【インタビュー】SUGIZO、ソロ25周年を語る「最も重要なことは大切な仲間たちとの出会いと別れ」
2022年11月23日にリリースとなったSUGIZOソロ活動25周年記念ベストアルバム『THE COMPLETE SINGLE COLLECTION』は、トータル3時間を超えるボリュームを誇る3枚組作品だ。シングルを集めただけでこれだけのアーカイブとなってしまう事実に、SUGIZO本人も「超カオス」「狂気の沙汰」とコメントしているが、ひとりのアーティストによるソロ作品とは思えぬ多面性が証された形となった。
◆SUGIZO 画像
もちろんSUGIZOが全精力を注いでいるのは、ソロ活動だけではない。SHAG、JUNO REACTORを始め数多くのプロジェクト活動を行いながら、映画や舞台などの音楽制作にも身を投じてきた。もちろんLUNA SEA、X JAPAN、そして直近ではTHE LAST ROCKSTARSもスタートし、多忙を極めるトップアーティストとして八面六臂の活動を続けている。
数多くの音楽表現の場を持つSUGIZOだが、ソロアーティストとしての活動は、彼にとってどういうものなのか。多岐に及ぶ音楽活動の中でソロ活動が意味するものとは?
◆ ◆ ◆
■破滅型になっていた20代中盤
■人間的には今の僕が一番嫌悪するタイプ
──LUNA SEAの終幕、そしてREBOOT…と、LUNA SEAの活動の有無がソロ活動の内容にも大きな影響を与えていると思うのですが、振り返るといかがですか?
SUGIZO:25年前の1997年、最初のソロの時はあくまでも自分のLUNA SEAという母体がちゃんとあった。メンバー間は険悪にはなっていましたけどね(笑)。当時、LUNA SEAのメンバーはみんなそうなんですけど、自分が持ってる音楽性や表現したいと思う欲求をLUNA SEAの中にすべて投下しようとしていて。それをすると、バンドが崩壊するんですよ。自分が持っている素養や音楽性って、それを持っていないメンバーや理解できないメンバーもいるでしょ。強引にやることもできるけど、そうするとバンドは崩壊に向かうんですね。
──メンバー間が険悪というのは、そういう意味ですね。
SUGIZO:なので、1996年~1997年当時は、自分の中の音楽的な素養は20~30%ぐらいしか使ってなかった。LUNA SEAでマイルス・デイヴィスなんか出せないし、ジャパンもYMOも一風堂も出せなかった。自分のギターワークでそういうことはやってましたけどね。
▲『THE COMPLETE SINGLE COLLECTION』
──なるほど。
SUGIZO:それに、あの頃は20代終盤で若かった。表現したい音楽が自分の中に死ぬほど眠っていて、それを自分というフィルターを通して化学反応起こしたくてしょうがなかった。だけど、LUNA SEAでは20%ぐらいしかできていなかったってことが死ぬほどストレスだったんです。なので、ソロ活動はまず自分の中の芸術に対する表現欲求を爆発したいっていう、ただそれだけだった。
──ソロを始める理由としては、極めてピュアですね。
SUGIZO:すごく真っ当ですよね。ただただ自分の表現者としての本能で、目的はビジネスじゃない。若ければ若いほど、その本能を押さえつけようとすると精神的におかしくなっちゃうんですよね。爆発しそうでしたもん。なので、まずそれをやる必要があった。だけど、その頃の僕は今と真逆の人間だったと思うんです。社会に対して不満や怒りばかりで、それをポジティヴに解消しようともせず、ただ反抗的で自暴自棄…破滅型になっていた。20代中盤までは、今思うと典型的なセックス、ドラッグ&ロックンロールな感じで、人間的には今の僕が一番嫌悪するタイプ。
──でも、それを善しと思っていたわけですね。
SUGIZO:善しも悪しもわからない。それしかなかった。自分の中に溜まりに溜まった自分への怒り、社会に対する怒り、自虐的な部分、ネガティヴな感情などがすごく積もっていって、多分自分をクリアするためにそれを吐き出さなきゃいけなかったんでしょうね。
──そういう状況か。
SUGIZO:もうひとつ、「詩を書きたい。それを自分で歌わないと」っていうのがあった。自分の中の爆発しそうなエネルギーとかネガティヴな感情を誰かに代わりに歌ってもらうことが、あんまり想像できなかったんですよね。だから、歌の上手い下手、シンガーとしての未熟さは置いといて、ただ表現せざるをえなかった。それも多分とてもピュアなことだと思う。それが1990年代の、このベストアルバムでいうと頭の2曲(「LUCIFER」「A PRAYER」)です。
──エネルギーが渦巻いていたわけだ。
SUGIZO:それにね、LUNA SEAという母体があったので、いわゆるロックバンドの形に縛られる必要がなかった。ロックバンドという体はLUNA SEAで表現できるから、そうじゃない自分の中に眠っていたさまざまな音楽性を爆発させたかったので、ほとんどがクラブ寄り/ダンス寄りになったよね。LUNA SEA終幕後、2001年からはソロのスタンスなんですけど、最初は舞台と映画のサントラものが中心でした。そこにエネルギーを使った。3曲目「Rest in Peace & Fly Away feat. bice」は、サウンドトラックを手掛けた映画のテーマソングのボーカルバージョンで、それがシングルとしてリリースされたんですけど、その頃からもう一度ソロを本格的にやるときに、SUGIZO & THE SPANK YOUR JUICEというバンド形態を組んだんです。
──やっぱりバンドなんですね。
SUGIZO:その頃は本気でプリンスになりたかった。要はプリンス&ザ・レヴォリューションですね。特にLUNA SEAで表現できなかったブラックミュージック、ファンク、ソウル的な部分を前面に押し出した作品になった。「SUPER LOVE」「Dear Life」「NO MORE MACHINEGUNS PLAY THE GUITAR」あたり。2枚目に『C:LEAR』という作品を出しましたけど、サントラも入れると実は5枚目ぐらいになる。ソロワークの中で、最も生バンドの形態に徹している頃ですね。
──この頃はミュージックビデオもサイケデリックだけどお茶目だったりファニーだったりしていますよね。
SUGIZO:すごくソウルにハマってたな。「SUPER LOVE」や「Dear Life」のMV監督/ビジュアルプロデュースは小西康陽さんなんですよね。小西さんのセンスで僕を料理してもらった感じ。ピチカート・ファイヴの音楽家として有名ですしDJでも有名ですけど、ビジュアルアートもとても長けている人で、そういうところもあってああいう方向に振り切った。
──そういう方々とのコラボで、意見を素直に受け入れ採り込む余裕はあったんですね。
SUGIZO:余裕はなかったですよ。なかったけど、新しい扉を開きたいチャレンジャー精神はあった。その頃も交友関係は広くて、「SUPER LOVE」のホーンセクションはスカパラにお願いしたり、「Dear life」でもCOLDFEETのメンバーが参加してくれたり、交友関係でセッションも広げていた時期でもあった。でもそれから仕事でも私生活でもいろいろあって自分のペースがガタッて崩れるんですね。結果的に「NO MORE MACHINEGUNS PLAY THE GUITAR」から「MESSIAH」まで6年間ソロ活動ができない時期が続くんですけど、その時に自分を救い上げてくれたというか、仕事的にも人生的にも最もピンチのときに没頭できたプロジェクトがJUNO REACTORだったんです。それまでもトランス、テクノ、ダンスミュージックには結構傾倒していたけど、総本山であるJUNO REACTORのメンバーになることでものすごく学びがあってね。
──色んな意味で助けられた?
SUGIZO:JUNO REACTORと活動することによってだんだん運気が上がっていって、その後LUNA SEAの復活があって、次の年にX JAPANに参加する。2006~2008年ですね。そんな時期を経て2009年に「MESSIAH」がリリースされるんです。ソロとしては6年ぶりのシングルで、JUNO REACTORでの洗礼や世界中でのツアーを経験したこともあって、僕の音楽はサイケデリックトランスやダンスミュージックのほうに振り切られることになった。
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