【連載】Vol.023「Mike's Boogie Station=音楽にいつも感謝!=」

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歌い続ける永遠のスーパースター沢田研二 レコード・デビュー50周年のジャパン・ツアー【沢田研二 50周年LIVE 2017~2018】キック・オフ!!


我が国を代表する永遠のスーパースター沢田研二。1967年2月にザ・タイガースの一員としてシーンに登場。ちょうどその頃、僕はRSFC会長をしていて池袋から都電に乗って本部を置いてもらっていたキングレコードに通っていた。その池袋のジャズ喫茶でローリング・ストーンズ楽曲を取り上げていたザ・タイガースやザ・テンプターズを何回か観に行った。“ドラム”だ。観客の殆どが女の子たちばっかりで結構大変だったけど、彼らやR&Bを得意とするゴールデン・カップスのステージはまだベンチャーズ、サファリーズ、ピーターとゴードン、BB5、B4、コルトレーン、モンクくらいしか生ライヴに接していなかったこともあってとっても新鮮だったことを覚えている。洋学の音楽雑誌にもたびたび登場(RSFCでも両Tにインタビューしたことがある。担当は僕じゃなかった。今思うと残念)。手元にある「ティーンビート」67年6月号の“日本のポピュラー界情報~世界にとびだすスター達~”で、ザ・タイガース・セカンド・シングルが紹介されている。



周知の通りザ・タイガースはあっという間に頂点をのぼりつめ、そして解散。70年代以降ジュリーはPYG、ソロで着々と自らの道を切り開き、映画『太陽を盗んだ男』をはじめとして俳優としても大成。同作品とともに僕は寅さんシリーズ30作目『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』が大好きだ。80年代にはアイドル雑誌のインタビューだったけどストーンズ話で盛り上がった。


ここ10数年はこれまで以上にツアーごとにジュリーをしっかり味わうようになった。66公演が予定されている【沢田研二 50周年LIVE 2017~2018】、初日の7月16日@NHKホールを堪能した。素晴らしかった。セットリストは1月8日【沢田研二 正月LIVE2017 祈り歌LOVE SONG特集】で自身からインフォがあった通り、これまでグループ、ソロ、特別プロジェクトなどのシングルから50曲セレクション。150枚以上のシングルをリリースしているので、今回はその三分の一を披露。ファンとしては感極まりない。ジュリーのシングルの完全コレクション出来ていないが、このところ今ツアーで登場した40以上のシングル盤やコンパクト盤ほかをデスクに揃えレコード・プレーヤー&CDプレーヤーでステージ曲順にあわせて楽しんでいる。あと10枚弱たりない。そのうち4枚を公子さんにご協力いただいてJ紹介、パーフェクトじゃなくて残念だけどお許しを…。今年中に残りのシングル・ゲット、頑張ろう。

場内が暗転になり2歳のジュリーさんが映し出される。そしてザ・タイガース時代をはじめ懐かしのショット&動画がファンを沸かせる。ジュリー自身の編集&選曲で、BGMはオーティス・レディングの名作中の名作「I’ve Been Loving You Too Long(To Stop Now)」(ストーンズ・カバーとしても有名)。ザ・タイガース時代、「Fa Fa Fa Fa Fa(Sad Song)」「Pain In My Heart」といったオーティス楽曲をカバーしていた。ヌードもあれば東京ドームでのザ・タイガース・リユニオンもスクリーンに大きく映し出される。 


そしてステージは華やかな雰囲気でオープニング。観客の皆さんも元気、最初から総立ちだ。ジュリーをサポートするのはGTRが柴山和彦、BSが依知川伸一、KBDが大山泰輝、そしてDSにGRACEというパーソネル。御大が絶大の信頼を寄せるミュージシャン。


オープニング・ソングは「あなたに今夜はワインをふりかけ」。 78年シングル「サムライ」B面楽曲。でもでも実に華麗なる雰囲気の作品。50曲コンサート、いよいよスタートだ。


ザ・タイガース・ナンバーが2曲目。68年リリースの4枚目のシングル「君だけに愛を」。オリコン・シングル・チャート(OSC)2位を記録。テンプス・ウォークも披露して、♪タッチしたい♪。


3曲目に早くもマニアックなナンバーが登場、70年代ジャパニーズ・ロック・シーンに登場したスーパーグループ、PYG。71年結成で、メンバーは沢田研二、萩原健一、大野克夫、井上堯之、岸部修三、大口広司(RS仲間として20年以上親しくさせてもらった、早いもので彼が亡くなってもう7年)。彼らのセカンド・シングル「自由に歩いて愛して」として71年夏リリース。レコードはダブル・ジャケットだった。この日のステージでもジュリーのロック・シャウターぶりをダイレクトに感じさせる。

そしてここでMC。トークはいつも通り笑わせてくれる。あの写真は私ではなく親戚の…(会場は大爆笑)。


そして4曲目でザ・タイガースのファースト・シングル「僕のマリー」、67年2月ファンの前に登場。当時はOSCがなかったけれど(ウィーリ・チャートのスタートは68年1月第一週)、次代のアイドルとして注目された。ジャケット裏面のメンバー表記でジュリーは5番目に記されている。“甘美な声と絶妙なフィーリング、完全なプロポーションで精力的に動きまわるリード・ヴォーカル”。


続いてもザ・タイガース・ナンバー、68年リリースの8枚目のシングル「青い鳥」。“Blue Bird”と副題がついている、メンバーの森本太郎が作詞作曲。OSC4位記録。ラヴリーな雰囲気なポップ・ソング。その後「Yellow River」(これはシングルLPとも僕がライナー)が大好きになる太郎ちゃんらしい楽曲。10数年後、彼とリフラフ(後にTRFの一員で知られるSAMが在籍)のプロモーションで全国をまわった時にそんな話をした…。


ここで最近のナンバーに、といっても12年前リリースのアルバムのタイトル・チューン「greenboy」。ハード・ドライヴィングな導入部からジュリーが歌い上げるなかなか聴かせる作品。作詞はジュリーだ。


「あなたへの愛」は73年リリースの5枚目のソロ・シングル。安井かずみ・作詞、加瀬邦彦・作曲、OSC6位のうっとりとするラヴ・バラード。ずっと以前にお酒をごちそうしてもらったことがあるギョロナベさんこと渡辺正文さん制作の番組で、奥様とこのナンバーをポール&ポーラみたいにとっても素敵にデュオしていたことを思い出した…。Love for You。


8曲目は「許されない愛」。72年のセカンド・シングル。英題は“THE FORBIDDEN LOVE”、じっくりと歌い上げる。OSC4位。加瀬作品、そしてストーンズでお馴染みロンドン/オリンピック・サウンド・スタジオでのレコーディング。ジュリー祭りを思い出した。


続いてのナンバーは♪二-ナ 忘れられない♪という歌詞がとても印象的なラヴ・ソング「追憶」。安井&加瀬コンビ楽曲。2曲目のOSC1位。こういった直接的なラヴ・ソングが彼にはとってもよく似合う。


そして10曲目が「サムライ」。78年の大ヒット、OSC2位。あのピストル&花束で入っていく代表作。当時の衣装だってはっきりと覚えている。


そして11曲目はぐっとマニアックなナンバーから「君を真実に愛さなければ他の何も続けられない」(真実はマジと発音する)。97年3月にリリースされたユニット“Tea for three”のCDシングル・ナンバー。森本太郎の主導によるユニットで、彼がギター&コーラス、ジュリーがヴォーカル、そして岸部一徳がベース&コーラス。作詞はジュリーで作曲が太郎ちゃん。アップ・テンポなダンサブル・ナンバーで、イントロ&インスト・パートでストーンズの「黒くぬれ!」を彷彿とさせる。ショート・ヴァージョンだけど、このナンバーを入れてくれたなんて、ファンとしては大きなため息&大拍手!


12曲目は「ス・ト・リ・ッ・パー」81年のシングル、ジュリー作曲&加瀬のプロデュース。作詞は三浦徳子。
英語のアーティスト・クレジットは“JULIE & EXOTICS”。エキゾティクスはこの日ステージに立った柴山和彦、それにベースの吉田建(とっても良い方です)らの5人組。そして編曲が伊藤銀次。


続く「ヤマトより愛をこめて」は78年リリース。映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』のエンディング・テーマ。キーボードから始まるエキゾチック&ドラマティックな作品。ジュリーが切々と歌い上げるスケール感の大きなサウンド展開に魅了される。OSC4位。そして今年公開された映画『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』第一章エンディング・テーマとしても使用されている。


14曲目の「巴里にひとり」は75年リリースの13枚目のシングルで、OSC4位を記録した。70年代前半、ミッシェル・ポルナレフらフランス男性シンガーがわが国で注目されたが、一方でジュリーはフランスを足掛かりに再び欧州進出。G.Sinoue/G.Costa共作の原題を「MON AMOUR JE VIENS DU BOUT DU MONDE」というこのナンバーを日本より数カ月早くフランスでシングル・リリース。同国のチャートでは4位までランク・アップしたという。その後、欧州各国でも人気を呼んだ。この日はフレンチ・ヴァージョンを披露してくれたのだ、嬉しいッ!リラックスしながらステージを軽く下手上手へと動きながらのシャンソン。各曲終了時のおなじみの”ありがとう”コーナーはもちろんMerci, Merci, Merci beaucoup。


14年前のナンバー「明日は晴れる」は35周年作品だった。作詞がジュリー。ミディアム・テンポなドラマティックなナンバー。大きくシャウトするジュリーをぐっと見入ってしまう。


16曲目は「コバルトの季節の中で」。76年にOSC7位を記録。軽快なポップ・ナンバー。ジュリーが作曲、作詞は彼の俳優としての魅力を大きく引き出した久世光彦(レコードにはペンネーム、小谷夏がクレジット)。


そして沢田研二のソロ・ファースト・シングル「MY BOAT FOR YOU」、71年11月リリースの「君をのせて」。しっとりとしたラヴ・バラードでOSCは23位だったけど、個人的にソロになったジュリーも追いかけたいいう気持ちにさせてくれたのがこの作品だった。♪ラララ ラララ~♪、岩谷時子の歌詞がす
っごくノスタルジック。感動作、エンディングでより大きな拍手が巻き起こった。


「憎みきれないろくでなし」は阿久悠・作詞、大野克夫・作曲の77年シングル。リズミックな展開の中でハードなサウンドも印象的。OSC3位。ジャケットにサインがプリントされている…。


75年シングル「時の過ぎゆくままに」はこれまた阿久悠・作詞、大野克夫・作曲による名作。男と女の物語を歌ったこのナンバーはジュリー主演の同年TBSドラマ『悪魔のようなあいつ』(原作が阿久で演出が久世)の挿入歌。ドラマティックな素晴らしい作品。OSC1位。


20曲目の「勝手にしやがれ」もナンバー・ワン・ソング。77年シングル、これまた阿久&大野の共作。大ベスト・セラー・ナンバーだ。アップ・テンポのサウンド展開の中でオーディエンスが手拍子で盛り上げていくお馴染みのシーンが…。ジュリーも元気に走りまわりながら、観ている方もダンス・ダンス・ダンスなのだ。この時代の沢田研二のメーカー側のプロデューサーだった石川浩二さん、鎌倉で元気しているかな!? 


「愛の逃亡者」は74年のシングル。「THE FUGITIVE」という英題で歌詞も英語。OSC12位を記録。このナンバーをフィーチャーした同名アルバム(欧州全域で発売)はフル英詞作品収録でロンドン・レコーディング。ブリティッシュ・ロック・ファンにはその名を知られるウェイン・ビッカートンのプロデュース。ロック・シャウターとしての魅力を噴出したステージング。各曲終了時の”ありがとう”コーナー、ここでは「Thank you, thank you, thank you very much」。余談だけど60年代の人気アメリカTVドラマ「逃亡者」は現在CS/FOXクラシックで放映中。


そしてイントロにのってファンが早くも手拍子、「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ~千夜一夜物語~」。86年リリース、ジュリー作詞作曲。タイトル通り、実にゴージャスな内容の作品。こんな煌びやかな雰囲気もジュリーに実にマッチング。OSC24位。

23曲目は「STEPPIN’ STONES」。87年のシングル、作詞作曲はジュリー。ローリングするキーボードを絡ませながらのホンキー・トンクなグルーヴがたまらない。♪Keep on STEEPIN’ STONES♪!尚、同曲のフィリップ・サイドは同年逝去の渡辺普氏へのトリビュート「THE BASS MAN」。


同じく87年にリリースされたのが「CHANCE」。作曲はジュリー。小刻みな展開の中にロックなヴァイブレーションを感じさせる。会場は手拍子でまたまた盛り上がる。シャウトするジュリーの魅力がここでも大きく噴出しているのだ。


25曲目は再びザ・タイガース・ナンバー。69年末リリースの「君を許す」のカップリング「ラヴ・ラヴ・ラヴ」。ストーンズのように両Aサイド・タッチな構成でジャケットもダブル。ORSでも両曲記されていて最高位は18位。ストーンズやビートルズの“LOVE&PEACE”楽曲を下敷きにして作られた。現在の沢田研二の平和を求める音楽活動のルーツはここが原点かもしれない。そう4年前の東京ドームを思い出す…。尚、見開きジャケットの「君を許す」の方には<唄 沢田研二>と記されている。

ハーフ・タイムに入ってMCで一息。歌っている時とトークの雰囲気のその落差におおいに親しみを覚える。髪の話しで笑い飛ばす、ツル~ツル(大笑い)。


26曲目は「灰とダイヤモンド」。85年にジュリーは独立、レコード会社もポリドールから東芝EMIに移籍、その第一弾シングル。作詞作曲は李花幻、ジュリーである。OSC16位。アップ・テンポのエキサイティングなナンバー、観客も手拍子、手拍子。元気にシャラララララ・アクションのジュリー!


「LOVE(抱きしめたい)」は78年後半に大ブレイクした。OSC4位、年末賞レースや紅白でも話題になった。阿久&大野の共作。ドラマティックな展開の危ない恋の物語。歌謡バラードの秀作だ。


28曲目はオープニングから総立ちの観客がまたまた手拍子で大ノリ。80年元旦にリリースされた「TOKIO」(ジャケットのフィリップ・サイドでの表記はトキオッ)。OSCは8位。実にホットなこのナンバー、作詞が加瀬で作曲は糸井重里(彼は大のR&Bフリーク。70年代に六本木のソウル・バー“George’s”でよく一緒になった。その頃ジュリーさんの六本木は”水曜日の朝”でしたっけ…)。あのパラシュート&電飾コスチュームはテレビ・シーンでとても話題なった。


「ウィンクでさよなら」は76年のシングル。OSC7位を記録。ぐっとポップなダンサブル・ナンバーで作詞は“荒井”時代のユーミン。いかにも彼女らしい歌詞、♪I love you,I need you♪…。


30曲目はソロとしてのファースト・ナンバー・ワン・ソング「危険なふたり」(2週連続1位)。73年リリースの6枚目シングル、英題は「TWO IN THE FACE OF DANGER」。加瀬&安井コンビ最高傑作。しなやかでセクシーなジュリーのヴォーカルを思いっきり引っ張り出してくれる。


そしてこれまたナンバー・ワンに輝いたのが「ダーリング」、78年のシングル。テレビで歌う時はジャケットのフィリップ・サイド・ショットのセーラーマン・スタイルだった。ストーンズの「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」にインスパイアーされたのかな…。アップなダンサブル・ビート、ジュリーのカッコヨサをここでも十二分に出してくれているのだ。


32曲目は「麗人」。阿久の作詞で作曲ジュリー。スケールの大きい楽曲で絵巻物タッチのストーリー展開。実にエキサイティングに歌う。昨年の正月LIVEでも披露された。82年の第一弾シングルで、OSC10位。


「SPELEEN~6月の風にゆれて」は91年作品。欧州の香りを感じさせる。作詞はコシ ミハル(越美晴)、彼女はこのところも元気にシャンソンやジャズを歌っている。


続いてはまさに加瀬サウンドのバラード「きわどい季節」。87年のサントリーCANビールのCMソングだった。副題は“Summer graffiti”。OSC67位。ドラマティックに、そしてセクシーに歌い上げる。

35曲目は「鼓動」。99年夏リリースのシングル。その前年から本ツアーに至るまでジュリー・ライヴでドラムスを担当している素晴らしき女性ミュージシャン、GRACEが作詞。


そのGRACEのドラミングでパワフルに始まる「忘却の天才」は2002年作品。ポリドール~東芝EMIを経てこの年に自らのレーベルをスタートさせたジュリー、第一弾シングルだ。ロックなグルーヴを感じさせる。そんな雰囲気の中でジュリーはアクティヴにステージを動き回る。


アップ・ビートな80年代後半という時代をダイレクトに感じさせるのが「ポラロイドGIRL」。89年リリース。吉田建(酒席をご一緒させていただいたことが…)プロデュースのアルバム『彼は眠れない』からのファースト・シングル、アルバム・オープニング・チューンでもある。2か月前に久々に会っていろいろ話したサエキけんぞう(パール兄弟)が作詞。作曲は奥居香(プリンセス・プリンセス前の赤坂小町の時代、何度もMCしたなぁ)。OSC 64位。会場もジュリーと一緒にダンシング、♪WOOW WOW♪、♪ダーリン♪。ジャンプするジュリー、そしてエンディングで
はお得意の人間噴水!実に7回!!


11年3月11日の東日本大地震後、沢田は毎年同月日に震災・脱原発をテーマにCDリリースを続けている。音楽という活動の中で、自らのメッセージで真正面からダイレクトに歌う姿は素晴らしい。ここから4曲は近年のシングル楽曲が続く。「PRAY~神の与え賜いし」。13年作品で作詞はジュリー、作曲はGRACE。アカペラ・チックな導入部からバンドをフィーチャーしていく。まさにゴスペル・ミュージックである。エンディングでの観客の拍手が一段と大きいのを感じた。


そして16年作品「un democratic love」。沢田流ポリティカル・ソング。作詞は勿論ジュリーで作曲はキーボードの大山泰輝。美しいバラード・ソングの中に強烈なメッセージが表現されている。まさに日本のディランだ。


15年作品「こっちの水苦いぞ」はハードなサウンドの中でダイレクトに脱原発を訴える。作詞ジュリー、そして作曲は99年から10年以上ジュリーのバックを務めた下山淳。


そしてレイテスト・シングルが「ISONOMIA」。白井良明・作曲で作詞ジュリー。オーディアンスが手拍子する中でジュリーの叫びが大きく炸裂。我が国が抱えている諸問題について僕らを論す。イソノミアとは古代イオニア(紀元前7~6世紀)の政治形態で、無支配が基本。歌詞にも♪無支配OK!♪。

ここで一息入れてのMC。「先は長い、アッ~ヤダ」(笑い)、「ワン・コーラスでゴメンネ」。ホント、人間味あふれたコメントにもいつも大拍手。そして、50周年だから50曲やることにした、音楽に対する熱情にファンは改めて感動。


42曲目はジュリー「シーサイド・バウンド」のシャウトでスタート、67年5月リリースのザ・タイガース、セカンド・シングル。ファースト同様に橋本淳・作詞、すぎやまこういち(ディレクションしていたCX“森永スパーク・ショー”毎週ウォッチングしていた)の共作。ザ・タイガースの最初のベスト・セラーで、前述したようにOSCが存在していなかったが、様々なデータをチェックしていくとUS・RIAA/ゴールド・シングル近くの売り上げを記録。ジャケット/バック・カバーのメンバー紹介はファーストと同じ。キャッチーなアップ・テンポ・ナンバー。それこそ何100回、いや1000回以上楽しんだことのある今やGSスタンダードだ。


「おまえにチェックイン」は82年5月リリースのコーラス・インしていくアップ・テンポの軽快なナンバー。ステージ狭しと動き回りながら歌うジュリー。♪HOLD ME TIGHT♪。OSC8位。作曲は80年代から多くのヒットを発表しメロディー・メーカーとしても敏腕ぶりを発揮している大澤誉志幸。ディスクのラベルを見ると分るようにソロとしてのJULIEレーベル第一弾。

97年夏リリースの「サーモスタットな夏」は作詞がジュリー。WILD LOVE PEACE ZOOM FIRE ICE BOON JUMP…。アップ・テンポな展開の中でジュリーはシャウト。そしてジャンプ3回。作曲はジュリーのライヴでキーボードを担当したことのあるプロデューサー、故・朝本浩文。


45曲目は「晴れのちBLUE BOY」,83年リリースの“SONG BY KENJI SAWADA with EXOTICS”。超リズミックでアップ・ビートなナンバー。OSC11位。作曲は大澤誉志幸、彼自身11年後にカバーしている。


同じくKENJI SAWADA with EXOTICS名義の「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」は82年リリース。OSC6位。オーディアンスとのコール&レスポンスでステージはより大きくエクスプロージョン。それにしてもこのJ写は華麗、うっとりしてしまう…。

「愛まで待てない」は96年リリース、OSC76位。
ファニーズでスタートしてから30年ということで、30周年記念シングルにもなっている。会場全体が手拍子のエキサイティング・ナンバー 。ステージを走り回りながら実に爽快気分で歌っているのがダイレクトに伝わってくる。エンディングが実にエキサイティング。DER ZIBET の吉田光が作曲。“人間60年 ジュリー祭り”での80曲目がこのナンバーだった。


「ROCKN' ROLL MARCH」はジュリー・プロデュース、GRACE作詞、白井良明・作曲の08年楽曲。ものの本によると75枚目のソロ・シングル。タイトなサウンドでイントロしていくロックンロール。♪ROCKN' ROLL MARCH, Hey×3♪で大きく盛り上がる。ステージ終焉に近づいたこともあり、ジュリー、バンド、オーディエンスがより一体化!ステージング中、ペットボトルを持って余裕な雰囲気を垣間見せるジュリー。


49曲目は「そのキスが欲しい」、93年秋リリース、OSC96位。アレンジが吉田建で、作曲は90年代に活躍したフォーク・デュオ、Birthday SuitのSAKI&MATSUZAKI。スタートから観衆手拍子のアップ・テンポな展開で雰囲気はよりエキサイティング。エンディングで大声援!


そしてそしてラスト・ナンバーは「永遠に」。見事なジュリー・セレクション、98年作品。岩谷時子・作詞、宮川泰・作曲のラヴ・バラード。OSCは98位だが、ハイ・クォリティー楽曲。永遠に歌い継がれて欲しい愛の歌だと思う。LOVE SONG, LOVE YOU FOREVER!

見事に50曲を歌えあげた沢田研二に大拍手である。われんばかりの拍手は手拍子にかわっていく中で、ステージ・スクリーンがダウン。


ジュリー with ザ・ワイルド・ワンズ「渚でシャララ」のライヴ・ビデオ(ジュリー編集)。10年2月リリースのこのシングルはジュリーと数多くの名作を完成させた故・加瀬邦彦のアイディアから生まれた。彼のプロデュースでレコーディングには加瀬、植田芳暁、鳥塚しげき、島英二、ザ・ワイルド・ワンズ!(だいぶ前だけど、ザ・ワイルド・ワンズ&ジャガーズ・ツアーでMCさせてもらった)。加瀬さんのダンス・シーンに思わず…。このプロジェクトは全国ツアーも大成功させたのだ。

そして沢田研二、ジュリーがステージ・センターに登場。観客への最後の挨拶をいつものようにユーモラスな感じで…、「私の歌手生活も続くわけでございまして、どうか皆さん、元気でいてくださいネ」。そんな笑いの中にもジュリーのコメントから、人間らしい真の生き方を学ぶ。そして、改めてのメンバー紹介。BS依知川伸一、DS/GRACE、KBD大山泰輝、GTR柴山和彦。


ファイナル・ナンバーは75年12月リリースのソロとして7枚目のアルバム『いくつかの場面』からのタイトル・チューン。「酒と泪と男と女」で知られる河島英五(1952~2001)の作詞・作曲によるドラマティックなバラード。50周年を祝うステージのラストのラストに相応しい名曲である。

2時間半のビッグ・ステージ、ありがとうジュリー!多謝!!


【沢田研二 50周年LIVE 2017~2018】は来年1月26日まで続く、ぜひぜひご観覧あれ。

http://www.co-colo.com/live/2017tour/2017tour01.html

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