ジョン・コラビ、モトリー・クルー脱退後「1年間、トラック運転手をやってた」

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90年代半ば、モトリー・クルーに在籍していたヴォーカリストのジョン・コラビは、バンド脱退後に約1年間、トラックの運転手をしていたそうだ。

◆ジョン・コラビ動画

彼は「Logical Logistics」のインタビューでこう話した。「俺がモトリーにいたことで、みんな、俺がマルチ・ミリオネアだったと思ってる。俺はモトリーに加入したとき金が入った。だが、1992年に加入し97年に脱退するまでの5年間、息子が糖尿病と診断され、母が癌と診断された。だから、幸運/不運にも、経済的に俺が彼らの面倒をみることになった。ほかにもいろいろあるだろ。莫大な税金とかさ。この金が頼りになったが、5年も経つと、危うくなり始めた。音楽業界に変化が生じ、80年代のバンドのアルバムが大ヒットするってことが減ったからな」

トラックの運転手を始めた理由についてはこう話している。「金銭的に困窮状態ってわけじゃなかったが、ラットが1年活動を休止することになり、当時は、養育費とか元妻の生活費とか払ってて、2度目の離婚もするとこだった。それで、俺にはちょっとした変化が必要、求めていたんだ。“よし、3週間でトラックの免許が取れる。やってみよう”って思ったんだよ」

トラックでアメリカの各地を周るのは楽しかったそうだ。「俺は人生の大半をツアー・バスの中で過ごしてきた。大抵は夜に移動するだろ。トラックを運転し始めるまで、見たことなかったものがいっぱいあった。驚いたよ」

そして、約1年経ったところで、「ラットから、ツアーやる準備をしようぜって連絡があった」という。「それで、俺はボスに“ツアーに戻るから”って伝えたんだ。面白かったよ。俺が誰だか知らなかった人が多かったからね。ツアーに戻るってボスに知らせたら、“何の話だ?”って言われた。そのとき、“俺は本当はミュージシャンなんだ”って明かしたんだ。俺が何者なのかとか俺の経歴を伝え、キーを手渡し、“感謝している。楽しかった。でも俺はツアーに戻る”って言ったんだ。1年近くやったよ。クールだったね。ただ運転し、頭の中で地図を描くってことしてて、頭がスッキリした。それにちゃんとした暮らしが送れたよ。俺と息子のための健康保険も与えられていたしな。クールだったよ。楽しい日々だった」

コラビはモトリー・クルー脱退後、2001~2008年にリズム・ギタリストとしてラットに在籍していた。


Ako Suzuki
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