【短期連載インタビュー Vol.1】wyseが語る第一期「二度も裏切られたような...孤独でしたね」
■激動期でしたね
■良くも悪くも僕らは突き進みすぎた
──4人全員が真っ直ぐだと、メンバー間でぶつかりませんでしたか?
TAKUMA : そこはぶつからなかったんですよ。
HIRO : みんな一緒の考えなんです、順当に階段を上っていくぞと思っていたから。
TAKUMA : で、あるタイミングで、それまで組んでいたハードなツアーを一旦止めることになったんです。さらに大きな会場に標準を合わせるためだったはずなんですが、一向にその話が進まなくて。スタッフに訊いてみたら会場が押さえられませんでしたと。そこでバンドのスケジュールに初めて空白ができて......。
HIRO : そこからバンドの内部がおかしくなっていきましたね。
MORI : ミニアルバム『Beat』(2003年発表)を発売した頃ですね。
TAKUMA : 当時のメンバー5 人は、意思疎通がうまくいかなくなってギクシャクしてましたね。一緒に見てた目標が消えてしまったわけだから、バラバラになってしまったのかもしれない。激動期でしたね。ライブができなかったので、自分たちで勝手に大阪BIG CATを押さえてファンクラブイベントを開催したり。
──事務所やレコード会社に黙って?
TAKUMA : そうです。本当に勝手に。
HIRO : 今思うと、そんなにたいした空白期間じゃなかったんですけどね。
TAKUMA : ずーっと休みなしできたから、その時間的な余裕に耐えられなかったんでしょうね。
HIRO : 実質3ヵ月ぐらいの空白なのに「どうする?」って。何年もバンドが動いてない感覚になって。メンバー(KENJI)が脱退したのも、その流れの中なので。
MORI : 転がり続けて進み続けてきた中で、突然ポッカリ時間が空いたから、各自が必要以上にいろんなことを考えてしまう結果になってしまったね。
TAKUMA : ただ、『Beat』というミニアルバムは佐久間正英さんのプロデュースのもと音楽的な、そして人生的な学びを本当にたくさんいただけた。バンドとして大きなターニングポイントでしたね。
MORI : 佐久間さんがwyseのことを「ツインリードギターのバンド」って表現してくれたことも大きかったですね。「どっちがリードで、どっちがバッキングっていう括りがない」と言ってくれて。そういう楽曲の作り方を大事にしてくれたことが、wyseサウンドの土壌になっていきました。佐久間さんとの出会いで自分達の立ち位置が明確になって、それが今に活きていると思ってます。
──月森さんはその時期をどう捉えていましたか?
月森 : 4人になってTAKUMAがすごくショックを受けてたんですよ。それまでの経緯もあったんでしょうけど、「そもそもwyse自体を続けていくのか?」っていう話になって。
HIRO : メンバーであんな話をしたの初めてやったんちゃう?
月森 : 僕は正直、「何を言っているんだろう?」って。これまでもドラマーが脱けたことがあったし、この4人がいれば何も変わらないんじゃないかって。
TAKUMA : 月森は「え? 元に戻ったんだから、いいんじゃない?」っていう感じでね。「月森がそう言うんなら、いいか」って。そこでもう一回、歩み出すんですけど、結局、解散に向かうんですよね。
──やはり、歪みが出てきてしまったんでしょうか?
TAKUMA : 今だからこうやって話せるけど、僕の背中を押してくれたその月森自身が1年も経たないうちに「別の道を歩みたい」って言い出して。何回も話し合ったけど、結論は変わらず。僕自身は「救ってくれたオマエもか」って。二度も裏切られたような...孤独でしたね。実際、メンバー間もグチャグチャで。だったら、ちゃんと解散しようということになったんです。
──そして2005年2月13日に第一期wyseはピリオドを打つ。
HIRO : 解散が決まった途端、解散という目標ができたことによって、みんながまとまったんですよね。それがすごいなと思ってました。
TAKUMA : 良くも悪くも僕らは突き進みすぎた。もう少しペースを落としたり、休憩を挟んでもよかった。それと事務所には大好きな大先輩のSOPHIAがいたのに、“なぜ、みんなそういう先輩たちに甘えられなかったんだろう”と。
──行き詰まった時、相談したりはしなかったんですか?
TAKUMA : もちろん話は聞いてくれたんですけど、もっと相談することで、人生経験を積んだ先輩から後輩として吸収したり、学べることがあったんだろうなと今は思います。結果的に、やっぱり自分たちだけで突き進んでしまったんでしょうね。
──結成から解散までの6年間は激動の日々だったんですね。
TAKUMA : 6年だったんだ?
月森 : ビックリしますよね。そんな短いはずがないんですよ。
HIRO : もっと長く生きたよな? っていう感覚ですね。ただ、その“6”という数字はwyseのそれ以降の活動とも切り離せなくなっていくんです。
TAKUMA : なぜか、そうなるんですよね。狙ってないのに。
──そういえば、その後、バラバラになって再始動するのが6年後の2011年ですよね。その時の決意というのは?
TAKUMA : 簡単に言うと「やるんだったらもう止まれないよ」って僕はメンバーに伝えました。再始動することによって、いろいろな人たちの気持ち、人生が動くので。中途半端な心持ちじゃダメですからね。
MORI : 2011年までに至る期間、それぞれがそれぞれの人生を過ごしてきたわけで。そういう月日を背負ってもう一回、wyseをやろうということですから、やるならwyseがすべきことを確実にやっていこうと。そうでないと、期待させておきながら、何も返せないことになりますから。第一期のようにがむしゃらなだけではできないこと、何よりもやっている自分たちが気持ちよく楽しく活動することが大前提でした。
──第一期は結成から6年間活動して解散。そして6年の空白があった後、再結成によって第二期がスタートします。この続きは短期連載インタビュー第二回目でうかがわせてください。
TAKUMA : むしろ再結成後のほうが長いですからね。
取材・文◎山本弘子
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