【連載】Vol.019「Mike's Boogie Station=音楽にいつも感謝!=」
日本の夏の風物詩~テケテケ・サウンド エレキの王様ザ・ベンチャーズ公演!来日55周年!!来日直前メンバー全員インタビュー・スペシャル
日本の夏の風物詩となったザ・ベンチャーズ、“エレキ・サウンド スペシャル・ライヴ”。今年も7月22日から9月6日まで全国30公演。今年は来日55周年なのだ。71回目のジャパン・ツアー。
ドン・ウィルソン率いるベンチャーズ初来日は1962年のこと。
▲ドン・ウィルソン&ボブ・ボーグルの1960年プレス用写真
以前ドンは僕にその当時の想い出をこんな風に語っていた…。
「ボビー・ヴィーとジョー・アン・キャンベルと一緒でした。ジョーが映画『Hey, Let’s Twist!』に出演していたこともあって彼女がトリ(ヘッドライナー)。当時、日本ではベンチャーズは誰にも知られていなかったのです。赤坂のコパカバーナというクラブでも演奏しました」。彼らは新宿コマ劇場での日米ツイスト合戦にも出演、MCは湯川れい子さん。ベンチャーズがわが国で注目され始めたのは64年。そして65年正月にはアストロノウツとのジョイント・ライヴ公演。この年と66年は各年2度もやって来た。僕もこの頃から毎年のようにベンチャーズを味わうようになった。エレキ・ブームは凄かった。リアル・タイムでその時代にロックしていた爺証言、B4よりもずっとずっとベンチャーズの方がポピュラーだったのだ。日本中がエレキ・ブーム。木崎義二さんが編集長だった「ティーンビート」の創刊号/65年9月号の表紙はベンチャーズ。TBには名物となった“特別付録 16センチ フォノシート”が付いていたが、創刊号のフォノシートは「ベンチャーズ記者会見録音」だった。
▲from Mike’s Collection
僕のコンサート体験回数、1番はローリング・ストーンズ、次がベンチャーズ。70年頃からライナーノーツも書かせていただいた。シングル「白鳥の湖ロック」が最初だった。日本公演は一時お休みとなったが、88年からは現在の招聘元のM&Iカンパニーが多くのファンの要望に応え、毎年日本公演を開催。録音ヴァージョンだけど91年公演MC。92年6月に渋谷オン・エアー・イーストでのマスコミ関係者パーティーでもMC。来日30周年を記念してのこのイベントにはお話させていただいたことのあるエド山口さん、山下達郎さん、芦原すなおさんほか、多くのベンチャーズ・フリークが集まった。
▲1992年コンサート・プログラム
その年のプログラムをプロデュース。湯川れい子さん、加山雄三さん、奥村チヨさん、山内賢さん、鳥塚しげきさん、渚ゆう子さん、三宅裕司さん(先日ポール・マッカートニーのコンサート会場でお会いしてセイ・ハロー)、芦原すなおさんらにインタビュー。皆さんのベンチャーズ愛は凄かった。その年の9月24日、ツアー中のオフ日、この日はメル・テイラーの誕生日、新宿のカラオケ店でメルのバースディ・パーティー。招待にあずかり、オープニング・アクトとしてメル、ドン、ボブ、ジェリー・マギーの前で招聘元のボスとデュオで「二人の銀座」を熱唱させてもらった(冷や汗)。94年7月の雨の大阪城野外音楽堂でのMC、オープニング・アクトは鈴木幸治。そして04年7月、新宿厚生年金会館での【ROCK LEGENDS SPECIAL~エレキ・ギター・サミット=THE VENTURES & SONS】でのMCも思い出深い。ベンチャーズと彼らを師と仰ぐ日本人ミュージシャン、森園勝敏、鈴木茂、西山毅、徳武弘文、樹音ほかが出演した。
そしてこの何年かは9月第一日曜夕方がマイ・ベンチャーズ・デイなのだ(昨年は第二日曜だったけど)。必ず中野サンプラザに出かけコンサートを味わってくるのだ。一昨年、ベンチャーズの創始者のドン・ウィルソンが引退。16年、新生エレキ4人組、ベンチャーズがファンを沸かせた。中野サンプラザ公演は予想以上の大入り。ジェリー・マギー、リオン・テイラー、ボブ・スポルディング、イアン・スポルディングの素晴らしい演奏ぶりは60年代からのVフリークもしっかり納得させた(そういえば、昨年のサンプラザ公演後バックステージを訪れメンバー達とセイ・ハローしたんだけど、なんとドンさんが“Mike”…、新しくなったベンチャーズの演奏ぶりを観に来ていたんでしょう…)。
▲w/ドン・ウィルソン
そんな新しくなって1年目のツアーを終了したベンチャーズに改めてじっくり話を聞いた。序文がすっかり長くなってしまったけど、ここからは2017年の抱負を含めての来日直前メンバー全員インタビュー・スペシャルなのだ!
◆ジェリー・マギー
──1968年以来ベンチャーズ。今や長老、グループのリーダーですね。ベンチャーズの素晴らしさ、魅力をじっくり語ってください。
ジェリー・マギー:ベンチャーズの素晴らしさはやはり言語の壁を越えることのできるインストの音楽だからでしょう。60年代に日本へやって来て演奏。日本人向けの音楽も作曲し、多くのファンから認めてもらえました。日本の皆さんに愛してもらえ、日本が僕らの第二の故郷となりました。タイミングやいろいろな要因もあったでしょうけど、本当に幸せなことです。
──昨年からドン・ウィルソンが抜けて新生ベンチャーズになりました。どうですか、ぐっと若返ったとも言えるグループ、今後どう発展していくんでしょうか。
ジェリー・マギー:イアンが入ったことでもちろんいろいろ変わりました。バンド内の空気や演奏も。彼が加わったことによって若い層のファンがもしかしたら増えるかもしれない。それはとても喜ばしいことです。
──ボブ、イアンのスポルディング親子の演奏ぶりはいかがですか。彼らの魅力を語ってください。
ジェリー・マギー:彼らはとても上手くやっているよ。やはり親子ですからね。ボブはベンチャーズの本来のスタイル、サーフ・ミュージックに忠実な演奏方法で、イアンもそれに近いかな?僕はもう少しブルースや他のスタイルが入ってしまうけど、彼ら二人はやはり同じ感じがしますね。
──ツアーやレコーディングがない日でも毎日ギターを弾いたりしているんですか。
ジェリー・マギー:ギターは毎日欠かさず弾いています。毎週木曜日は地元の仲間たちと一緒にジャム・セッション。たまにレコーディングもします。まあ、最近は減ってきましたけど。
◆リオン・テイラー
──1997年からベンチャーズの一員、もう20年選手。日本語によるニューCD紹介もお手の物。ベンチャーズというグループの魅力をじっくり語ってください。
リオン・テイラー:僕はいつもベンチャーズを“GOOD TIME ROCK N ROLL BAND”と説明します。メロディーがみな高揚的で明るいのです。ベンチャーズで言えることは“全ての楽器が重要だ”ということです。リード・ギターがメロディーを奏で、それをバッキングするリズム・ギター、その周りをサポートするベース、そして全てを支えるドラム。これはCOUNTER POINT(対位法)と言います。この形を用いるバンドはそう多くいません。それがベンチャーズを特別にする要因のひとつでしょう。
──最初に触れた楽器もドラムスだったのですか。ドラムを始めたきっかけは。何歳の頃でした。
リオン・テイラー:父親が世界で最も売れているインスト・バンドのドラマーだったとしたら、ドラムに興味を持たないことは不可能でしょう!ギターをカジってみたこともありますが、やはり最初の楽器はドラムでした。空き箱を叩き、ゴミ箱を叩き、音の出るものをなんでも叩いていました。確か父から初めてのドラム・セットをもらったのは10歳の頃。まずはスネア、次にベース・ドラムとハイハット。その後にタムとライド・シンバル。覚えるのは早かったと思います。ドラム・セットを完成させたかったので、必死に練習しました。
──お父様、メル・テイラー。ドラマーとしての魅力。そして人間としての素晴らしさをお願いします。
リオン・テイラー:父はとても優しい人でした。僕ら子供達には、周りがなんと言おうが夢を追うように言ってくれました。僕はミュージシャンになりたかったんです。しかし周りは「成功するのは本当に難しい仕事だ」と注意や反対がありました。しかし父だけは賛成してくれました。父はとてもユニークな演奏方法を活用していました。スタンダードグリップを用いていました。私にはとても無理です。私はマッチグリップです。父の左手は特別でした!左手でリードとしてシャッフルをしながら右手でクォーター・ノートを叩いていました。全く問題なく!これはとても難しいことです。ドラム演奏に関してはいろいろと教えてもらいました。新しいことを教えてもらい、僕はそれを1週間練習。そして父に披露すると喜んで褒めてくれました。するとまた新しい技を教えてくれて…、その繰り返しです。僕は割合なんでも上手く出来たようで、とても感心してくれました。彼は自分の仕事、そしてベンチャーズを愛していました。いつもとても楽しそうに演奏していた記憶があります。そういえばジョークを言うのも大好きでしたね。いつも何かおかしなことを言っていました。
──LAのロック・シーンで活動していた頃はどんな傾向の音楽を演奏していたんですか。
リオン・テイラー:若い頃はいくつかのバンドで演奏していました。ハリウッド付近で活動していたバンドです。どこでも演奏しました。ローリング・ストーンズやブラック・クロウズのようなタイプのレストレス・ソサエティーというバンドです。途中からレストレスに改名。もうひとつはIXLとういうバンド。もっとプログレ寄りの音楽でした。そのバンドで「テルスター」「パイプライン」をレコーディング。オリジナルよりはハードなサウンドになりました。弟のマイケルはオーストラリアに引っ越すまではこのバンドでベースを弾いていました。その数年後に父は他界、僕はベンチャーズに入りました。その後はもちろん他のバンドの仕事をする時間はなく、それぞれのバンドも解散しました。
──イアンが昨年からニュー・メンバーに抜てきされました。彼の魅力はどんなところでしょう。そして先輩として後輩に一言アドバイスを!
リオン・テイラー:イアンはとても優秀なミュージシャンです。彼はマルチプレイヤー。ベース、ギター、キーボードを演奏できるのです。リズムはドンのように、ベースはボブ・ボーグルや自分の父のボブのように演奏できる。ミュージシャンとして一番大変なのはおそらくツアーをすることでしょう。だから昨年、彼にはこうアドバイスしておきました、「とにかく眠れる時に眠って、休める時に休むこと!」。ステージ上ではまだ少し緊張しているようです。ライヴではもう少し動きまわり、表情豊かに楽しむようにと言っています。少しづつ良くなってきているようです。よく頑張っています!親父さんのようにいつも冗談ばかり言っています!(笑い)
◆ボブ・スポルディング
──ギターを始めたきっかけは。1950年代、ロックンロール誕生の頃ですよね、音楽に目覚めたのは…。初めてカミングアウトしたロックンロール・ナンバーは?!
ボブ・スポルディング:私がギターと音楽に興味を持ち始めたのは52年にエルヴィス・プレスリーのギタリスト、スコティ・ムーアとハンク・ガーランドを聴いてからです。彼らが私の音楽の最初の先生。その後58年に、リンク・レイ・ウィズ・ローハイド、フランク・ヴァーチュー(AKA ザ・ヴァーチューズ)・ウィズ・ギター・ブギー・シャッフル、彼らがギターを演奏する意欲を向上させてくれました。最初に演奏したロック・ソングは シールズの「YOU CHEATED AND LIED」。G/EM/C/Dのコードを繰り返すだけのとても簡単な曲でした。レッスンを受けて覚えた最初の曲は「LONG AGO AND FAR AWAY」、古いフォーク・ソングだったと思いますが、誰の曲かは憶えていません。
──62年東京でベンチャーズ初体験。ドン・ウィルソン&ボブ・ボーグル、その時の印象、想い出をお願いします。
ボブ・スポルディング:彼らを初めて見たとき、彼らはデュオ編成。でも内容は素晴らしかったです。音はレコードそっくりでした。メイン・アクトであるジョー・アン・キャンベルとボビー・ヴィーからアンコールを奪い「PERFIDIA」を演奏しました。本当に素晴らしい、自分もこうなりたいと思いました。
──ベンチャーズのステージに初めて立ったのは70年代のことでしたっけ…。どういった経緯でジョインしたのですか。以前からグループとは知り合いだったのですか。
ボブ・スポルディング:69年に退役。サンバーナディーノの大学に入学。同地周辺のバンドで演奏したり、曲を書いていたんです。その頃のベンチャーズの出版会社だったトライ・デックスにデモ・テープを送ったのです。ボブ・レイスドルフが興味を持ってくれたのですが、残念ながらレコード・リリースには至りませんでした。彼からベンチャーズの様子を聞きました。大学卒業後にスウィート・ぺインというバンドと仕事をするようになり、アルバムを作り、リバティ・レコードと契約。71年、ハリウッドのリバティのオフィスでメル・テイラーとボブ・ボーグルと会ったのです。73年、メル・テイラーのダイナミックスと親しくなり、ジェリー・マギーとも仕事をするようになりました。79年にメルはベンチャーズとして活動を再開。その頃、私の住んでいたテキサス州オースティンでもベンチャーズ公演があったのです。彼らは私の家へ寄ることになり、初めてドンとノーキー・エドワーズに会いました。私のデモをいくつか聴いてもらい、食事を振る舞いました。私が彼らと初めて演奏したのは81年夏、病気のノーキーの代わりにステージに立った時でした。
──その後5人目のベンチャーズとしてレコーディングなどに加わっています。いつ頃から、どのようなことがきっかけで。
ボブ・スポルディング:81年にベンチャーズと演奏、その後いくつかのレコーディングに参加した後、私はベンチャーズ・ファミリーの一員となっていました。ショーで欠員が出た時に代役としてステージに立ち、アレンジメント、曲作り、そしてレコーディングもしました。
──05年からは正式メンバーになりました。ベンチャーズというグループの凄さ、魅力をじっくり語ってください。
ボブ・スポルディング:05年に正式メンバーとなった時はとにかく光栄で、大先輩であるメル、ボブ・ボーグルとドンに感謝しました。最初は日本のファンの方々に受け入れられるかどうか不安でした。でも皆さんが私のことやそれまでのマイ・ベンチャーズ・ワークスをよくご存知でした。皆さん本当に優しく、ピンチヒッターとしてではなく、本当のメンバーとしてみていただいたようでした。ベンチャーズのマジックはその音楽はもちろんのこと、メンバー4人の独特の個性、パフォーマンス、そしてファンとメンバーの親しみやすさだと思います。
──昨年から息子のイアンがベンチャーズに加わりました。グループの先輩として、そして父親として彼の働きぶりを評価してください。
ボブ・スポルディング:息子のことはとても誇らしく思います。ドンが彼自身の代わりとしてイアンを選んでくれたことを本当に嬉しく思います。イアンは07年にベンチャーズ仕事を始めました。曲のアレンジとレコーディングのオーケストラ音源を担当。ビートルズのカバー・アルバム『イン・マイ・ライフ』での彼の仕事は日本でもアメリカでも高く評価されました。彼が複数の楽器を演奏できることもおそらくバンドにとって大きな意味があります。彼はいよいよバンドに受け入れられ、大きな揺るぎない存在となっていくでしょう。ベンチャーズの将来の為に…。
◆イアン・スポルディング
──ギターを始めたきっかけは、やっぱりオヤジさんの影響ですか、それともベンチャーズ。何歳の頃?
イアン・スポルディング:ギターを始めたのは7歳か8歳だったと思います。父のアコギを持ってベンチャーズのカセット・テープをかけ、ひとつの弦でリズムをペンペン叩いていた記憶があります。その時に演奏が出来ている気分になってとても楽しかったことを憶えています。その1年後くらいにはちゃんと演奏方法を学び始めたと思います。その後はずっと続けていますね。父の存在はやはり僕にとても影響を与えてくれました。彼の旅路を共に歩むことが出来ることを本当に光栄に思います。
──10代の頃はどんな傾向のサウンドを演奏していたんですか。高校時代のバンドでアルバムも出していたとか。どんな音楽を演ってたんですか。
イアン・スポルディング:僕は1980年代育ち、やはりその頃の音楽が好きでした。デュラン・デュラン、ザ・キュアー、デペッシュ・モード、ザ・スミス…。12歳の頃から自宅のスタジオでレコーディングを始めました。おそらくその頃レコーディングしたものは全て好きな音楽の真似事だったでしょう。高校を卒業した後にバイク・ライドというバンドに出入りし、2枚のレコードで演奏しています。12年にようやく自分名義レコードをリリース。『MOWER』というアルバム。僕のエレクトリック音楽への興味を凝縮。でも、改めて聴いてみるとベンチャーズの影響をとても強く感じます。
──30代になってベンチャーズとの仕事にたずさわるようになったとか。最初はどんなことをしていたんですか。
イアン・スポルディング:音楽以外で僕はワイン業界で長年仕事をしていました。ワインに関しては僕の中で今でも非常に熱中しているものです。ベンチャーズと仕事を始めたのは07年でした。レコーディングのオーケストラ音源を手伝っていました。10年に初めて実際に演奏、レコーディングに参加をさせてもらいました。ギター、ベースとキーボードを演奏しました。その後は光栄にも全ての作品に参加させて頂いています。自分と父二人の名前が曲に載っているのを見るのはとても特別な気分ですね。
──ベンチャーズのステージに初めてジョインしたのはいつのことですか。
イアン・スポルディング:初めてベンチャーズと演奏したのは09年の夏のツアーでした。ツアー終盤の9日間バンドと共に行動、ショーを見て回りました。日本に来たのもその時が初めてでした。かなり大変だったのを憶えています。最後の夜に「Wipe Out」でベースとして参加させてもらいました。とても楽しかったです!でもステージに立つ前は物凄く緊張し、ジッとしていられなかったです。終わった後も同じです。ドン、ジェリー、リオン、父と演奏が出来たのはとても光栄です。
──そして、昨年ベンチャーズの一員としてジャパン・ツアー。とても素晴らしいパフォーマンスでした!貴方自身、16年ツアーはいかがでした、感想などをお聞かせ下さい!!
イアン・スポルディング:はい、16 年が初めてのツアーでした、ありがとう!あれは本当に素晴らしく、忘れられないツアーとなりました。毎日が新しい冒険でした。ファンの皆さんとても暖かく歓迎してくださいました。あの経験は初めてです。日本で34箇所ものステージで演奏させて頂き、大勢のファンの方々とお会い出来、本当に楽しかったです。ベテラン・ミュージシャンであるバンド・メンバーと共に仕事をし、多くを学ばせてもらいました。本当にとても勉強になりました!
──今年は2年目。ベンチャーズの一員としての今後の抱負、意気込みをお聞かせ下さい。日本のファンにもメッセージもお願いします。
イアン・スポルディング:早く日本に戻りたくて仕方ありません!ベンチャーズは皆さんに良いステージと音楽をお届けするよう努力しています。僕はメンバー3人からもっともっといろんなことを吸収させてもらい、より成長していきたいと思っています。音楽にはとても素晴らしい力があります。そうした力、グルーヴをメンバーと共感することで、必ず新たなサムシングが生まれます。ステージが始まる前はジッとしていられません。終演後は余韻で興奮がおさまりません。この感覚がずっと続くとことを祈っています!
*ライヴ・ショット 撮影:吉浜 弘之
ベンチャーズ ジャパン・ツアー2017 スケジュール
http://www.mandicompany.co.jp/TheVenturesJapanTour2017.html
さぁ2017年夏もベンチャーズで盛り上がろう!テケテケテケ!!
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