ラモーンズのフロントマン、Joey Ramoneが49歳で死去
アメリカのプロトパンクグループ、RamonesのフロントマンであるJoey Ramoneが、リンパ腺癌により、4月15日(日)に49歳で死去した。
'51年5月9日、ニューヨーク州、クイーンズのフォレストヒルズで生まれたJoey Ramone(本名:Jeffrey Hyman)は、近くに住む友達2人とRamonesを結成、全メンバーが「Ramone」をステージネームにすることに同意した。
Ramonesは'74年にニューヨークシティにあるクラブ“CBGB”で新生のパンクロックシーンの中心的存在となり、その後1年でSire Recordsと契約を結ぶ。レザージャケットに破れたジーンズという彼らのトレードマークは、スリーコードによるシンプルな演奏や、異常にハイな話しぶりと上手くマッチし、イギリスの多くのパンクバンドに刺激を与えたとして評価されている。実際、Ramonesは最初の英国ツアーを'76年7月4日から開始し、そのツアー中のある憂鬱な日に、ホテルの部屋にいたJoeyが書いたのが「I Wanna Be Sedated」だった。
また、多くのプログレッシヴでフリースタイルなバンドが、過去に聴いたこともないほどの長さの曲を演奏する時代に、Ramonesは、短く、シンプルにプレイできる楽曲をマスに再び提示したのだった。彼らのナンバーのほとんどが、4分以下の長さであった。
The Clashのリードシンガー/ギタリストのJoe Strummerは、Spin誌でJoey Ramoneと彼の「兄弟達」に敬意を表している。「彼らはいつの時代もパンクグループの父親的存在だ」
AP通信によると、Ramonesの長年の仲間であるArturo Vegaは、Ramonesの重要性を次のように述べているという。「彼らは音楽の世界を変えてしまった。気取りや、不必要な飾り物から、ロックンロールを救済したんだ」
Ramonesは'96年に行なわれた大規模なお別れツアーの後、解散した。ここ数年、Joey Ramoneは比較的目立たないように振舞っており、時にはゲスト出演としてショウに出演したり、ソロアルバムの制作に取り掛かっていた。ソロアルバムの制作は終わっていると報告されているが、リリースについての情報は今のところ一切出ていない。
LAUNCHが数年前のRamoneとのインタビューの際、Ramonesが成し遂げたことに満足しているかと訊いたところ、彼は次のように述べていた。「やりたいことは全てやったと思うよ。たぶん唯一手に入れられなかったものは、大金じゃないかな」
「でもそれが全てではないんだ。自分にとっては、Ramonesは全てのパンクロック・ムーヴメントにおける草分け的存在だった。みんなが後について従うような青写真を、無意識に描いていたような気がする」
Bruce Simon、ニューヨーク
'51年5月9日、ニューヨーク州、クイーンズのフォレストヒルズで生まれたJoey Ramone(本名:Jeffrey Hyman)は、近くに住む友達2人とRamonesを結成、全メンバーが「Ramone」をステージネームにすることに同意した。
Ramonesは'74年にニューヨークシティにあるクラブ“CBGB”で新生のパンクロックシーンの中心的存在となり、その後1年でSire Recordsと契約を結ぶ。レザージャケットに破れたジーンズという彼らのトレードマークは、スリーコードによるシンプルな演奏や、異常にハイな話しぶりと上手くマッチし、イギリスの多くのパンクバンドに刺激を与えたとして評価されている。実際、Ramonesは最初の英国ツアーを'76年7月4日から開始し、そのツアー中のある憂鬱な日に、ホテルの部屋にいたJoeyが書いたのが「I Wanna Be Sedated」だった。
また、多くのプログレッシヴでフリースタイルなバンドが、過去に聴いたこともないほどの長さの曲を演奏する時代に、Ramonesは、短く、シンプルにプレイできる楽曲をマスに再び提示したのだった。彼らのナンバーのほとんどが、4分以下の長さであった。
The Clashのリードシンガー/ギタリストのJoe Strummerは、Spin誌でJoey Ramoneと彼の「兄弟達」に敬意を表している。「彼らはいつの時代もパンクグループの父親的存在だ」
AP通信によると、Ramonesの長年の仲間であるArturo Vegaは、Ramonesの重要性を次のように述べているという。「彼らは音楽の世界を変えてしまった。気取りや、不必要な飾り物から、ロックンロールを救済したんだ」
Ramonesは'96年に行なわれた大規模なお別れツアーの後、解散した。ここ数年、Joey Ramoneは比較的目立たないように振舞っており、時にはゲスト出演としてショウに出演したり、ソロアルバムの制作に取り掛かっていた。ソロアルバムの制作は終わっていると報告されているが、リリースについての情報は今のところ一切出ていない。
LAUNCHが数年前のRamoneとのインタビューの際、Ramonesが成し遂げたことに満足しているかと訊いたところ、彼は次のように述べていた。「やりたいことは全てやったと思うよ。たぶん唯一手に入れられなかったものは、大金じゃないかな」
「でもそれが全てではないんだ。自分にとっては、Ramonesは全てのパンクロック・ムーヴメントにおける草分け的存在だった。みんなが後について従うような青写真を、無意識に描いていたような気がする」
Bruce Simon、ニューヨーク