【対談】44MAGNUMのJIMMY × 大石“jack”征裕が語る、<JACK IN THE BOX>と全ての原点「40周年のケジメです」
■44MAGNUMが師匠でREACTIONと
■D'ERLANGERは弟子だったり後輩
──DANGER CRUEという事務所名が決まって、わりと早い段階で大阪から東京に転居するんですか?
大石:いえ、大野祥之さんの自宅マンションに、自分も含めた胡散臭い5人でよく泊まってましたよ(笑)。大野さんが貸し布団を用意してくれて、一部屋にギチギチに布団を敷いて、全員で雑魚寝するという。
JIMMY:風呂も順番に入るからさ、最後の人が入り切るまでにすごく時間が掛かって(笑)。
大石:おもしろいのが、お米を炊く量がすごくて、奥さんがそれで疲弊してました(笑)。
──カレーを大量に用意しても、奥さんの食べる分まで残らなかった、という話を聞いたこともあります。
JIMMY:ああ〜、めっちゃ気の毒(笑)。
──どの口が言う?って感じですが(笑)。
大石:1983年12月15日に渋谷公会堂ライヴがあって、翌週21日にアルバム『DANGER』をリリース、それが44MAGNUMのメジャーデビュー。その頃もみんな、まだ大阪に住んでいましたね。結局、自分が東京に引っ越したのは1984年7月です。44MAGNUMはツアーばかりしていたから、東京に事務所を構える必要がなかったんですよ。携帯もない時代だったから、大阪高槻の自宅を連絡先にして、うちのおばあちゃんがその電話に出ていたんですよ(笑)。「●●さんから電話あり」とか、ちゃんとメモってくれていました。
▲大石"jack"征裕
──本拠地を点々として仕事するとは、随分前からノマドを実践していたわけですか。時代の最先端ですよ。それはともかく、44MAGNUMのために生まれた事務所がDANGER CRUEです。その後、徐々に所属バンドを増やしていきますが?
大石:44MAGNUMにはローディがいて、関西のローディとして若き日の足立裕二(DEAD END)もいれば瀧川一郎(D'ERLANGER)もいたし。東京でのローディは当時、SAVER TIGERにいた菊地哲(D'ERLANGER)、まだMEDIAというバンドにいた加藤純也(REACTION)で。そんな頃に知り合ったのが、REACTIONのYASUとYUKI。当時のYUKIは、“ツバキハウス”というディスコで毎週行われていた<ヘヴィメタルナイト>を仕切っていたような男で。「関西に金髪の派手なバンドがいる。潰してやろう」なんて言ってたらしくて。そのバンドというのが44MAGNUMだったという、笑い話のような本当の話もあります(笑)。そのYUKIから「いいヴォーカルいねえか?」ってことで、紹介したのが純也なんです。それでREACTIONもDANGER CRUEで動かすようになりました。
──JIMMYさん、当時の純也さんはどんな感じでした?
JIMMY:純也はPAULに付いていて、哲はJOE(Dr)で、一郎は俺を見ていて。
── 一郎さんはJIMMYさんのことを昔から“師匠”って呼んでますからね。
大石:44MAGNUMのメンバー3人は、それぞれ師匠って呼ばれていたから。師匠がいっぱいのバンドが44MAGNUM。
JIMMY:笑福亭に通おうかと思ったぐらいで(笑)。
──そっちの師匠ではないですから(笑)。ローディ時代の一郎さんはどんな印象でした?
JIMMY:やっぱり勘が鋭い。俺は演奏中はしゃべれないから、目で合図をするんだけど、それだけで一郎は理解してくれる。ライヴをやってて、どこかがトラブりそうなら、それをすぐに察知してた。それはひとつのスキルだし、ローディとして勘が鋭いと、演奏する側に回ったとしても、それが活かされるんですよ。テックにも演者にも勘の鋭さは必要。だから一郎は当時からすごく敏捷でしたよ。ヤツのステージを観たら分かると思うんだけど、あのキレのある動きは全部アイツの性格っていうかね(笑)。俺からすると、ローディやっている一郎と、ライヴやっている一郎は、そんなにイメージが離れてなくて、同一線上というか。
▲JIMMY (44MAGNUM)
──REACTIONと重なるようにしてDANGER CRUEが手掛けたのがD'ERLANGERですか?
大石:同時ではないんですよ。REACTIONが1984年とか1985年からで、D'ERLANGERは1986年とか1987年から。それに僕は一郎がちゃんとバンドをやっていたのを知らなかったんですよね。あるとき、恥ずかしそうにカセットテープを持って来て、「もし良かったら聴いてみてください」と。「なんていうバンド名なの?」って聞いたら、「D'ERLANGERというバンドです」と。デモで聴いた音は、一郎はカッコいいんだけど、“う〜ん…”という印象でした。ところがその後、D'ERLANGERのドラムがローディ仲間の哲になったわけです。そのタイミングで、「ヴォーカルが心もとないから新しく探したい」とも言っていました。候補の中にkyoちゃんがいて。あのときkyoちゃんはSAVER TIGERをやってたのかな。
──そうでしたね。哲がSAVER TIGERに在籍したことがあるので、その流れで候補に上がったんだと思います。
大石:哲と一郎が「面談してくれ」ということで、44MAGNUMの日比谷野外音楽堂ライヴにkyoちゃんを呼んだんですよ。そうしたらkyoちゃんは衣装を着て、メイクして、金髪を逆立ててやって来たんです(笑)。
──“千葉のマイケル・モンロー”とX JAPANのHIDEさんが言ってたことがあります(笑)。
大石:そう、すごい派手な格好で来たから(笑)。「なんやそれ!? その格好で電車に乗ってきたん?」って聞いたら、「はい、来ました」って。もう、その根性がすごい。「カッコいいじゃないか」ってことで、後任のヴォーカルがkyoちゃんに決まって、D'ERLANGERのラインナップが揃ったわけです。「曲もありますよ」ってことだったから、「じゃあ、録ろうか」って話になり。それで作ったのがインディーズアルバム『LA VIE EN ROSE』(1989年2月発表)。哲は1日で全曲のリズムを録り終えて、3週間で全部の工程が終わったのかな。
──なるほど。44MAGNUM、REACTION、D'ERLANGERという流れは、師匠とローディという関係性もあって、すごく分かりやすいと思うんです。その後、所属する新人アーティストはどういうふうに見つけていったんですか?
大石:まず44MAGNUM、REACTION、D'ERLANGERの関係性を説明すると、おっしゃるように44MAGNUMは師匠で、REACTIONとD'ERLANGERはその弟子だったり後輩だったりなんですよ。44MAGNUMを見て、音的な部分でも育てられてきたわけです。つまり同じ学校の先輩と後輩という関係みたいなもの。それでうまくいったんです。44MAGNUMはデビューしてジャパメタシーンを代表した、REACTIONはインディーズで1万枚以上売った、D'ERLANGERもインディーズで3万枚以上売った。その後、REACTIONはビクターからデビュー、D'ERLANGERもBMGビクターからデビュー。そこまで順調で、“44MAGNUMスクール”はDANGER CRUE第一期のパワーになっていたんですよ。
──そこから急変するんですか?
大石:いや、その後に“44MAGNUMスクール”にはいなかったHURRY SCUARYを手掛けるんです。というのも自分はリッチー・ブラックモアが好きで。JIMMYがジミー・ペイジだとしたら、マイケル・シェンカーが好きなREACTIONのYASUがいたり。でもリッチー・ブラックモアはDANGER CRUEにいなかった(笑)。ところが横をふと見たら、中間英明がいたんです(笑)。これは手掛けたいなと思ってHURRY SCUARYに声を掛けたんですよ。それでBMGビクターでHURRY SCUARYを出して、その後には中間英明のソロアルバムも作ったんです。そのあたりがDANGER CRUEの第一期の終盤で。1989年に44MAGNUMは解散するんですけど、その少し前の1987年ぐらいに44MAGNUMは“脱ヘヴィメタル”のスタイルに変わっていってたんです。
JIMMY:(脱ヘヴィメタルした)『LOVE or MONEY』(1987年12月発表)と『EMOTIONAL COLOR』(1988年8月発表)は44MAGNUM名義でやるべきじゃなかったね。今、思うと、ソロなり別プロジェクトでやるべきだった。でもあの頃は、バンドと別でやるなんて、そんな考えはご法度だった時代だからね。
大石:あともうひとつ言えるのは、44MAGNUMは早すぎた、すべてにおいて。俺達がやっていることは3年早すぎたんです。
JIMMY:その後に俺が結成したTOPAZも解散後に言われたな、「3年早すぎた」って。とは言うものの、そんなこと言われたって、本人達には分かりませんよ。
──常に最先端の音楽を生み出そうと思ってやっているだけですからね。
JIMMY:いや、新しいものをやりたいっていう意識もないですよ。
大石:耳当たりが良くて、カッコいいなと思うことをやっているんだと思う。
JIMMY:うん、自分たちでいいなと思っているものをやっているだけ。
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