【インタビュー】村井研次郎 (cali≠gari / ELLEGUNS)、早稲田〜高田馬場を語る「日常を過ごすには良い街」
1990年代にcali≠gari加入、同バンドの活動休止以降はSEX MACHINEGUNSへの参加を経て、現在もcali≠gari、ELLEGUNSといったバンドをはじめ、ソロとして卓越した技量を響かせるベーシストが村井研次郎だ。早稲田大学理工学部から大学院へ進学するという明晰な頭脳を持つ一方で、その後、プロミュージシャンの道を選んだという経歴からも、並大抵ではない感性の迸りがうかがい知れるというもの。
◆村井研次郎 (cali≠gari / ELLEGUNS) 画像
村井研次郞単独インタビューでは、早稲田大学在籍時を振り返ってもらい、当時の早稲田や高田馬場周辺を取り巻く環境はもとより、数々の著名人を輩出し続ける早稲田大学音楽サークルについて、さらには自身がプロミュージシャンになった経緯やオススメのスポットについてじっくりと語ってもらった。当時の風景や心模様が目前に表れるようなインタビューから、早稲田という街の特色が見えてくるはずだ。
なお、BARKSでは『音楽と住まい』と題した連載特集ページを公開中だ。【早稲田・高田馬場エリア 編】はその第四弾であり、ライブハウスMAPや街の音楽情報、物件情報を掲載しているのでこちらも併せてご覧いただきたい。
◆ ◆ ◆
■メタル以外の音楽を勉強したのは
■早稲田のサークル時代の3年間だけ
──早稲田大学理工学部には1993年に入学されたそうですが、音楽サークルにも所属していたとか。
村井:入学してすぐではないんですが、いくつかのサークルに入りました。ただ、たとえば、卒業したら就職するとか大学院に行くとか、3~4年先の未来像をほとんどの人たちが持っているわけで。真剣に音楽をやりたいと思っていると、サークルだけでは物足りないというか。私も最初は大学院を視野に入れたんですけど、1年生の頃から目黒鹿鳴館や目黒ライブステーションあたりをうろつくようになったんです。
──サークルの枠内だけでなく、もっと広い世界で音楽がしたかったという。学内のサークル活動と並行してライブハウスシーンにも目を向けていたんですか?
村井:私は高校のときにメタルを聴いていて、“大学に入ったらメタルバンドをやるぞ!”と思って入学したんですけど、大学にはそういう人がほぼいなくて、“あれ?”ってなったんですね(笑)。入学した1993年頃にはメタルブームが終わっちゃって、当時はニルヴァーナをはじめとするオルタナティヴ/グランジが流行り出したんじゃないですかね、みんな、半ズボンで髭を生やしてましたから。だったら自分でメンバーを探すしかないと思って、目黒のライブハウスに行っていたんです。当時は目黒に行けばメタル好きな人とも出会えましたし。要するに、音楽雑誌に出ているようなミュージシャンの方といかにコンタクトを取るか、そっちの活動に精を出していたんです。
▲村井研次郎 (cali≠gari / ELLEGUNS) |
村井:全部調べましたね。たしか30~40ぐらいあったと思います。一番有名なのは、デーモン閣下とかサンプラザ中野くんが在籍した「WFS (Waseda Folksong Society)」じゃないでしょうか。今でも何百人も部員がいると思います。僕が2年生から入ったのは、「The Naleio (ザ・ナレオ)」というブラックミュージックが主体で、スタジオミュージシャンをたくさん輩出しているサークルでした。
──そもそも、村井さんが好きなメタルとは畑の違うサークルですけど、そういう音楽性にも興味が?
村井:ブラックミュージックをたくさん聴いたことで、最終的には好きになりましたけど、単にベースの練習に行っていたという感じで。ベーシストとしてブラックミュージックのグルーヴとかテクニックを得たかったんです。当時は「早稲田モダンジャズ研究会」と同じ部室で、古くはそこにタモリさんが在籍していたり、ライブの司会がフジテレビの露木茂さんだったりしたらしいんですね。
──それはすごい。「The Naleio」というサークルではどんな活動を?
村井:「The Naleio」とか「WFS」で真剣にサークルにのめり込む人の中には、大学に行かなくなってプロになる人も多かったんですけど、私はあくまでも学業がメインでした。化学系だったから授業に出て実験に参加しないと単位が取れないというのもあるかもしれませんね。理工学部のキャンパスは早稲田キャンパスから歩いて15分ぐらいの場所にあるので、部室に入り浸るわけにもいかないから。基本は午前中から夕方まで理工学部で勉強して、授業終わりの夕方から早稲田キャンパスに歩いていくか、シャトルバスで行った記憶があります。当時、「The Naleio」の部室は諏訪通り沿いの文学部にあったんです。今はもう造り替えてその頃の雰囲気はまったくないんですけど。
──なるほど。その周辺で遊んだりも?
▲ジャズ喫茶「マイルストーン」オフィシャルサイトより |
──目黒のライブハウスで音楽系の人脈を築きつつ、大学のサークルではジャズやブラックミュージックなどの音楽を吸収したんですね。
村井:メタル以外のことで音楽を勉強したのは、それ以前にもそれ以降にもないですから、ほぼその3年だけですね。先輩から教わったり、スタジオミュージシャンのところにベースを習いに行ったり。聴いたり、弾いたり、音楽理論書を読んで学んだり。その時期に身に着けたことが、今のプレイスタイルに活かされていると思います。
──「サークルの掛け持ちもしていた」ということですが、「The Naleio」の他でも音楽を勉強したり?
村井:理工学部の「早大アメリカ民謡研究会」にも入ってました。“アメリカ民謡”だから本来フォークロック系だと思うんですけど、ロック系サークルだったのでメタルでもロック寄りなAC/DCのカバーだったりアメリカンロックだったりをやってましたね。そのサークルには合宿もあったんです。福島の岳温泉に大学のバンドサークルをターゲットにしたペンションがあって。設備が整っていてレコーディングスタジオもついているところでした。そこに一週間弱寝泊まりして最後はセッションとか発表会をやって、どんちゃん騒ぎをしておしまいみたいな(笑)。
──ははは。サークルのライブ活動は校外でもやっていたんでしょうか?
村井:私はやってないですね。当時、学園祭の最後に後夜祭があったんですけど、早稲田キャンパスにすごく大きなステージを作ってライブをしていたんです。大注目のイベントですし、出演者は花形ですよね。後夜祭に出演できるバンドは限られていたので、ほとんどの音楽サークルの目標が、そこに出演することだったみたいで。後夜祭に出演して就職というのが、最高のストーリーだったと思うんですけど、私にとってはそうではなかった。とにかく目黒ステーションや目黒鹿鳴館でやりたいという気持ちが強かったので。
──なるほど。
村井:あと、大学外の活動といえば、音楽雑誌のメンバー募集コーナーを見て、往復ハガキに“当方プロ志向”って嘘を書いて応募したり(笑)。“アマ志向”って書くと返事がこないんですよ。それに、最初は早稲田大学の学生だということを言わないようにしていました。「ああ、キミは大学生だからプロ志向ではないでしょ?」って断られることもあったので。今はプロとアマの垣根がないですし、大学に通いながらプロでやってる人もいっぱいいますけど、当時は“プロ志向”か“アマ志向”か、白黒ハッキリしていましたから。
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