Metallica。その名前ひとつでイメージからサウンド、そして生き様までをも一息に思い起こさせるバンドが他にいるだろうか(まぁ、Hayseed Dixieがいるかもしれないが、誰が数に入れるだろう)。Metallicaの偶像的ステータスを(MTVのおかげもあって)よく知る、Dave“Metalhead”DiMartino(LAUNCH.comのエグゼクティヴ・エディター)は、電光石火のごとく(その実情は飛行機とタクシーだったと言えば、彼のどん臭さがわかるというもの)、カリフォルニア州サンラファエルにあるMetallicaの本部へ向かった。同バンドの'93年のボックスセットのタイトルにあやかって、DiMartinoはJames Hetfield、Lars Ulrich、そしてKirk Hammettが、“大騒ぎして、きれいさっぱり吐き出す(binged and purged)”まで質問しまくった。Hetfieldのリハビリ入院から、ベーシストのJason Newstedの脱退、Napsterを相手取った同バンドの悪名高い闘争(編注:Metallicaの楽曲を違法に交換したとしてNapsterを告訴し、またMetallicaの楽曲を交換したユーザーの登録抹消を求めた。そのため、反Metallica運動が起こった)、そして新譜の『St.Anger』に至るまで、ありとあらゆることを。 実は、これがすべてではないのだが、DiMartinoとUlrichがカーリング観戦の話で息投合するに至った後の会話は省くことにした。 ところで、“'Tallica”なる気の利いたニックネームが、言葉の意味に引っ掛けて韻を踏ませようという我々の思いつきだとは考えないでもらいたい。Metallicaのメンバーが自らのバンドをそう呼んでいるのであり、従って上記の記載が怒りを、それも聖なるやつを呼び起したなら、直接'Tallicaにメールしていただきたい。 ──Metallicaのアルバムが出ることはもうないと思えた時期はありましたか? JAMES:この世界、何の保証もないからな。俺たちは永遠に枯れることがないとか、時の試練に耐えるとか、そう思いたい一方で、Metallicaもどこかで終わらざるを得ないことはわかっているさ。情熱か命か、どっちが先に尽きるにしてもね。ここ2年間、それぞれにずいぶんと自分探しをしてきた。3人の男と結婚してるような状態じゃ、女房なり恋人なりに「考える時間が必要なんだ」と告げるのも容易じゃないのに、それを3人の男に言わなきゃならないんだから大変なことだったよ。しかも、俺たちと仕事するために、向こう1年間のスケジュールを押さえてくれているプロデューサーまでいるんだぜ。俺は昔から、自分が何か必要としている時にそう主張するのがあまり得意じゃなかった。相手をがっかりさせると思うと…あの『MTV Icon』(編注:米MTVのスペシャル番組で、年に一度音楽界に功績のあったアーティストを称えるもの。去年の受賞はAerosmith)の収録の時だって、「声の調子が良くない。あいつらに何て言えばいいんだろう」って感じだったんだ。ただ正直に、「今はベストの状態じゃない。家がゴタゴタしててね。しっかりしなきゃいけないんだけど」って言えばいいだけのことなのに。だから、Metallicaから完全にプラグを抜いてリハビリに入った時は、19歳の頃から忘れられていたJames Hetfieldっていう人間と向き合い、深呼吸して、“やぁ”って挨拶するところから始めなければならなかったんだ。それくらい極端な話なんだよ。「もし来週、Metallicaがなくなってしまっても俺は生きていけるのか、それとも弱って死んでしまうのか。その程度の価値しか、俺にはないのか」とね。あれは大きな前進だった。Metallicaのメンバーとしてやっていくことが、全く違う新しい意味を持つようになったよ。 LARS:俺の中では、確かにあったね。'90年代は何もかもがすごい勢いで過ぎていって、落ち着く暇がなかった。状況を確認するってことをしなかったんだ。バンドの外で起きていることが先行して、バンドの内部の人間がどんな調子なのか、精神の安定ぶりはどうなのか、そういうことをじっくり顧みることもなかった。ほとんど突っ走ってばかりだったから、'00年にはガタが来始めたんだ。バンド内部があまり良い状態でないことが、目に見えてきたんだよ。人間関係も、人間そのものもね。それだけに、Jason Newstedが'01年1月にバンドを抜けると告げたのをきっかけに、他のメンバーや自分自身との付き合いにおいて向き合う機会がないまま過ごしてきたあれこれの、たがが外れて溢れ出したようなところがあった。そして'01年は、そんなウジ虫だらけの缶の蓋を開ける年になったんだ。Hetfieldは個人的な問題に対処することになった。'01年の秋、10月から11月にかけて、俺は初めてMetallicaの存続を疑ったよ。果たして未来があるのか、それとも「もういいや。今まで楽しかったぜ。ありがとよ。これからは違うことをやろうじゃないか」と、あとを濁さずに去った方がいいのか。あれから1年半経って、状況が180度転換したことを報告できるのはありがたい限りさ。最高のレコード、最高のラインナップと、良いことづくめだ。 KIRK:Jasonがいなくなって、JamesとLarsと俺だけになった時は、バラバラになったような感覚があった。俺たちをまとめていた絆がほつれていくような、ほどけていくような感覚がね。切れてしまうのではなくて、ほどけていく。その方が実は、切れてしまうより怖いものがある。一気に終わりになるんじゃなく、徐々に溶けて消えていくのがわかるんだから。俺たちは、うんと時間をかけてその絆を縒り戻し、更に強固なものにしていったんだが、その途中、様々なことが表面化してきた。個人的な問題も色々あったし、不快感も山積みだった。俺たち家族の歴史には、もっと親しくなれるはずの俺たちをそうさせずにいた出来事がたくさんあったんだ。グループ・セラピストと一緒にそういったことを紐解いていくうちに、Jamesはバンドを続けていくために自分はリハビリを受ける必要があると悟った。彼が入院を宣言したら、残されたのはLarsと俺だけ。あれは本当に恐ろしかったよ。6ヵ月で4人が2人になったんだから。俺は恐れをなし、Larsも恐れをなし、誰もが恐れをなした。最も困難だったのは、これだけのことがありながら、どこか平静を装い続けることだった。そうさ、Larsと俺は最善を尽くして守っていこうと努力したんだ。(プロデューサーでありベーシストでもある)Bob Rockも、俺たちが続けていけるよう本当に力になってくれた。当時の俺たちに欠けていた4人目のメンバーの座を、彼が埋めてくれたんだ。やがてJamesが復帰して再び顔を合わせるようになり、俺たちは絆を繕い始めた。それでもまだ、俺たちにバンドとしての将来はないかのように思えたものだ。あれは本当に、俺たち全員にとって本当に恐ろしい時期だったよ。 By Dave DiMartino (C)LAUNCH.com ●6/28 掲載予定の第2部に続く... 7/5第3部(完結)掲載予定! |