【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話069「人間とイルカだけに存在する、おばあちゃんの不思議」

2026.09.11 16:38

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人間には奇妙なところがある。女性は一定の年齢になると閉経し子どもを産む能力を失うけれど、その後何十年も生き続ける。生物として考えればちょっと奇妙な話なんだとか。多くの動物は、繁殖能力の衰えと寿命の終わりが比較的近いところにあるという。要は多くの動物のメスは一生現役で、おばあちゃんは存在しないわけだ。

人間と一部のハクジラ類のみ、繁殖を終えた後にも長い人生が残されている。その「残り時間」は単なる余生として存在しているのではなく、祖母が子どもや孫を助けることで、自分と共通する遺伝子を持つ次世代の生存率を高めるためという「祖母仮説」が有力な考え方らしい。つまり、女性はある時点で「自分が子どもを産む」ことから「次の世代が生き残るのを助ける」ことへと役割を変えるのだとか。

人間は、己の遺伝子を残すだけの生き物ではなく、自分が得たものを次の世代に伝え引き継ぐ生き物でもある。知恵と経験の継承だ。イルカもその例に漏れないらしい。どこに食べ物があるのか。どこが危険なのか。いつ移動すればいいのか。誰を信用すべきなのか。どの植物が食べられるのか。どうすれば獲物を捕まえられるのか。

人間にとって「長く生きる」ことは、単に自分の生命を長く保つことではなく、長く生きることで知り得たことを次に渡すためにある。「おばあちゃんの知恵袋」は人間が獲得した「偉大なる伝承システム」というわけだ。

良く考えれば、音楽そのものもそうだ。音楽家が亡くなった後も音楽が後世に残るよう、レコードを作りCDを作りデジタルデータを作った。バッハはもういないけれど、バッハの音楽は生きている。ベートーヴェンもいないけれど「運命」や「月光」は永遠に鳴り響く。日本でも、何百年も前の民謡や祭りの音楽が息づいている。人は去り身体も声帯もないけれど、音は今もなお生きている。音楽とは、ある意味で「死後の情報伝達システム」だ。

自分自身が朽ち果てても、自分が持っている情報を次の世代に渡し、自分が経験したこと/感じたこと/考えたこと/作ったものは残り続ける。遺伝子は消えても、足跡は消えない。リズム、音程、音色、ハーモニー、アレンジメント、歌詞、身体感覚、感情…音楽は、単なる娯楽を超えて、「自分の外側」に情報を保存するための高度な仕組みとなっている。

人は繁殖能力を失った後も、経験を次の世代に渡すために生き続ける。次の世代は、その経験をもって生きる。さらに新しい経験を加え、そして次の世代に渡す。この繰り返しによって、人間は寿命という生物の限界を超えて情報を蓄積してきた。

ひとりの人間が死んでも、知識は死なない。音楽も死なない。物語も死なない。文化も死なない。受け継がれ、驚き、感動し、意味を見つけ、それが語られ、社会の波となる。情報は保存されただけでは意味がない。人間が何千年も続けてきたことは、「情報を残すこと」ではなく、「情報を次の人間へ手渡すこと」だったのであろう。

人間が本当に残したかったのは「情報」ではなく、「誰かが受け取った」という事実だ。自分が死んでも、誰かが歌を聴く。誰かが本を読む。誰かが物語を語る。誰かがその意味を考える。そこではじめて、死んだ人間の経験が、別の人間の現在になる。人は、自分の遺伝子のみならず、自分が選んだものまでも後世に手渡そうとした。

考えてみれば、「おばあちゃんの知恵袋」も「音楽」もやっていることは同じだ。自分がいなくなった後の誰かに伝承する。人間は死を超えられないからこそ、他人の中で生きる方法を発明した。それが文化であり、音楽だったんだろう。

文◎烏丸哲也(BARKS)

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