new album 『PALLASCHTOM』 (MGC-17) now on sale | | まず、現在の吉田達也の音楽的パートナーである佐々木恒に、彼自身の音楽的バックグラウンドについてきいてみた。 「レッド・ツェッペリンやディープ・パープル等のハード・ロックから入って、それからニュー・ウェーヴですね。その中で特に影響を受けたプレーヤーは、ジミ・ヘンドリックスやフランク・ザッパです。パンクにはあまり影響は受けていないんですよ。ギターで極限的なことをしているサウンドが好きでした。ルインズに入る前は、スリーピースのバンドで、フリー・ミュージックや土着的な音楽、ハード・ロック的なものをやったり、無名のヴォーカリストのバックなどもやっていましたね。もう何でも」(佐々木) 吉田は「以前のベーシストとの音楽的な相違」によって、音楽誌に告知を出したり、旧知のミュージシャンとのセッションを繰り返しながら、メンバーを募集していた。佐々木は、吉田が「トータルな意味で一番しっくりきた」という理由で'96年にルインズに加入、現在まで吉田とともにルインズの音楽を支えている。元々ギタリストである彼は、ピッチ・コントローラーの使用やギターのプレイを応用することで、ベース/ギター両方の役割をこなし、また、現在までに3回交代しているルインズのベーシストの中で、「最もフレキシブルなプレーヤー」と吉田には評されている。 「ルインズに入ってから、吉田さんが色々な事を要求してくるけど、それは自分もやりたいと思っていても、まだ自分にとって精進しなくてはできないかな、と思っていることだったりして……。それでも、吉田さんとプレイしていくうちに違和感がなくなっていくというか」(佐々木) 多様な経験に裏打ちされた佐々木のフレキシビリティを引き出すことのできる吉田とのコンビネーションは、アルバムのみならず、ライヴにおいても見事なものである。 「ルインズに加入して学んだ点は、一つはルインズの音楽的アプローチ、あとはリズムですね」(佐々木) 「ルインズの曲は変拍子をかなり取り入れてるんだけど、リズムを肉体で消化して演奏するというか、自然に流れるように変拍子をプレイできることを期待しているんですよ」(吉田) 吉田のバックグラウンドとして非常に良く知られているのが、マグマやディス・ヒートなどの、欧州のプログレッシヴ・ロックやアヴァンギャルド・ミュージックである。それらの影響を反映させた吉田の音楽は、海外でも高い評価を得ており、特にマグマについては、ハイ・テンションで高揚感のあるヘヴィーなサウンドや擬音語を用いた独特なヴォーカリゼーションといった共通点も含め、ルインズをはじめとした吉田の音楽に強い影を落としている(そうしたことからルインズにはプログレ・ファンの支持者も多く、「PALLASCHTOM」にはボーナス・トラックとして、吉田の思い入れたっぷりの「プログレッシヴ・ロック・メドレー」も収録されている)。 「マグマやディス・ヒートの音楽を初めて聴いたのは、東京に出て、情報がたくさん入ってきて、様々な音楽を聴き始めた20才ぐらいの頃。テクニカルな面と、肉体と精神が高次元でぶつかりあっているという点で、彼らの影響は受けました」(吉田) 彼の言うとおり、ルインズの音楽においても、楽曲は恐ろしい程のハイ・レヴェルを保ち、吉田/佐々木の二人は自らの生み出した起伏の激しいリズムの洪水の中で肉体と精神の限界に挑み続け、さらに濃厚な音塊を生み出していく。彼らの音楽には、ジャンルをも超越するエネルギーが漲っているのだ。 吉田はルインズや自身のソロ活動の他にも、赤天、高円寺百景などの多数のリーダー・バンドを並行して活動させており、その上それら全てのアルバムジャケットのコンセプトやデザインなども吉田自身で行なっている。また彼の自主レーベルである磨崖仏リミテッドのホームページにおいて、自分で撮った世界中の石像の写真を公開したり(それらはまた、アルバムのアートワークにフィーチャーされることもある)と、音楽活動のみに限定できない多才さを持つ。 これまで彼は、それらの自分の活動を組み合わせた、オプション付きのユニークなライヴ(ライヴハウスを一日借り切って、石仏の写真展を開催した後、ルインズがライヴ演奏をするというものや、「赤天のライヴを観ながら『赤天』(バンド名の由来にもなっている、高円寺にある餃子の専門店)の餃子を食べよう」と題した、コンセプチュアルなディナーショー(?)的なものもある)を何度も行なっている。そういった多様なアプローチには、オリジナルな表現に対する彼独自のこだわりがあるようだ。 「違う面と言うか……全部つながっていて、『これも俺なんだ』っていう。みんなに、というよりは、まずは自分が楽しんでやっていることが多いですね。赤天なんかを始めたときに、オリジナルな表現というものを追求していった場合、シリアスなものだけじゃなくて、ユーモラスなものの中でも表現できるものがあるんじゃないかと」(吉田) そのような多岐にわたる活動の中で、彼はレーベルの運営や、ライヴのブッキング等といったマネージメント的なことまで長年自分自身で行っている。それは吉田自身にとって、どのようなメリットやデメリットをもたらしているのだろうか? 「他にやる人もいないし(笑)。でもやはり自分で自分をコントロールしたいというのはありますから。他の人にお願いしたら、かえって面倒になっちゃうんじゃないかな」(吉田) 彼がこのようなスタイルを続けているのには、インディーズという中での制約も多少含まれているようであるが、もし彼の音楽がより多くの人々に支持されるようになり、それらの制約から放たれた場合においても、吉田はこの独自のスタンスを継続しているのだろうか? 「(自分の音楽がメジャーになる可能性は)ないと思うけど(笑)。今も結構、曲作りをする以外のことが多くて、音楽を創作する時間が足りなくなってきているので、もし信頼できる人がいれば、誰かに任せたいと思うこともあります」(吉田) 長年シーンにおいて孤高のスタンスを保ちつづける吉田だが、それを保ち続けるのに、なお人知れぬ苦闘を続けてきているのだろう。それがうかがい知れる発言だった。 2000年のルインズ/吉田の活動は、まさに世界を縦横無尽に駆け回ると言ってよいほど、今まで以上にアクティヴだ。「PALLASCHTOM」のリリースに次いで、ルインズは8月にフランスのマルセイユで行なわれる、世界各国のアヴァン系アーティストが集うMIMI festivalに出演、ダンスとの共演を行なったのち、中国ツアーを成功させている。また、11月にはモレキュールズのギタリスト、ロン・アンダーソンとの共演ユニット、RONRUINS の全国ツアーも行なう予定である。 さらに、このインタヴューを行なった7月末現在レコーディング中であった、高円寺百景の3rdのリリースも予定されている。こちらはルインズよりも前衛色が薄く、ユニゾンや女性ヴォーカリストとの掛け合いが多用された、思わず口ずさんでしまう程の明快なサウンドを持つ、吉田の関連バンドの中では最も人気の高いバンドだ。ルインズ、そして吉田の活動をより知りたい向きには、これらの今後の活動にも注目することをお勧めする。 インタビュー&テキスト:桜井敬子 (EURO-ROCK PRESS編集部) |