「raison d'etre」 POCE-2034 ¥2,111(tax in) M1:butterfly M2:fish M3:noah M4:N-edge M5:R.J.L.J.J. M6:a living -with you-
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| 「きっかけはともあれ、バンドを一度フラットな状態に持っていけたのは僕らにとってラッキーでもあったんやと思う」 あれだけの大きな衝撃を受けた人間がこう思うようになるのは、それだけ厳しい状況と闘ってきたからだろう。そして、新しく切り開かれた道に希望を燃やしているからこそ、その言葉は体温を持つ。 正直、私はこの話を聞く最中、インタビューとはいえ身を切るような告白を促し、苦悩と葛藤に満ちた彼らの想いを受け取りながら、自分自身も身に積まされる想いでいっぱいだった。起きてしまった現実への憎しみと、再会できたことの歓びが入り交じり、胸を突く。 "きっと、彼らは帰ってくる" おそらくそれは、心のどこかで強くそう思い続けていたからこそ感じる痛みなのだと思う。 デビューの頃からCURIOは、アマチュア時代の功績と若さあふれるサウンドのスピード感、隙間のない楽曲形成を持つ期待の新人として音楽関係者の間でも注目を浴びていた。ステージに彼らが現れると、そこには大阪時代にやっていた公園ライヴを思わせる清々しさと、太陽の陽射しに似た強いエネルギーが充満し、その空気感の中で「ひまわり」「ときめき」を聴くのはなんとも気持ちのいいものだった。きっと誰もが、そんなCURIOのポピュラリティとフレッシュさは年を重ねるにつれ熟し、揺るぎのない説得力としてバンドの力になることを確信していたに違いない。 ところがいつ頃だっただろうか、彼らのモチベーションそのものに戸惑いを見受けるようになった時期があった。ぶっきらぼうに思える発言や、寄せ付けなさのある佇まい。……今思えば、彼らなりのSOSだったのかもしれない。バンドとして煮詰まったまま大きなホールでライヴをやり、歌番組にも出演していた彼らは、せっかく築き上げた地位を守る自分、そこから笑顔を振りまく自分たち自身に傷つけられていたのだ。そのジレンマが当時のCURIOをどれほど追い詰めていたのか、想像するに恐ろしい。 愛すべきものや守りたいものがある以上、人はそのために全力を注いでしまう。結果はどうであれ、そうすることが生き甲斐だと感じるタイプの人間の場合、自分の手元から愛すべき対象となるものが離れてしまったと認識しただけで、生きる術をなくしたも同然になってしまうだろう。 しかし、CURIOは、再び生きること=歌うことを選んだ。すべての想いを詞に込め、音に託し、裸を超える素直さで再び人々と向かい合うことを決めた。一度止めた足を踏み出すのは、ゼロ地点からのスタートより一層の体力と精神力を要するのを承知で、だ。 月日は過ぎてゆくだろう 泣いたり笑ったりを 気が遠くなるほどくり返し くり返し君の手を握ろう 「a living-without you-」 最新アルバム『レーゾン・デートル』に綴られた彼らのメッセージと、まったく新しい流れを持つメロディを聴いたとき、私は彼ら3人の生命力の強さを初めて知った気がした。そこにはルールだのセンスだのよりももっと大事な"感情"を、なりふりかまわずぶつけるCURIOがいる。くやし涙や嬉し涙を流し、声の震えも擦れも気にせず歌うNOBのヴォーカル。リズム帯なのに2歩も3歩も前へ出て、やたら美しいメロを奏でるKASSAIのベース。わがままなくらい、本能的に叩きまくるBRITAINのドラム。そしてギターの権田タケシとの、ピュアさで勝負したような競り合いもまた絶妙! だからこそ先日行なわれたライヴでも、多少のアレンジを施して演奏された「ひまわり」は、当時のパワーを維持した上でより洗練された逞しさと深さをもって響いてきたんじゃないだろうか。 断言できる。ある意味、今、こんなに血なまぐさい音楽を聴かせるやつらは他にいない。自分にできることをやるために、長い旅路から帰ったCURIOの音楽は、これから私たちにあらゆる愛や友情、夢や希望といった明るさへ向かう術を教えてくれるだろう。 それが彼らが真新しい環境に望む、"レーゾン・デートル"なのだから。 戻ってきてくれて、ありがとう。 文●川上きくえ |
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