【インタビュー】アジカン、15年越し『サーフ ブンガク カマクラ (完全版)』に成長と“らしさ”「やっと清書できたわ!みたいな」

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■ 2008年当時「もう1枚作るぞ」と言われた時に
■ 「ウソでしょ⁉」と思いましたよ


──わかりました。で、オリジナルの『サーフ』制作時、つまり2008年という年は、アルバム『ワールド ワールド ワールド』、さらにミニアルバム『未だ見ぬ明日に』とバンドが作り込みモードに入っているタイミングで。そこで続いて制作した『サーフ』が痛快な作品になったわけですが。当時と今回とではどんなところが違いますか? バンドの状態とか、モチベーションとか。

後藤:……似てるところもあるよね。でも、あの時よりも、みんなが楽曲に入ってきてくれた感じはありますね。

──2008年の時は、ゴッチが中心で作ったんですよね。だから前回も今回も、全曲をひとりで書いているわけですが。

後藤:当時は一発録りでやってるし、セッションをものすごく続けたあとに「まだ作るのかよ」っていう気持ちが少なからずあったと思うんです。そういう意味では、今回はわりと納得してくれたんじゃないかなっていう気持ちは、僕の中ではありますけど。

伊地知:その通りですね。ほんとに、当時「もう1枚作るぞ」と言われた時に「ウソでしょ⁉」と思いましたよ。こんなに疲弊してる時に、俺ら、もう1枚作って大丈夫? 解散しちゃうんじゃないの?っていうぐらいボロボロというか。でも、いざ作ってみたらスッキリしましたね。とにかく「練習はしてこないでほしい」「フレッシュなテイクが欲しいから」って。

喜多:「デモもできてるから気楽な感じで参加して」みたいな。だから俺たちはゴッチについてった感じですね。2008年の時は。

後藤:そうそう。後藤正文と仲間たち、みたいな。


山田:うん、ただ、当時は……一発録りにトライしてみる、みたいなことだったんですけど、結局(新しい曲を)覚えられないから、練習しちゃうじゃないですか(笑)。覚えるまで。だからそのフレッシュさとのせめぎ合いを感じながらやってました。でもそれまでの作り込みをしてきた作品と比べると、サクッと終わっちゃったような印象があって。で、これができてからけっこう長いツアーをやって……その時に10曲を再現したような演奏をやってて。そのツアーで、やっとこの作品と向き合えた感じはありました。

──そのぐらい2008年の時のレコーディングは、すぐに終わったんですね。

喜多:はい。で、当時はこれが必要なことだったというか……次に行くためには、ガス抜きのための作品が必要だったんですね。それが結果的に『マジックディスク』(2010年)につながっていくんですけど。そう考えると、今回はもっと楽しめましたね。当時はわかんないから「こんな一発録りの作品が出ていいのかな?」という不安もあったけど(笑)。

──それに当時と比べると、今はバンドが疲弊してなさそうな雰囲気を感じますけど。

後藤:精神的には大丈夫です。肉体的には、疲れが溜まってます(笑)。

喜多:(笑)まあ何だかんだ続いてましたからね。年明けから。仕上げなきゃいけないデモもあったりして、意外と大変だったよね。

山田:その前に『プラネットフォークス』のツアーが終わって……そのあとも、けっこうタイトでね。

後藤:ね? 建ちゃんのギター録りの時に、山ちゃん寝てたもん。疲れで。

山田:……寝てた?

後藤:うん。あれは、フー・ファイターズのスタジオに行って時差ボケの時以来の山ちゃんの寝方だった(笑)。疲れてんなあ、と思った。

──で、前回は、鎌倉と同じ湘南エリアである藤沢のスタジオで録ったと聞いたんですが。今回もそこを使ったみたいですね。

後藤:そう、もともと『サーフ』を録ったスタジオで2曲録って。そのあとはスケジュールの都合で、ランドマーク(スタジオ/横浜)で録りました。だから今回は主にランドマークかな。最初の「石上ヒルズ」とか「柳小路パラレルユニバース」、それと「湘南エレクトロ」(インスト曲で、配信EP『サーフ ブンガク カマクラ (半カートン)』のみに収録)は藤沢で録ったもんね。かなりひさしぶりに行ったよね。


──わかりました。ではここからは5つの新曲を中心に聞いていこうと思います。アルバムはまず再録の「藤沢ルーザー」でダイナミックに始まり、続く2曲目に早くも新曲「石上ヒルズ」が登場します。これはまさにパワーポップで、先ほどの話だと今回の中では初期のうちに録ってたんですね。

後藤:そうですね、わりと早いタームで。これはビバリーヒルズと同じイントネーションで「石上ヒルズ」と言いたかったんですよ。そっから広げてっただけです(笑)。結局、(曲の)最後で言っただけですけど。

喜多:パロディ的にね(笑)。

──この『サーフ』の楽曲たちにそうしたユーモアやオマージュがあふれているのは、ちょっと肩の力を抜いたものを作ろうという姿勢があったからでしょうか。

後藤:そうですね。でも90年代って、ロックもこういう文化でしたよね。サンプリング文化というか。たぶんフリッパーズ・ギターなんかはその中でも一番精度の高いやり方だったと思うんですけど、俺はもうちょっとふざけてるというか。ニルヴァーナ(のギターのフレーズ)を引っ張り出してみたり、突然(エリック・)クラプトンが出てきたり。そういうのをゲラゲラ笑いながらやってるという(笑)。

喜多:(笑)ちょっと「いとしのレイラ」的なフレーズが最後に出てきたりね。このサジ加減が、ね? 最初にゴッチにデモを聴かせてもらった時からちゃんとふざけてたから、「これはいい作品になるな」と思った曲ですね。

後藤:塩梅が良かったでしょ? マジさと、ふざけ方とのね。だから建ちゃんに「来いよ、クラプトン!」とか言いながらレコーディングしてたもんね(笑)。「クラプトン風だから!」って。


──この歌詞で印象的なのは、スマホのことを<3年で化石になった>というところです。そもそも前作を作った2008年はまだスマートフォンが普及してないから、この歌詞は絶対に書いてないですよね? つまりスマホが3年で化石になることも実感してなかったはずで。

後藤:そうですね。これはある種の加速を唄ってるんですよ。世の中の流れがめちゃくちゃ早くなって、デジタル機器とかほんと3年でゴミみたいになったり、容量も、情報量も変わるじゃないですか。これは「石上ヒルズ」だから、「石の上にも三年」を思いついたんです。石の上に3年もいたら化石になっちゃうよ!みたいな。普通だったらポジティヴな言葉だったけど、今は3年でもう化石になるからね。

──うんうん、なるほど。それから<転がる岩ならどこまでも行ける>とか、自分たちの「転がる岩、君に朝が降る」をオマージュしている箇所もありますね。

後藤:そうなんですよ! それを書いて唄ったあとに『ぼっち・ざ・ろっく!』(のブーム)が来たんで。これ、予言じゃん!みたいな。

──そうですね。あのアニメの中で「転がる岩~」が唄われてますからね。

後藤:去年って、妙に「転がる岩~」に注目してもらった1年だったんですね。でも「石上ヒルズ」を一昨年に書いて、まさかそのあとに「転がる岩~」が注目されるとは思わなかったです。まあ「石上ヒルズ」は「ロックンロールだったらどこまでも行けるよ」ということを唄ってるだけなんですけどね。

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