『Ashanti』 Def Jam Japan 2002年04月24日発売 UICD-6042 1,890(tax in)
1 Intro 2 Foolish 3 Happy 4 Leaving(Always On Time Part II) feat. Ja Rule 5 Narrative(Skit) 6 Call 7 Scared feat. Irv Gotti 8 Rescue 9 Baby 10 Voodoo 11 Movies 12 Fight(Over Skit) 13 Over 14 Unfoolish 15 Shi Shi(Skit) 16 Dreams 17 Thank You |
| もしも「アーバンミュージックのマーケティング方法」なる講座が大学にあったとしたら、Ashantiのブレイクスルーは間違いなく項目に含まれるだろう。その事実を検証してみよう。
2002年の初め“Ashanti”は、国内のあちらこちらにあるエスニックなファッションの店やヘアサロンで使用される名称にすぎなかった。
だが4月の半ばまでには、その名前を持つ22歳のシンガーが同名のデビュー作でCelineDionを蹴落としてアルバムチャートのトップに立ち、50万枚を売上げたばかりか、その過程で3曲のトップ10ヒットを放ったのである。彼女のA&Rおよびマーケティングを担当するスタッフが正しいやり方を選択したことは明らかだ。
「Billboard誌のチャート上で私が抜き去った曲の数ときたら、まったく驚くべき大成功ね」とAshantiは熱く語る。 「これ以上のチームは望むべくもないわ。彼らのマーケティングは最高だった。私が求めることのできる最良の陣営なのよ」
しかし古くからの格言が言うように、すべての"一夜での成功"の陰には長年のハードワークが存在する。Ashantiの場合も、まだ歳は若いにも関わらず、事情は同じである。この新進の歌姫は彼女が支払った代償がCDの売り上げに変換されるのならば、自分は第1週のめざましいセールス記録の1枚1枚に値すると感じているのだ。
「8年半も苦労してきたのよ…」と彼女は説明する。
「14歳の時にJive Recordsと契約したけど、うまくいかなかったわ。彼らは私をポップな方向へ育てたがったけど、それは私とは合わなかったの。それから17歳の時にNoontime/EpicRecordsと契約したけど、私と契約した担当者がクビになったので、それもうまくいかなかったわ。いろいろと浮き沈みを経験しているの」
「そしてついに19から20歳の頃に、私の共同マネージャーであるLinda BurkeがMario Biazaという人に紹介してくれた」とAshantiは続けた。
「彼はAJM Recordsというレコード・レーベルを持っていたの。MarioのファミリーはIrv Gotti(Def Jamが配給する彼女の所属レーベルMurder Inc.のプロデューサー兼社長)のファミリ ーと、とても親しかったのよ。私たちはミーティングをして、Irvは"俺はR&Bはやらない"って言ったけど、兄弟のChrisがBig Punのレコードに私を起用してくれて、そこからすべてが回り始めたって感じね」
BigPunのレコードとは今は亡きラッパーのアルバム『Endangered Species』からのシングル曲「How We Roll」のことで、これがAshantiのブレイクスルーの先例となった。
Ashantiは著名ヒップホップ・アーティストの威光に便乗する形で、アーバンミュージックおよびカルチャーの世界へと漕ぎだしていったのである。彼女はレーベルの至宝であるラッパーのJa Ruleと「Always On Time」でチームを組み、これはDef Jamの歴史上で最も売れたシングルになった。
続いてはFat Joeの「What'sLuv? 」(これもトップ10ヒット)でゲストとしてフィーチャーされ、そして遂に彼女のソロデビュー・シングル「Foolish」が発売されたのである。'83年のDeBargeの曲「Stay With Me」(Notorious B.I.G.の「One More Chance」で人気が出た)のサンプルをベースとした「Foolish」だが、これも当然のように大きなスマッシュヒットとなった。
Ashantiの声はAretha Franklinを脅かすほどのものではないが、彼女の軽快で流暢なヴォーカルは現代的なゴスペルのスタイル(Ashantiが最も影響を受けたMary J.Blige的な流儀)を特徴としている。その滑らかなトーンと明るい性質は『Ashanti』におけるレイドバックしたヒップホップのビートの流れに心地よく乗って、彼女のソウルフルな感受性を反映している。
「ヴォーカルはパパから学んだようなものね」と彼女は説明する。「父はバンドをやっていて、よくショウに出演していたの。彼は私にDelfonics, Blue Magic, Stylisticsなんかのオールディーズを聴かせてくれたわ」
Irv Gottiがエグゼクティヴ・プロデューサーを務めたアルバムのムードは思索的なものだが、Ashantiに言わせると「踊れるタイプのポップなアルバムじゃなくて、アフタークラブ向けの気分転換用アルバム」なのだという。
これは人間関係のグレイゾーンに触れたアルバムのテーマによるところも大きい。証拠は少ないものの、ここでのメランコリックな感情のうねり(「Foolish」と「Over」が顕著な例)の背景には 、ある特定の人物がインスピレーションとして存在していることをAshantiは認めている。
「確かに私はその種の経験をしたようなものね」と彼女は上記の曲について告白した。「今でも話し合いを続けているけど、私がロードに出ることが多くなったから、とっても難しくなっているわ。彼はいつでも“お前の出版権の10%分は俺に権利がある!”って言うのよ」
Ashantiはアルバムの全曲に共作のクレジットを入れているので、支払い額は相当な大金になりそうだ。
「私はずっと何かを書くことを楽しんできたわ」と言うAshantiは好きな作家としてのToni Morrisonの名を挙げている。
「論文とかエッセイとかいったものは、かなり楽に書くことができるの。それでよく賞をもらっていたしね。本当に国語の授業では優等生だったのよ。将来的には子供向けの本を書いてみたいけど、今のところは歌作りだけで忙しいわ」
同じ物書きの端くれとして言わせてもらえば、それに曲を書くほうがずっと儲かるしね。 By Jeff Lorez/Launch.com |
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