余り有る音楽への情熱と愛情…「活動再開物語」第二章:苦しみの果てに

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CURIO「活動再開物語」

活動再開物語:トップページ


第一章:2000年~それぞれの時間~


第二章:苦しみの果てに

第三章:存在理由


あとがき
余り有る音楽への情熱と愛情…「活動再開物語」
第二章:苦しみの果てに

涙が出そうになった。

ひとつのバンドが乗り越えた運命の過酷さと、起こした奇跡の逞しさに……。
CURIOの活動再開第一弾アルバム『raison d'etre』は、何の躊躇も疑問もなくそう感じられる作品である。

取材・文●川上きくえ

第二章:苦しみの果てに

New Album(限定版)

raison d'etre

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M1:butterfly
M2:fish
M3:noah
M4:N-edge
M5:R.J.L.J.J.
M6:a living -without you-


New Album(全国版)

raison d'etre」
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M1:butterfly
M2:fish
M3:noah
M4:N-edge
M5:R.J.L.J.J.
M6:a living -with you-


自分にとって必要なものが何なのか、という気持ちの確認ができたNOB、BRITAIN、KASSAIの3人には、もうひとつやることがあった。

ひと言にバンドを復活させるといっても、そこには解決しなければならない大きな弊害がある。それまでと同じ環境で音楽を続けるわけにはいかない絶対的な理由……それが、事件発生以前にCURIOを困惑の淵へ追い込んでいた、バンドの“バランス”だった。

端から見た彼らはメンバー間の仲もよく、サウンドに関しても非常にバランスのとれた分担を持ったバンドに見えていただろう。けれど、いつだってCURIOは噛みあえないメンバー同士の意志や、計ろうとすればするほど溝の深まってしまう距離感に胸を詰まらせていたのだ。

今思うとそれまでのCURIOって、あまりにも物事が早すぎたんですよ。どんどん状況が変わっていって、喜びというのを感じている暇がなかったんですよね。アマチュアの頃と違って、自分達の努力で売れてきたという実感がまったくなかった。メジャーになってからも地に足がついてなくて、安易に物事を言ってばかりやった。バンドにとってあまりにもAJAという存在が大きかったために、自分の書く詞の世界に入れる気持ちっていうのも薄くなってたんやろうね。何のためにこのバンドをやってるんやろうと思うと、すごく毎日がつらかった」(NOB)

上り調子のCDセールスやライヴ活動といった表面的なものへの一般的なバンド評価は、自分を押し殺してその地位に着いている彼らにとって、弱冠の痛みをはらむものだった。バンドの中心人物に任せることしかできない状況への苛立ち、そこから附随する人間関係の亀裂などに直面しているとは、あの頃、誰が想像しただろうか。

こうなって、やっぱり楽しくなければできひんなって気付いたのが一番大きかったんちゃうかな。いくらプレイヤーという立場でもバンドの一員という立場でも、楽しくなきゃあかんねん。それってすごく単純やけど難しいことでもあって……実際、休止する前っていうのはスタジオに入っても空気自体が悪いし、平気で1?2週間何も出てこない時期もあったんですよね」(KASSAI)

すれ違いだらけの想いや衝突してばかりの意見が摩擦を起こしていた、デビューからの年月。それぞれが音楽の楽しみ方という最も基本的な箇所で悩み、とかく作詞という最も等身大の感情で勝負する立場にいたNOBは、自分を追い込むしか成す術がなかった。

NOBくんがやってしまったことは決して良いことではないんですけど、CURIOが活動再開するにあたってこういう形になったのは自然な流れだったかもしれない、というか。僕の中では胸につまってたものが弾けて、少し楽になった感じがあったんですよね」(BRITAIN)

リーダーシップをとってきたのは確かにAJAやったけど、CURIOを続けている間にそれぞれが身に付けた成長っていうのもやっぱりあるわけで、いざその成長した結果を出そうとしても出せない状況っていうのが僕らとしてはもどかしかったんですよね。それまで他の3人がいかに状況に甘んじてたかってことでもあるんやけど、ついには自分が何を好きで、何をカッコいいと思うのかさえ全然わからなくなってた。だから……うん、きっかけはともあれ、バンドを一度フラットな状態に持っていけたのは僕らにとってラッキーでもあったんやと思う」(KASSAI)

そして突然の活動休止から1年半近い月日を経て、バンド内で幾度もの話し合いを重ねた。その結果、再開に向けてそれぞれのストレートな想いを照らし合わせ、方向性の違いによりAJAが脱退した。

お互いの今後の発展や可能性を踏まえた上でくだした、最大の決断。それは同時にメンバー3人とAJAの関係性に限ってだけではなく、4人ひとりひとりにも義務付けられる選択だった。

だから最初に3人で集まったときにも、休止前とその場の雰囲気と変わらんかったら解散しようって誰もが思ってたし。たまたま集まったときにすごくいい感じだったから、またできたんですよね」(KASSAI)

残る3人が久々に顔を合わせたスタジオには、非常に和やかな雰囲気と懐かしい空気感が充満していた。大した言葉も交わさずに、「ちょっとやってみようか」という合図だけを信じておそるおそる出し始めたその音にも、これまでなかったような煌めきが宿っている。慣れ親しんだあうんの呼吸。導き合う歌と演奏。そこには、理由など必要なかった。というより、むしろ理由を必要とするもの自体が見つからなかった。

全員が己の中で“CURIO”を見切ったからこそ、こうしてクリアな精神状態で再び向き合うことができたのかもしれない。

本当は僕らってもっと情けないはずやし、ダサいはずやねん。僕らのもっと本当のところを見せたかったのに、それまではどうしても華やかなところばっかり見せてた気がして。かと言ってああいうことをして悪影響を及ぼしたことに関しては申し訳ないと思ってるんやけど……、どうしようもなく"俺は音楽が好きや"って気持ちが募ったんよね。もう何年も音楽をやってるのに、こんなに強く感じたのは初めてやった」(NOB)

そして、誰からともなく曲を持ち出し、作品づくりを開始。自主レーベル『レーゾン・デートル』を発足し、集まってから2ヵ月足らずで、同タイトルのアルバムを完成させるに至った。アーティストとしての死を一度は自覚した彼らが、再び息を吹き返す現在までに掴んだ、新たなテーマがそこにある。

『レーゾン・デートル』。
その言葉の意味は、フランス語で“存在理由”という。

-つづく-

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