【インタビュー】遊佐未森、5年ぶりアルバム『潮騒』完成「とても濃密。静かに燃えているみたいな感じ」

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■子供の時から歌ってきたものが
■ずーっと今もある感じがあります

──外間さんは「I Still See」「BALCONY」の2曲を提供されていますが、それ以上に、アルバム全体に存在感を感じます。

遊佐:外間さんが数えたんですけど、スタジオに一緒に入るのが17年ぶりと聞いて、クラクラするぐらいびっくりしました(笑)。ジャケットのデザインはしてもらっていたし、いろいろ相談したりしてはいたんですけど、プロデューサーとして入ってもらうということで、やっぱり素晴らしい才能をお持ちで、遊佐未森の音楽にすごく愛情を持っていてくれて、今回のアルバムで一緒にできてすごく良かったなと思いますね。このタイミングに何か意味があるんだろうな、と思っています。

──デビュー初期の緊密な時期があって、離れた時期があって、また近づいて。何がまた、呼び合ったんでしょうか。

遊佐:いろんなことが考えられるんですけど、さっき言った3作は、自分と向き合って旅をしていたような感覚もあるんですね。たくさんの人に参加していただいているんですけど、自分がそういう作り方を選んでいたところもあったんです。それが終わって、次にまた新しいところに行きたいと思ったタイミングだったということと、2018年の30周年のライブの時に、大きいコンサートをすることになって、東京公演はアイルランドからトゥリーナ(・ニ・ゴーネル/元ナイトノイズ)が来日してくれて。大阪公演では外間さんにゲストで入ってもらう予定だったんですけど、ご病気をされて出られなくなってしまった、ということがありましたので。外間さんが回復されて、また一緒に作りたいという思いがあったので、すごく自然な流れでこうなった気がしています。


──外間さんの存在は、どんなところで影響を与えていると思いますか。

遊佐:外間さんは文学のほうのお仕事もされていたり、いろんな角度から、たあいもない話も含めてたくさん話してきました。たとえば「ルイーズと黒猫」が短編小説風だったりとか、いろんなエッセンスを受けていると思います。「さゆ」という曲もそう。あれは私が、詩人の茨木のり子さんの本がもともと好きで、「さゆ」という詩があって、それにインスパイアされて作りました。歌詞じゃなくて、ただつぶやいてるだけですけど(笑)。

──歌詞は“さゆ…さゆ…”だけですね(笑)。

遊佐:たまたま、茨木さんの新しい本が出版されて、その装丁を私のお友達がしていたこともあったり、そんなこともあって曲を書いてみようと思ったんです。茨木さんが書かれた「さゆ」は、若い女の人が薬局に行って、「白湯をください」と言ったんですって。子供に薬を飲ませるために、白湯というものが必要だと聞いて、「白湯を売ってください」と言ったら、お店の人もきょとんとして、女の人もきょとんとして帰っていって、それで茨木さんは、おうちでふうふうしながら白湯を飲んでいる、という詩なんです。それがすごく好きで、私もよく白湯を飲むので、「さゆ」という曲を作ろうと思ったんですね。

──「ゆさ」をひっくり返しているのも、なんだか面白いです。

遊佐:そうなんです(笑)。

▲アルバム『潮騒』初回盤

──そういう文学的な世界と、クラシック調の、たとえばベルカント唱法との組み合わせとか、聴いていて楽しい瞬間がいくつもありました。

遊佐:「夢みる季節 タルトタタン」では、ベルカント唱法を使っていますね。「潮騒」のエンディングでもやっています。外間さんが「やってみたら?」と言ってくださったので。

──高校、大学と声楽を学ばれていて、ポップスシンガーとしてデビューしたあと、それは封印していたものだったんですか。

遊佐:なかなか披露する場がなかったんですけど、自分の中には当たり前のようにあの歌い方があったので。浜離宮朝日ホールで、久しぶりにアリアを歌った時に、すごく楽だし面白いなと思ったこともあって、レコーディングでやってみてもいいかな?と。今までもどこかにこそっと入れてきていたような気はしますけど、ここまであからさまに入れているのは、初めてかなと思いますね。浜離宮朝日ホールの時に大口さんがピアノを弾いてくれて、彼はもともと芸大ですし、周りにクラシックの人がいっぱいいるから、一緒にライブをする時は何の違和感もなくそういうものを披露できるので、その環境も良かったんだと思うんですけどね。

──ちなみに、アリアや歌曲、どんなものがお好きですか。

遊佐:プッチーニの『ラ・ボエーム』とか。学生の時は「宝石の歌」(グノー「ファウスト」より)という、フランス語で難しいんですけど、そういうものを歌っていたりもしました。やっぱりイタリア語で歌うのが好きだし、『イタリア歌曲集』の中に入っている超メジャーなものは、デビューしてからも弾き語りで歌ったりしていたんですね。でも私の中では、“ジャンルは違うけど音楽ということですべてはひとつ”という感覚があって、たとえば私は「安里屋ユンタ」をよくカバーするんですけど、アイルランドのゲール語の「人魚の歌」も最近よく歌っていて、そういうものとイタリア歌曲と、言葉はみんな違うんですけど、歌う時には自分の中に全然壁がなくて、同じコンサートの中でもうまく組み合わせられれば、普通に歌えてしまうので。キャリアを重ねる中で、いろんな音楽と出会うことで、子供の時から歌ってきたものが、ずーっと今もある感じがありますね。

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