【インタビュー】もりひ、顔に穴が空く“希少がん”と闘病中の22歳のシンガーがCLUB CITTA’公演前に語る「無理はしないけど無茶はする」理由とは

2026.04.25 18:00

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顔に穴が空く“希少がん”と闘病しながらSNSを中心に発信し続ける22歳のシンガーソングライター・もりひが5月11日、神奈川・川崎CLUB CITTA’にてライブイベント<もりひ unbreakable bond -We Can Do Anything->を開催する。

小学生の時に、歯を作る細胞から発生する“明細胞性歯原性悪性腫瘍”と診断されたもりひは、左の頬骨を摘出する大手術を行い、治療法も確立されていない中、幼い頃から入退院を繰り返してきた。ひとりきりで病室で過ごす時間の支えになったのは音楽。治療を続けながらも学校に通い、中高では陸上部に所属した。病気と戦う上で支えになったというマカロニえんぴつの影響でギターを手にして、オリジナル曲も作るようになった。その後は、痛みと隣り合わせの生活を支え続けてくれた整骨院の先生に師事。専門学校に通いながら鍼灸師として働く日々を送り、未来に希望を抱いていた矢先、がんの再発が見つかった。

これまでにない絶望を味わう中、心配する家族や友人、彼女のために一念発起して始めたのがYouTubeなどSNSへの投稿だったという。現在の病状について赤裸々に語り、オリジナル曲をアップするもりひに、徐々に励ましや賛辞の声が集まり、現在ではTikTokのフォロワー数が26万人を突破。閲覧者の「生で歌が聴きたい」という声に応え、2025年の12月に地元・大阪で初のライブを開催すると、定員100人のチケットが即日完売に。「諦めずにやっていたら、いいことがあるんだな」とは、その時の心境を振り返ったもりひの言葉だ。

声を出して喋り、歌う。左頬に穴が空いている彼にとって、発声への試行錯誤や努力は想像を絶するものがあるに違いない。それでも生きること、挑戦することを諦めないもりひには「大きなステージに立ちたい」「自伝本を出版したい」という夢がある。その夢のひとつであるCLUB CITTA’でのライブイベントに賭ける想いについて、そして、いくつもの壁を果敢に乗り越えてきた半生について、たっぷり話を聞いた。

   ◆   ◆   ◆

■死ぬまでにまだやるべきことがある
■自分の境遇に当てはめて音楽を聴いている

──もりひさんは小学校2年生の頃から世界的にも症例が極めて少ない顔のがんにかかり、長い闘病生活を送られてきたと思います。SNSでも“何度も生きることに絶望した”と発信されていますが、ご家族や周りの方の愛情はもちろん、音楽はもりひさんにとって、どんな支えになりましたか?

もりひ:入院を繰り返す中、面会時間以外はずっとひとりなので、10代の頃は孤独感が強かったんです。ひとりの時に心の奥を支えてくれたのは音楽でした。スマホがあればYouTubeであったり、いろいろな音楽に触れられる時代なので。

──入院していたのは何歳ぐらいからですか?

もりひ:7歳ぐらいから入退院を繰り返していました。長い時は2〜3ヶ月ぐらい入院していたり。中学3年生のときに右頬への転移が見つかって、「外科的手術はもうできない」と医師から言われました。

──そういった生活の中で影響を受けたアーティストは?

もりひ:17〜18歳の時に出会った、マカロニえんぴつです。今も見返すんですが、『THE FIRST TAKE』のMCで「何かと暗い世の中ですけど、ずっと続く絶望はないと思っているので」ってはっとりさん(Vo&G)が言っていたことがすごく響いて。

──コロナ禍の時ですね。

もりひ:そうです。今も薬の副作用などで悩んでいるので、「ずっと続く絶望はないから」って自分自身に言い聞かせているし、僕は音楽に本当に支えられているんです。マカロニえんぴつはそういうメッセージを歌にも落とし込んでいらっしゃるので。

──ちなみにその前はどんな音楽を聴かれていたんでしょうか?

もりひ:ミスチル(Mr.Children)が好きで「終わりなき旅」とか、めっちゃ聴いてました。母親はドリカム(DREAMS COME TRUE)が好きなんです。

──メロディー自体もそうだと思うんですが、特に歌詞が刺さるような楽曲に惹かれたり?

もりひ:そうですね。マカロニえんぴつに「ボーイズ・ミーツ・ワールド」っていう曲があるんですよ。“死ぬ前に僕をちゃんと生きたいんだ”っていう歌詞が出てくるんですが、こういう病気なので“死んじゃおうかな”と思うことも何回もあったんです。そういう時に、“死ぬまでにまだやるべきことがあるな”っていつも思わせてくれる曲で、“夢の続きをあと少し見届けたいんだ”っていう歌詞もそうなんですが、自分の境遇に当てはめて聴いているんですよね。

──もりひさんの心境とシンクロしたんですね。では、入院中もライブ映像を観て勇気づけられたり?

もりひ:ライブ映像がなかったら入院中は乗り切れなかったです。“生きて、次のライブに絶対行くんだ!”という気持ちで、ずっとマカロニえんぴつのライブ映像を観てました。僕、2025年4月にも入院していたんですが、6月の横浜スタジアム(<マカロニえんぴつ 10th Anniversary Live 『still al dente in YOKOHAMA STADIUM』>)に行きたかったんです。で、退院後、大阪から横浜まで夜行バスに乗って行ったんですよ。

──“絶対に行くんだ!”と思っていた念願のライブはいかがでした?

もりひ:ステージにメンバーさんが登場されてから、ずっと泣いてました。顔を見るだけで涙が出てくる。

──もりひさんにとってのヒーローですもんね。

もりひ:本当にヒーローです。マカロニえんぴつは多くの人に知られているバンドなのに、ひとりひとりに対してメッセージしていて、誰もひとりにしないというか、置いていかないんですよね。「たくさんの人が観に来てくれているけれど、ひとりひとりがいて、マカロニえんぴつの存在がある」ってことを伝えてくれて。「いろいろな人生観があって、今の僕たちがいるんだよ」みたいなニュアンスのことをMCで言ってくれたりするんですよね。

──ええ。

もりひ:僕自身、SNSで発信していて思うことなんですが、見え方や捉え方って、人それぞれだと思うんです。誰ひとり置いていかない姿勢で音楽を作って発信しているのも尊敬しているところです。

──そんなもりひさんがギターを手にしたのは高校生の頃だったとか。

もりひ:はい。父が買ったアコースティックギターが家にあったんですよ。父は買うだけ買って全然弾いてなかったんですけど(笑)。ちょっと触らせてもらってYouTubeを参考に見よう見まねで弾いてたら、“案外弾けるな”と。ただ、その時は“さあ!ギターやるぞ!”っていうテンションではなかったんですね。陸上部に所属していて忙しかったので。

──え、体調が悪い中?

もりひ:そうなんです。中高とも陸上部で。しかも、高校は全国2位の強豪校に入ってしまったので、キツキツの生活の中で、昼休みになると音楽室にあるギターを友達と弾いたりして。

──その頃は比較的、病状が安定していたんですか?

もりひ:高校に進学してからの5年間は今より全然安定していました。

──それにしてもスポーツを選んだのはなぜなんでしょうか?

もりひ:僕、運動が好きなんです。それと性格的にすごく負けず嫌いなんですよ。中学の時、陸上部に入部はしたものの足がか細かったので、“本気でやるなら陸上が強い高校に入らないとな”って。

──難病を抱えているとは思えない考え方ですね。

もりひ:当時も放射線治療の副作用で鼻血が出て、貧血で倒れそうだったんですが、勝負の世界ではそんなことは言い訳に過ぎないですよね。高校2年の時に近畿大会の決勝まで進んで、高校3年では近畿インターハイまで行ったんですが、準決勝でケチョンケチョンにされました(笑)。

──実は、もりひさんはスポーツをやられていた方なのかなと想像していたんです。アスリートに通じるメンタルの強さを感じていたから。

もりひ:体育会系ではありますね。練習もかなりキツかったので、今の精神力は陸上部で鍛えられたんんじゃないかな。

──陸上競技にはトラック競技やフィールド競技、ロードレースなどいろいろありますが、どんな種目だったんですか?

もりひ:僕、トラック競技で400メートルをやってたんですよ。

──400メートルって、陸上競技の中でも“最も過酷”って言われてますよね(笑)。

もりひ:そうなんですよ(笑)。強豪校に入学したので、100メートルを選んだら、そもそも学校内の対抗戦で負けちゃうんですよ。だったら“誰も走りたがらない400メートルに行こう”って。気合い入れて。

──自ら進んで辛いところを選んだわけですね。

もりひ:本当にそうですね(笑)。

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