【インタビュー第二弾】FANTASTIC♢CIRCUSが語る過去、「当時を超えるものを今、持っている」

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元FANATIC♢CRISISの石月努(Vo)、kazuya(G)、SHUN.(G)といったフロントマン3人によるユニットFANTASTIC◇CIRCUSが5月14日、日比谷野外音楽堂にてワンマンライブ<転生-TENSEISM- FtC 30th ANNIVERSARY>を開催する。同公演はタイトルどおり、“FtC”結成30周年を記念して行われるものであり、生まれ変わりを意味する“転生”には、彼らの現在、過去、未来が宿るに違いない。

◆FANTASTIC♢CIRCUS 画像 / 動画

インタビュー第一弾では、日比谷野外音楽堂ライブ開催を発表した3人の現在について語ってもらったが、第二弾のテーマは過去。「東京に来てからあまりいい思い出がなかったので、むしろ蓋を閉じてる部分もあった」と辛辣な発言もあった一方で、「僕の青春そのものでした」とFANATIC♢CRISISへの熱い想いが溢れ出した第一弾。今回はFANATIC♢CRISISというバンドスタイルのオリジナリティをはじめ、ソロアーティスト石月努、kazuyaとSHUN.のTHE MICRO HEAD 4N'Sをそれぞれがどう見ていたかが赤裸々に明かされる。「人あっての音楽なんです」とは石月の弁だが、30周年を迎える2022年、過去の経験を現在に活かすべく3人が組んだスクラムに隙はない。

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■あなたは音楽をやめないほうがいい
■才能があるからと努に言ったんです

──インタビュー第二弾は、まず1992年にFANATIC♢CRISISを結成してから解散までの13年間を振り返っていただきたいと思います。第一弾インタビューでは石月さんが「FANATIC♢CRISISは青春だった」とおっしゃってました。

Kazuya:10代から20代の一番血気盛んな時期だったんで、やっぱり特別ですよね。


──ヴィジュアルシーン開花期に第一線で活躍していたことを裏付けるように、1997年から1998年頃にはMALICE MIZER、La'cryma Christi、SHAZNA、そしてFANATIC♢CRISISが“ヴィジュアル四天王”と呼ばれていました。

石月:“ヴィジュアル四天王”という言葉自体は、たしかテレビ朝日の音楽番組『Break Out』が作ったもので。まぁ、自発的に「ヴィジュアル四天王です!」と言ってたわけではないので、勝手に付けられたあだ名みたいに思ってましたけどね(笑)。

──そもそもFANATIC♢CRISISは当時、あまり他のバンドと交流していたイメージがないんです。おそらく他のヴィジュアル系バンドは同じ音楽事務所に所属しているとか、地元の先輩後輩とか、縦や横のつながりがあったと思うんですが、FANATIC♢CRISISは独自の方法論を持っていたというか。ある意味、ヴィジュアル系らしくなかったというか。

石月:僕たちはただ音楽をやっていただけなんですよ。だから、そう見えていたとしたら、ファンの皆さんと当時の所属事務所スタッフ、メディアの皆さんの支えがあったからだと思います。いい子ぶるわけじゃなくて、当時からそこは謙虚に受け止めてましたけどね。めちゃめちゃテクニックがあってとか、音楽的に深くてとかっていうバンドでもなかったし。ただ、すごく意識してたのは、“面白いことをしよう”っていうオリジナリティの追求。

──なるほど。

kazuya:当時は真っ黒の衣装を着たバンドばかりだったから、逆に真っ白な衣装を作ったりしたよね。「目立つんじゃない?」って。音楽的にも当時のヴィジュアル系ってツービートの楽曲が多かったんですよ。だったら僕らは、縦ノリじゃなくて横ノリの曲をやろうとか。メロディアスなんだけど転調がある曲にチャレンジしたりとか。常に周りの逆を突いてたというか。だから周りのバンドとの差別化はすごくできていたと思う。

石月:そこでバンドの個性が磨かれていったのかなって思いますね。当時、結構名の通ったヴィジュアル系バンドから「どうしたら、そういうスタイリッシュなイメージを作ることができるんですか?」って相談されたりしましたし。あと、FANATIC♢CRISISはとにかくライブで闘ってきたと思う。特にまだワンマンができなかった頃とか、対バンイベントに出演するときは、“1人でも多くのファンをかっさらうぞ”っていう気持ちでやってましたね。

kazuya:常にそういう意識だったよね。ライブって本来楽しいものだと思うんですけど、今思い返せば、闘いの場所だったから。たとえば自分も客席も盛り上がりに欠けてたら、スピーカーをバチコーンと殴って無理矢理テンションを上げさせたり。

石月:パフォーマンスじゃなくてね。

SHUN.:今みたいにコンプライアンスがどうとか、言われない時代だったから。

石月:喧嘩上等みたいな感じですよ(笑)。違うバンド目当てで対バンイベントに来てる人たちに対して、どれだけアピールできるか、ものすごく闘ってました。


──ライブ会場のキャパを上げていくっていうことも、当時のヴィジュアル系にとってひとつの目標だったと思うんですが、FANATIC♢CRISISはあえて大きな会場でやらなかったというイメージもあります。

石月:たしかに僕らは日本武道館とか横浜アリーナとか、イベント出演はあれどもワンマンはやってないんですよ。そこは所属事務所の意向もあったし、僕ら自身がライブハウスの一体感が好きでしたから。たしかにインディーの頃は大きな会場でやるってことが最優先でしたけど、メジャーデビューしてからは、あまりそこは考えなくなりましたね。

kazuya:ホールとライブハウスを行き来することで、自分達自身が飽きることがないっていうことも大きかったと思う。

石月:何もかもペースが早くて、考える余裕がなかったというのもあるかもしれない。たとえばCDリリースするにしても、その音源自体は1年くらい前に録り終わってるという。未来を生きてるみたいな感覚がありましたよね。

──売れっ子アイドルみたいな話ですね(笑)。

石月:ホントに(笑)。引越しをするたびに当時のスケジュール帳がポロッと出てきたりするんですけど、改めて見てみるともう予定がビッチリなんですよ。20代という若さがあったからできたんだろうなって思います。アルバムリリースのタイミングで音楽的な区切りはあったんですけど、それよりも年単位でスケジュールが決められていた感じだから、こなすことに精一杯だったというか。もちろん、そのひとつひとつを粗末にしてたわけではなくて、毎日を必死に生きるみたいな感じでしたよね。

──解散までの13年間にシングル31枚、アルバム11枚って、かなりハイペースなリリースで。当然、その間にツアーも行っていたわけですから。2005年5月14日に東京ベイNKホールで解散ライブを行いましたが、解散理由はメンバー間の音楽的方向性への考え方の違いや、契約期間満了というタイミングが重なった、ということが真実でしょうか?

石月:解散理由は当時公式発表したとおりで。ただ、今回のインタビュー第一弾で「解散の理由も正式に伝えていなかった」と言ったとおり、一言では表せない状況があったんだと思います。


──だから第一弾で語られたように「僕の中でやり残したことがあった」という引っかかりが大きくなっていったわけですよね。石月さんは解散から7年後、再び音楽シーンへ帰ってきたわけで、その際の決意や経緯は当時のBARKSインタビューで語っていただいてます。一方、THE MICRO HEAD 4N’S結成に関するBARKSインタビューも公開しているので、それぞれの再始動に関する詳細について、ここでは割愛しますが、FANATIC♢CRISIS解散後、お互いの活動はどんなふうに見えていたのでしょうか?

石月:初めてTHE MICRO HEAD 4N’Sのライブを観に行ったときのことを、今でもすごく覚えてるんです。Rickyがボーカルだった頃なんですけど、ステージに立つふたりを僕は何十年ぶりかに客席から観たわけで。えらい不思議な気持ちになりましたよ。なんだか自分が幽体離脱してるような(笑)。

kazuya:あははは!

石月:本来、僕がいるはずの立ち位置にRickyがいて。でも間違いなくkazuyaとSHUN.がギターをプレイしているし、ふたりの存在感もすごかった。“俺、この後、呼ばれるんじゃないかな?”みたいな感覚というか……“いや、呼ばれねーよ!”っていうことなんですけど(笑)。

SHUN.:ははははは!

石月:それくらい不思議な感覚がありましたね。でも相変わらずというか、こんなに華があるふたりのギタリストなんてそうはないから、誇らしい気持ちになりました。

kazuya:それは僕から努を見ててもそうでしたよ。努は覚えてるかわからないけど、FANATIC♢CRISISが解散するとき、僕は努に「あなたは音楽をやめないほうがいい。才能があるから」と言ったんですよ。でも、努は一回やめちゃうんですけどね。まぁ、それも努らしいところなんですが(笑)。ソロとして復活したときはやっぱり嬉しかったですし、音源を聴いてさすがだなと思いました。こちらこそ誇らしい気持ちになりましたよね。

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