【コラム】井上芳雄、初のオリジナルALで叶えた夢と「みんなのうた」起用曲で広げた可能性
ミュージカルを中心に活躍する井上芳雄。これまでにステージ上で、さまざまな役柄を生きながら、その人生を歌うことで多くの魂を揺さぶってきた。近年は、ストレートプレイやテレビ番組のMCなど、多方面でその溢れる才能を輝かせている。
そんな人気者が、密かに温めていた夢がある。全曲オリジナルによるアルバムの制作がそれだ。当代きってのミュージカルスターにしては、やや控えめな夢にも思えるが、それゆえ想いの切実さが伝わってくる。
2023年3月22日、その夢は、初のオリジナルアルバム『Greenville』となって叶えられた。さらには、4月10日に配信シングル「ぼくは人工衛星」もリリースするなど、精力的な活動が続いている。アルバムでは、耳の肥えた音楽ファンも納得させるクオリティの高い楽曲を、スターらしい華やかさと落ち着きをもって表情豊かに歌い上げた。一方、新生活をテーマに心弾むポップチューンに挑んだ新曲「ぼくは人工衛星」は、シンガーとして新たな領域へ踏み込んでいる。この井上の新しいチャレンジと言える「ぼくは人工衛星」は、NHK「みんなのうた」4〜5月に採用されており、新たな日々を送る人たちの毎日を明るく彩るだろう。
さて、記念すべき初アルバム『Greenville』から詳しく紐解いていこう。まず、タイトルだが、これは井上が13歳のときに1年間暮らしたアメリカ東部の町名である。人口9万にも満たない小さな街だが、大学があり豊かな文化が溢れているそうだ。多感な頃に、そこで過ごしたことが、どれほど井上の感性を刺激し、影響を与えたことか想像に難くない。本作完成に寄せて、井上自身は「その1年間で経験した様々な感情を思い出しながら、そしてそのあとの人生で学んだことを噛みしめながら歌いました」と述懐している。それだけ、心に刻まれた体験だったのだろう。
井上の原点と成長が詰め込まれた『Greenville』は、音楽プロデューサーにコトリンゴを迎え、楽曲ごとの温度感のグラデーションを感じられる、とても有機的な作品に仕上がった。コトリンゴといえば、坂本龍一をはじめ、蓮沼執太、キリンジらとのコラボを重ねながら、数多くの劇伴を手がける俊英だ。彼女が音頭を取りながら、各楽曲に多才なクリエイターが参加していることも本作を色鮮やかで深みのあるアルバムにしている。
たとえば、アレンジとプロデュースに冨田恵一(富田ラボ)が加わった「タイムテーブル」は、軽やかなサウンドに乗せ、井上の弾むようなボーカルが躍る。また、ソングライティングユニット・モノンクルの吉田沙良と角田隆太による「天使も悪魔も」では、今っぽいチルなトラックとゆったり揺れるようなグルーブに乗りながら、ほどよく脱力したボーカルがとても新鮮に響く。
さらに、世界的に評価されるorigami PRODUCTIONSが擁するアーティストMichael Kanekoとmabanuaが手がけた軽快でおしゃれな英語詞ナンバー「Lost In The Night」を艶やかにセクシーに歌い上げたかと思えば、ブルースやフォークをルーツとするおおはた雄一が手がけた「記憶の庭」は、ノスタルジックでしみじみとするサウンドを抱きかかえるように、慈しみと切なさを織り交ぜ、語るような歌声を披露。悲しみや切なさを綴った歌詞の世界を歌で描いた。こうした、ミュージカルではあまり接点のないポップミュージックシーンの才能との邂逅を、井上自身は「自分にとっては初めて歌うジャンルの曲もありましたが、歌ってみてわかったのはどんなジャンルでも音楽ってやっぱり楽しいんだなということ」と振り返っている。
また、バークリー出身のコトリンゴらしくジャズの風味を生かしつつ、井上のホームであるミュージカルとのナチュラルな融合を感じさせる「ライフ」のように、この作品だからこそ実現できた楽曲も魅力的だ。シンフォニックな柔らかで厳かなサウンドが、まるで朝のやさしい光の清らかな眩しさを思わせる「Prelude」や、ストリングスが温かい「The Only」などは、持ち前の伸びやかで奥行きのある歌声と、オーガニックで豊潤なサウンドが描く美しい風景画を眺めているような癒しと安らぎを感じるのではないだろうか。
作品最後を飾る、人気ピアニスト・清塚信也が作曲し寺尾紗穂が作詞した「あなたに贈る海風」では、柔らかでありながら開放的な歌声に、穏やかな海が目の前に広がる海岸線を見た思いがした。多彩な歌と音楽によって、さまざまな美しい心象風景の旅ができるのも、本作の大いなる魅力と言えるだろう。
どこか清廉さも漂わせるアルバム『Greenville』は、これまで井上がミュージカル界で築き上げてきたイメージと重なる部分も少なくない。だが、陽気な口笛で始まる新曲「ぼくは人工衛星」で、そうした美しい影を期待すると痛い目にあうかもしれない(もちろんいい意味で)。前述したように、まず旋律やサウンドが非常にポップでキャッチー。老若男女問わず、聴いたらすぐにでも身体を揺らし、口ずさめるような親しみ深さが魅力だ。歌詞も、人生の喜怒哀楽を、重厚感を携えて歌うというよりは、イマジネーションの世界に軸足を置いたユーモアを感じさせる仕上がり。そのなかに多くのメッセージ性が内包されているものの吹っ切れた歌詞を、井上芳雄が歌う衝撃は決して小さくないだろう。
実はこの新曲も、アルバムに引き続いてコトリンゴがプロデュースを手がけている。また、作詞・作曲・編曲を担当した堂島孝平もまた、アルバムに収められた「Diary」を提供している。サーフミュージックのような開放感や今っぽい大らかなR&Bと、ラップのような歌い方を取り入れた「Diary」と同じ座組でありながら、まるで別次元の音楽世界を築いた。これこそプロフェッショナルという仕事ぶりに脱帽するほかない。
アルバムを創り終えた後、「結局何を歌っても自分は自分でしかないんだなということでした」と述べていたが、そうした気づきが、このポップな新曲を迷いなく歌う原動力になったのかもしれない。そもそも非現実感は、ミュージカルにおいてある意味で日常でもあろう。“ペガサスみたいに もっと自由に”という歌詞のように、当人は案外のびのびと楽しみながらレコーディングしていたのかもしれない。
初めてのアルバムで、俳優としてのキャリアとアーティストとしての自分をもうまく結びつけ、さらなる新曲ではアーティストとしての可能性をぐっと押し広げた井上芳雄。今後、俳優業と音楽活動が、相互作用してさらに彼の歌に磨きをかけることは必定だ。この先、どんな歌声を世に響かせてくれるのか、ますます目が、耳が離せなくなりそうだ。
文:橘川有子
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アルバム『Greenville』
【初回限定盤】COCP-41984 CD+写真集「Greenville」+封入ポスター ¥6,600(in tax)
【通常盤】COCP-41985 CD ¥3,300(in tax)
1. Prelude (Lyrics:Hina Music:Mona Arrangements:コトリンゴ Chorus arrangements:Kitri)
2. The Only (Lyrics:Hina Music:Mona Arrangements:コトリンゴ) ※2/13先行配信
3. タイムテーブル (Lyrics & Music;コトリンゴ Arrangements & Produce:冨田恵一)
4. 天使も悪魔も (Lyrics, Music & Arrangements:吉田沙良、角田隆太) ※2/13先行配信
5. Lost In The Night (Lyrics:Michael Kaneko Music & Arrangements:mabanua)
6. Diary (Lyrics, Music & Arrangements:堂島孝平 Additional arrangements:コトリンゴ)
7. ライフ (Lyrics, Music & Arrangements:コトリンゴ)
8. 無題の詩 (Lyrics:蓬莱竜太 Music:阿部海太郎 Arrangements:コトリンゴ)
9. 記憶の庭 (Lyrics & Music:おおはた雄一 Arrangements:おおはた雄一、コトリンゴ)
10. あなたに贈る海風 (Lyrics:寺尾紗穂 Music:清塚信也 Arrangements:コトリンゴ)
NHK『みんなのうた』
NHK『みんなのうた』4-5月新曲情報 https://www.nhk.or.jp/minna/program/
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