コンサート二日目の3月9日の武道館は、30~50歳代という高い年齢層のファンであふれかえっていた。超満員の観客席をざっと見渡したカンジでは、「Let's Dance」以降の新しいファンではなく、'70年代からずっとボウイを聴き続けているようなファンが大挙して押し寄せているようだ。ミーハーな人は少なく、誰もがボウイに対して一家言持っているというツラがまえ。このファン達を喜ばせるためには、相当中身の詰まったものが必要だ。もちろん、それを実現してくれるのは決まっている。でも、それはどんなパフォーマンスでだろう。
前日の記者会見でボウイ自身が語っていたように、ステージはごくシンプルでデコラティヴなものはほとんどなく、ステージ背面の電光スクリーンが目立つ程度。ステージ上にはバンドのイクイップメントが並び、アンプ類はマーブル柄の布で隠されている。Key×2、G×2、Dr、Bという、いたってシンプルな構成だ。
コンサートはニューアルバム『REALITY』の初回生産限定盤にも収録されていた「Rebel Rebel」(1974年『Diamond Dogs』)で幕を開けた。黒のスリムジーンズにスニーカー、デニム素材っぽいタキシード、そしてエンジ色のスカーフをネクタイのように首に巻き、アップテンポの曲で逆光の中に立ち観客の大合唱を指揮する彼の姿はアグレッシヴだ。ソリッドなバンドサウンドに乗って独自のボウイ節を叩きつける様は、今日のコンサートが辿る道筋を暗示していた。そう、ここからボウイは、自分の声だけで勝負し、休むことなく2時間を歌いきるのである。
さまざまなテンポの曲を交互に配し、ところどころに名曲が顔を出す。前半のハイライトは、ステージ全体が真っ赤に染まり、メロディアスで不思議な旋律を説得力たっぷりに歌いこむ「China Girl」と幾何学パターンのライティングの中で迫力のシャウトヴォーカルを叩き込む「Reality」が続いたところ。かつて音楽性が作品ごとに変わって“カメレオン”と揶揄されてきた頃のボウイの姿はこの曲にはない。今いる自分の位置を唯一の場所であるとの決意が読み取れる。
ここからバラード「The Man Who Sold The World」、幻想的な「Heathen (The Rays)」などが演奏され、さすがに立ちっぱなしでそろそろ疲れの見えてきた高年齢層の観客は、「Under Pressure」(Queenの作品でBowieと合作)のイントロでふたたび元気を取り戻す。ヴォーカルの艶やかなこと。それとフレディ・マーキュリーのパートを歌ったベーシストの歌唱力にも拍手を送りたい。「Slip Away」では背面の電光スクリーンに映る歌詞を見ながら会場全体が大合唱。自ら白いハンドヘルドシンセも使いながら、笑顔で観客にアピールする。ニューアルバムからの「Looking For Water」ではギターを掻き鳴らしながら独自の歌唱法を披露し、音が飽和し演劇チックな「The Loneliest Guy」が終わってコンサートは終盤に突入した。
メロディアスでロックらしい「Ashes To Ashes」ではアヴァンギャルドなピアノソロ、それに負けじとボウイの高音も伸びがあって、観客席も疲れを見せずにノリが激しくなってきている。重い8ビートの「I'm Afraid of Americans」、そして大ヒットチューンの「Heroes」で興奮は最高潮を迎える。疲れているのに体が反応し、諸手をあげて手拍子を打ってしまう。ボウイのにこやかな顔を目の前にして、こちらの心も解きほぐれていく。昔のようなキメキメのコンサートもよいが、自然な躍動が感じられるこういうコンサートが現在のボウイには似合っている。観客が主体的に音楽を感じようとしている雰囲気をボウイが感じ取っていることが伝わってくるのだ。
アンコールは名曲のオンパレード。壮大な雰囲気の「Five Years」、「Suffragette City」、そして締めくくりは大グラムナンバーの「Ziggy Stardust」。ボウイの音楽人生と同じように、どれをとっても着想の違う曲が次々に飛び出し、大した休憩もなしに続けられた2時間以上のコンサートだった。
'74年の作品「Rebel Rebel」で始まり、30年間をぐるりと回ってから'72年の「Ziggy Stardust」で終わる構成で、過去から現在までのボウイのすべてを通して体験でき、これから先の彼の方向を垣間見せてくれたコンサートだった。連続した時間を同時に共有するということ、これは若手アーティストが真似をしようと思っても絶対にできない。キャリアがあればこその芸当なのだ。現在を生き続けるアーティスト、デヴィッド・ボウイ。止まるなんてことは彼の辞書には書いてない。
取材・文●森本智