【インタビュー】もりひ、顔に穴が空く“希少がん”と闘病中の22歳のシンガーがCLUB CITTA’公演前に語る「無理はしないけど無茶はする」理由とは

■ステージに立っている僕を
■輝いた目で見てくれたのは本当に嬉しかった
──「昼休みになると音楽室にあるギターを友達と弾いたり」とのことですが、ギターを覚えたのもその当時ですか?
もりひ:熱中したのは高校3年の頃。僕にとっての先生はYouTubeですね。検索したらなんでも教えてくれるので(笑)。
──最初に弾いた曲は?
もりひ:スピッツの「空も飛べるはず」だったりかな。あまり複雑なコードは弾けなかったし、最初から弾きながら歌いたかったんですよ。音楽やってる時って何もかも忘れられるんですよね。それこそ闘病のことも忘れていたので、あの時の経験は大きいですね。熱中できたし、“楽しい!”って思ってなかったら、今、音楽やってないやろうな。
──原点ですね。当時からオリジナル曲を書いたりもしていたんですか?
もりひ:書いてましたね。高校生の時に作ったのが「ダブルタップ」っていう曲です。友達の失恋を面白がって歌詞にしたら、いつの間にか曲になっていたような思い出があります(笑)。もともと曲を作るのは好きだったんですが、まさかステージに立って、大勢の方々に見てもらうことになると思っていなかったので、感慨深いですね。
──高校卒業後、もりひさんは鍼灸師(しんきゅうし)の専門学校に通って、国家資格を取得します。鍼灸師の道を進まれたわけですが、その経緯についても教えてもらえますか?
もりひ:小学校の時に病気になって。腫瘍と一緒に左の頬骨を摘出して、歯をほとんど抜いているんですね。なので、入れ歯だから噛み合わせが悪いと肩こりと頭痛が酷いんですよ。そんな時に整骨院の先生に助けられまして。患者に寄り添ってくれる先生で、かけてくれる言葉が温かいんですよね。その先生に憧れて、“俺も先生みたいになろう”と。で、先生に弟子入りしたくて、高校卒業前からアルバイトとして事務作業をして、3年制の鍼灸師専門学校に通いながら、整骨院で働く生活を4年ぐらいしていたんです。
──ご自身も痛く苦しい想いを味わってきたから、誰かの痛みを少しでも和らげてあげたいと。
もりひ:そうです。痛みの苦しさは普通の人よりはわかっているつもりではあるので。よく“患者さんに深入りし過ぎると自分の精神がしんどくなる”っていいますけど、僕は“自分の体験をもとにして、患者さんの気持ちに寄り添えれば添えるほどいい。心のケアから治療に入りたい”と思っていたんです。それに人と喋るのが好きなので、痛みで苦しんでいる人の支えになれればと考えていました。当時はまさか、今のようにがんが再発するとは思っていなかったし。
──再発したことがわかったのはいつ頃だったんでしょうか?
もりひ:今から1年半ぐらい前ですね。宣告された時は頭が真っ白になりました。
──その後、どういうふうに気持ちを立て直していったんでしょうか? 簡単なことではないと思いますが。
もりひ:立て直したというよりも落ちるところまで落ちたんですよ。これ以上、底はないっていうぐらいに落ち込んで。もともと明るい性格だったので、そこまで参っている僕を見るのは周りの家族や友人も初めてだったと思うんですね。
──病気が発覚した小学校の時以上に落ちてしまったってことですね。
もりひ:幼い頃から、周りに暗いところを見せたくなかったので、その考えが癖みたいになっていたんです。だけど、その時ばかりはコントロールできる限界を超えてしまって、負のオーラが漂っていたと思うんですよね。
──社会人として日常を歩み出していただけに衝撃も大きいですよね。
もりひ:ええ。ただ、根本に明るい自分が残っていたので、“自分が落ち込んだままだと周りまで不幸にしてしまう。頑張らなあかん”って。身内に「俺、まだ頑張れるから」って発信するために始めたのが、SNSなんですよ。心配してくれた家族や友人に向けて、意気込みを見せたくて始めたので、まさかこんな多くの方々に見てもらえるとも思っていなかったんです。

──現在(4月中旬)、TikTokフォロワーが27万人、YouTube登録者数は12万人を超えています。
もりひ:見てくれる人が増えれば増えるほど、見てほしい範囲も広がっていったんです。同じように病気で戦っている人であったり、健康であっても悩んでいたりしんどい方っていっぱいいらっしゃるじゃないですか。背中を押すことまではできなくても、心の支えになったらと思うようになったので、そういう想いが、続けていくモチベーションになっています。撮影も編集も自分でしているんですけど、最初はYouTubeから始めて、TikTokやInstagramでも発信するようになって。
──ご自身の顔を出して現状について話されていたり。とても勇気ある行動だと思います。
もりひ:ありがとうございます。“やるしかない”って、見栄っ張りなところがあるので。
──「負けず嫌いだ」っておっしゃってましたね。でも実際、発信したら多くの方からのコメントが返ってきて、もりひさんご自身も励まされたところもありますか?
もりひ:もちろんあります。本当に僕自身助けられてます。
──歌うという行為には大変さが伴うと思いますが、どういう試行錯誤をしてこられたんでしょうか?
もりひ:やっぱり普通に歌おうとすると、声がなかなか届かないんですよ。顔に空いている穴から空気が漏れて声がこもってしまうので。口をすぼめて舌の動きを上手く使っているんですが……言葉で説明するのは難しいですね。残された口の機能を全部活かしている感じです。いろいろと工夫を重ねています。やっぱり好きなことをやろうと思ったら、人って実現できるように頑張るじゃないですか。なので、そういう努力は全然へっちゃらだと思っています。
──もりひさんの歌は透明感があって、声だけでも人を惹きつける魅力があると思います。SNSにはもりひさんのオリジナル楽曲もアップされていますね。
もりひ:最初は、“なにこの人? 顔に穴空いてる”みたいな感じで、驚いて見てくださったんだと思うんです。それが、いつしか数千人の方々が見てくれるようになって、そのうちに「もりひさんの歌が好きで、配信見てます」っていう声が届くようになった。病気に対する同情や応援コメントが多かったのが、「歌が聴きたい」とコメントしてくださる方々がどんどん増えて。“諦めずにやっていたら、いいことあるんだな”って思いましたね。そしてステージに立っている僕を、輝いた目で見てくれたのは本当に嬉しかった。
──そのライブの話も訊かせてください。もりひさんは2025年12月、地元・大阪で初ライブを開催しましたが、その経緯についても教えてもらえますか?
もりひ:きっかけは、いつものように弾き語り動画を上げたら、「私、生でこの歌を聴きたいです」ってコメントしてくださった方がいたことで。とはいえ、ライブを企画した経験もないので「フォロワー数が10万人ぐらいになったら考えます」って遠回しに返したら、本当にフォロワー数が10万人を超えて。「だったら、覚悟を決めてやってみるか」って、勢いでライブをすることを決めたら、チケットが1日で完売してしまったんです。驚くぐらいにフォロワー数が増えた時にライブを実施したという形でした。
──それだけ皆さん、生で観たかったんですね。
もりひ:嬉しかったですね。ライブが決まってから、先ほど話した高校時代の軽音部の友達に連絡して、バンドを組んだんです。
──なるほど、バンドメンバーは高校時代のご友人だったんですね。
もりひ:はい。僕が陸上部で友達が軽音部。高校時代の昼休みにギターを教えてくれた友達が「何かサポートできることあったらするよ」と言ってくれたので、「じゃあ、バックバンドをお願いしてもいい?」って。音楽の専門学校に進んだ彼が、当時の友達を連れてきてくれて、ドラム、ベース、キーボード、そしてリードギターの友人と僕の5人でバンドを組みました。
──高校生活の忘れられない思い出が今に繋がって一緒にステージに立つなんて、いい話ですね。
もりひ:そうですね。22歳にして“人脈って大切やな”って思いました(笑)。

──初ライブの経験が、その後の活動に繋がったんですか?
もりひ:そうなんですよ。あんなにキラキラした目で見ていただけて。そうしたら「もう一回やりたい!」と思いますよね。しかも、歌を聴いて泣いてくれるんです。思い出しただけで、今も泣きそうになるんですけど。
──もりひさん自身もライブ中、こみ上げてきてしまいましたか?
もりひ:その前からです(笑)。ライブ前に、チケットを取ってくれた方からメッセージをいただいたんですが、「人前に出るのも人混みに行くのも嫌いなんですが、もりひさんの歌を聴くために遠方から行きます」って。そのメッセージを見て、開演前から泣いてました。