【インタビュー】ASH DA HERO、プロデューサーと語る新曲4作とBLITZワンマン「ASHとは何者なのか?」
■レフティとの音楽制作を形容するなら
■ボクシングをやっているような戦いに近い
──というのは?
ASH:僕のバイト先に、たまたまお客としてレフティが現れたんですよ。そのとき「今、なにしてるの?」って聞かれて、「とにかく最強の音楽をひとりで作っている。曲は山ほどあるんだ」みたいな話をしたら、レフティもプロデュースとかアレンジの仕事をしていたから、「プリプロしようよ」って。嬉しかったですね。そのときの僕はバンドもないし金もない。一心不乱にひたすらソロとしての曲を作ってた時期でね。“これをやらなきゃ人生が終わる”くらいの気持ちで賭けてたし、曲には自信があったから。
▲2018年2月某日@都内某レコーディングスタジオ |
ASH:まさに。レフティはプロデュース/アレンジ活動が軌道に乗ってる時期だったから、「来週スタジオを使えるから、一緒にプリプロしようよ」って、デモを送った直後に即レスをくれてね。
レフティ:デモを聴いて、“もっと高めることができる”と思ったんでしょうね。当時僕は、ニコニコ動画でレフティーモンスターPとして活動したり、制作サイドとして楽曲提供をしたり、バンドを組んだり、いろいろなプロジェクトを並行していたんですけど、自分が発信できる場所をしっかり作りたいと思っていた時期でもあって。もちろんASHの作品ではあるんですけど、そのデモを聴いて、自分が“やりたい”と思ったことが一番大きい。
──レフティにとってもナイスなタイミングだった?
レフティ:すべてのピースがハマったというか。なにか、見えざるものに導かれる感じを信じずにはいられなかった。で、ASHをスタジオに招いて曲のアレンジを構築したり、実際に歌を録ったりしたんです。そのときに初めて、“あ、こんなに歌が上手いんだ!”と(笑)。
ASH:「ちゃんと歌をうたえるんだね」って言われたことは覚えてる(笑)。
──レフティにとってASHは“シャウトとグロウルの人”だったわけですからね(笑)。ということは、一緒にテキサスへ行ったときのASHとはまた違った印象を受けたということ?
レフティ:もちろん同じようなファクターはあったんです。でも、たとえば、ASHのデモを再構築していくなかで、“歌とピアノだけのミニマムなものでやってみよう”みたいな発想は、それまでなかったと思います。そういうアプローチって、シンプルであればあるほどルーツが滲み出てしまうもので、しっかりとした土壌を持っているボーカリストじゃないとできないんですよ。だから、「こんなに歌が上手いんだ!」だったわけです(笑)。
ASH:当時は、自分のボーカルを活かしきれてなかったんでしょうね。バンド時代はミクスチャーやハードコアが歌えるという理由で呼ばれて入ったボーカリストだったから。でも、自分の音楽に能動的に向き合ったとき、僕には歌があった。
▲2018年2月某日@都内某レコーディングスタジオ |
ASH:それすら運命に導かれるままっていう感覚なんですよ。
レフティ:まず、僕らは世代的な意味でミクスチャーなんですよ。ヴィジュアル系もメロディックパンクもUKロックも、全部一緒に感受できる環境にあったというか。どのジャンルがいいということではなく、“いいものは全部いい”っていう感覚で音楽に接することができた。インプットがそうであれば、自ずと自分自身のアウトプットも広がるなかで、それをそのまま表現させてくれるボーカリストの存在ってなかなか希有で。だから、ASHの魅力を僕が引き出したというよりは、2人で会話をしながら、“南米音楽のこういうリズムを入れたらいいんじゃないか”とかアイデアを一緒にカタチにしていく関係というか。
ASH:便宜上、“アーティストとサウンドプロデューサー”って肩書きをセパレートしているだけなんです。僕とレフティの関係は少し異質なんですよ。時には、どっちがプロデューサーかアーティストかわからなくなることもあるから(笑)。そもそもの関係が“サウンドプロデュースを務めます、レフティです”“アーティストのASH DA HEROです”っていう成り立ちではないから。もちろんお互いのエゴがぶつかるときもあって、レフティとの音楽制作を形容するなら“ボクシングをやっているような”って言います(笑)。悟空とベジータの戦いに近い。めちゃくちゃピースフルに楽しんでやってますけどね。
──これまでASH DA HEROのメジャー作として、ミニアルバム2枚とフルアルバム2枚がリリースされていますが、それら音源へのレフティの関わり方は?
レフティ:そのすべてに関わっているんですけど、ベーシストやキーボーディストといったプレイヤーだったり、プログラミングやアレンジャーとしてだったり、サウンドプロデュースだったり、曲によって様々で本当に多岐にわたってますね。
ASH:全楽曲の9割以上にレフティが関わってますからね。再会したのとほぼ同時期に、事務所のマネージャーとはアンオフィシャルに出会っていて。この3人での共同作業が、それから現在までずっと続いているんです。事務所と契約する以前は、それぞれ何の権限も持ってなかったから、最初のデモ作りも大変で。
レフティ:狂気じみてたよね(笑)。夜11時に終了した別アーティストのレコーディングスタジオを、そのまま朝までこっそりと使わせてもらったり(笑)。
ASH:それは怒られちゃうことかもしれないけど、そうしてでも作りたいものがあった。1stミニアルバム『THIS IS ROCK AND ROLL』では、そのときに作ったデモの音が反映されているところもあるんですよ。
▲2018年2月某日@都内某レコーディングスタジオ |
レフティ:おっしゃる通りですね。そこでのトライ&エラーは自分の経験値になっているし、得難いものを学ぶことができたと思います。
ASH:どんな環境でも最高のものを作れるという自信は、あの時の経験が育んでくれたものだよね。レコーディングに必要なものとそうでないものがクリアに見抜けるようになったのは、研ぎ澄ましたあの毎夜があったからで、そこで僕らは僕らだけのルールブックを作ることができたんじゃないかな。
──そして今回、全国ツアー<ASH DA HERO SPRING TOUR 2018「STAY FREE」>のファイナルとなる4月29日のマイナビBLITZ赤坂公演で、新曲「STAY FREE」の無料CD配布をはじめ、「HERO」「ALIVE」「YELLOW FEVER DANCE」といった3枚のCDシングルを同時発売するわけですが、これらはすべてレフティのトータルプロデュースによるものですよね。しかも、これまでの作品ではサウンドのプロデュースを務めた楽曲もありましたが、今回はスタジオやエンジニアやプレイヤーの選定、それに関わる予算もまとめる立ち位置で制作に臨まれたわけですが。
レフティ:これまでのASH DA HEROの作品でたくさんのエンジニアやミュージシャンとセッションさせてもらったことで、新たなインプットもあったし。それに加えて、僕が別のプロジェクトで培った人脈もある。そういう中で自分がハンドリングして、責任を持って作品を作りたいということはASHやマネージャーとも話していたんですけど、今回はそういう気持ちが特に強かった。
ASH:それに対しては、信頼しきっているレフティの申し出だから、「好きにやってくれていいよ」と。
レフティ:ありがとうございます(笑)。
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