ったのである。 文●望木綾子(01/01/10) |











