【インタビュー】sads、清春が語る活動休止とロックの本質「sadsも黒夢もヒストリーのひとつ」

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■ただ、ファンの人には
■sadsのことを憶えといてって

──ダラダラ続けるよりも、ここでビシッと終わらせる?

清春:うーん、ドキドキしないっていうかね。“バンドってドキドキしなくなったよね”って思う……僕がというよりは全体的に。写真一枚で、“コイツら、すげーヤバいな!”ってバンドなんていなくなったでしょ。“バンドってカッコいいな! 俺も始めよう”ってきっかけになるような人がいなくなったというか。要するに、今旬のバンドのやってることがカッコよくないんでしょうね。ジャンル問わず、カッコよくてドキドキするようなやつが日本から出てこない時代になった。

──なるほど。

清春:あ、首振りDollsだっけ? あのバンドはちょっとカッコいいなと思ったけど。

──見た目として初期のモトリー・クルーっぽさを感じます。

清春:歌もいいしね。まぁ、バンドを事件にできる人が減ったんじゃないかな。音楽雑誌も減ったし。バンドにとっての目標がないんじゃない? フェスに出るとか武道館でやるとか、目的がどんどん現実的なものでしかなくなったから、気持ちが削がれちゃってるよね。

──確かに、そういう面はあるかもしれません。

清春:海外ツアーとか別にすごいことじゃないでしょ、ちょっとイメージすればできる。僕がかつて考えていたことって、“若い男ほぼ全員に、服装から何から俺の真似させる”っていうことだったのね。やろうとしてたことが果てしなかったんですよ。そういう気持ちで動いてた。武道館とかフェスとか海外ツアーのためじゃなかった。“ロックミュージシャンはカッコいい”って思わせたかったし、それがきっかけでバンドを始めたので。それぐらい思わせられるやつが、今、ホントに生まれづらい。

──そこを清春さんがどうにかしようと考えたりはしますか? 今後、第二のsadsを発掘したり、プロデュースしたり。

清春:いや、全然。時代というか年齢なんだろうね。かつては、大人も子供も、男も女も振り向くような“ヤベーな、これ”っていうカッコいい人たちがいたと思うんですよ。“コイツには圧倒的に負ける”っていう感覚が人間にはあるでしょ。要は、文明が発達していない時代、“狩りでコイツに勝てない”って思わせられるような人がいたと思うんです。

──オーラとか本能的なものだったり。

清春:詳しくないけど、今のヒップホップとかダンスの世界にはそういうヤバいやつがいると思うんですよ。だけど、ロックでは難しいよ。たとえば、僕らは宅録でのし上がってきた人たちとは戦えないんですよ、制圧するポイントが僕らと違うから。こっちがいくら狩りが強くても、“狩りなんてもうしないですよ”って言われちゃう時代なんだと思う。そこら辺に落ちてる草とか木の実でうまく生活するのが楽しい時代だから。

──ははは、なるほど(笑)。

清春:だから狩りをするやつが出ない。ここ5年ぐらいすごくそう思ってて。カッコよく写真を撮るのも無駄だなと思ってたりするんですよ、“これ、誰がわかる? アーティスト写真なんて要る?”って。ミュージックビデオだって、iPhoneで撮るような時代ですよ。僕らみたいに何百万円もかけてカッコいい映像を作るっていうのは……まあ、ヒストリー上に残るから、最大限カッコいい映像を撮って残したほうがいいんだけど。“いや、こんな時代にどうだろう……”っていうのはすごく感じますね。ただ、全然悪い時代ではなくて、すごく生きやすくなってることはいいと思うんです。

──クリエイティヴ的な物足りなさは感じますけどね。

清春:服だって、とりあえずユニクロやGAPでいいわけじゃん。僕らみたいに「この革ジャン、昔、マイケル・モンローが着てたようなやつだから、何十万円も出して買う」とか、「あの革ジャンが似合う男になりたい」じゃなくなってる。服に限らず、全部が同じことになってて。

──それを実感する場面は増えましたね。

清春:今で言う“カッコいいロック”って、木の実を採って量が増えたようにうまく見せかけて食べる人たちが、昔ちょっと聴いてたロックをテイストとして入れてるだけの話。だから、別モノなんですよ。“肉を狩るのがすごかった先輩のように、俺も!”っていう時代じゃない。

──情景が目に浮かぶようです。

清春:僕は、ある程度若い頃に自分でやれることはやったと思ってるんでね。今さら木の実なんて採れないですもん。木の実の何が美味しいか、わからない。フェスの話を聴くと、本当にそう思うよね。この夏、sadsで対バンシリーズ(<The reproduction 7th anniversary「EVIL 77」VS 7 days>)を7本やったじゃないですか。その時、いつものように僕がコップの水を口に含んで、それを再度コップに入れてフロアにぶちまけたりしたんですけど、ある対バンの子が“えっ!?”って驚いてたんですよ。どうも、そういうの今、ナシらしいですね。でも、そんなの僕にとっては当たり前で。“そんな時代なの!?”って、こっちが驚いた(笑)。

──バンドの皆さん、おとなしいんですかね。

清春:まあ、ライヴを時間通りに始めるっていうことも含めてね。

──ライヴといえば、11月30日の品川ステラボールがツアー<FALLING>の最終日です。sadsのライヴとしても、ここが大きな区切り、ファイナルとなります。

清春:そうだね……何がいいのかなあ。何やればいいと思います?

──“chapter 3”は“TOKYO 7DAYS”を掲げていますからね。当然、特別な趣向にも期待してしまうわけで。たとえば、全アルバム完全再現なんかも面白いですよね。毎晩、演奏する作品を変えて。

清春:んー、やらないやらない。やれるわけないじゃないですか(笑)。

──そうおっしゃるだろうなと思いました(笑)。

清春:カッコいいけどね、そういう完全再現ライヴって。メタリカのやつとかさ。

──そういう趣向も出尽くした感はありますね。

清春:そこまで手を変え品を変えやろうとは思ってないんですよ。ただ、ファンの人には、sadsのことを“憶えといて”って思う。

──それは、<FALLING>というツアーのこと? 『FALLING』というアルバムのこと?

清春:うん、「smily sadly」っていう曲があるんですけど──。

──『FALLING』の最後を飾る曲ですね。

清春:“守っていて 世界”っていう歌詞があるんです。ファンの人たちにはそういう風に思いますね。

──なるほど。

清春:バンドでドキドキすることなんて、あるのかな……。ドキドキすることをやりたいんだけど、なかなかないよね。それはもう僕が大人だからなのかなって思ったり。さっき言った首振りDollsは、一瞬いいと思ったけどね。ミュージックビデオを観たんだけど。最後に一緒にやりたかったなあ。

──おお。

清春:なんかロックっぽいよね、匂いが。そういう香りが多くの若い子にはもう伝わらないのかな? そんな気がする。

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