【連載】Vol.005「Mike's Boogie Station=音楽にいつも感謝!=」

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エリック・クラプトンはじめ英国ロックの屋台骨を支えるアンディ・フェアウエザー・ロウLIVE IN JAPAN


エリック・スローハンド・クラプトンをサポートするギタリスト、アンディ・フェアウェザー・ロウといえば、僕ら1960年代からブリテッシュ・ロック・ビートをガンガン楽しんでいた爺にとってはエーメン・コーナーのリード・ヴォーカリストとして馴染み深い。また、ローリング・ストーンズ・ファンにはビル・ワイマンのリズム・キングスのギタリストとして知られる。ピンク・フロイド・フリークにもこれまた親しみある存在。半世紀にわたり英国音楽シーンを闊歩している気骨あふれるミュージシャンだ。2016年12月末アンディ・フェアウェザー・ロウ& ザ・ロウ・ライダーズの素晴らしいステージを堪能。そして、英国ロック史の生き字引のアンディにインタビューもさせていただいた。

12月29日のファースト・ステージ、まさにアンディの歩んできた足跡をダイレクトに味わうことの出来た、大満足の内容だった。エーメン・コーナー楽曲は当然のこと、ブルース、R&B、ビートルズ、ストーンズ・テイスト、カントリー。まさに僕らの求めている音楽の素晴らしき世界を披露してくれたのだ。もちろん最近のナンバーも鏤めながら…。


オープニングはパワフルなインスト・チューン、サッスク奏者として名高いエディ・ハリスの68年のヒット「Listen Here」。続いてのパーカッシヴでファンキーなR&B 「La Booga Rooga」は75年のセカンド・アルバムのタイトル・ソング。エンディングはまさに60年代だったりするのが嬉しかったり。

そしてブルース、R&Bが続く。まずはジミー・リードの59年から60年にかけてのヒット、ビルボード誌R&Bチャート10位を記録した「Baby What You Want Me To Do」。そして60年代にヒット作を発表したルイジアナ出身のスリム・ハーポ(40年代から50年代初頭生まれの英国黒人音楽ファンのアイドル)のナンバーから「I’ve Got Love If You Want It」。アンディはエレキからアコギにギターを持ちかえた。尚、ストーンズの3枚目のEP(UK)、ライヴのタイトル『GOT LIVE IF YOU WANT IT !!』はここから…。


5曲目はアウェザー・ロウ& ザ・ロウ・ライダーズ06年アルバム『SWEET SOULFUL MUSIC』(旧友グリン・ジョンズのプロデュース。レコーディングにはP.P.アーノルドもジョインしている)。ミディアム・テンポの実にしっとりした作品、もちろんアンディはアコギ。続く「I’ll Get You」はビートルズ・ナンバー。B4シングル「She Loves You」のB面。


そして会場が手拍子で大きく盛り上がったのがリズミックな「Spider Jiving」。74年のソロ・アルバムのタイトル・チューン。8曲目は「Route 66」、40年代後半に発表されたスタンダードだがチャック・ベリー・ヴァージョンをストーンズが64年リリースのデビュー・アルバムでカバーした。もちろんアンディはそこからセットリストに加えた。インタビューはライヴ前に行ったのだが、雑談の中で「Mike、Route 66はキースのギター・スタイルで奏るから楽しみにしていてくれ」。まさにその通り、R&B、大拍手だった!

今度は13年作品集『ZONE-O-TONE』1曲目収録の「Dance On 」。アンディ・オリジナルのアップ・テンポのロックンロール。シンプルな50年代後半のスタイルなのだ、涙。「La La Music」も13年作品集からのオリジナル、タイトでロックなサウンドにのってのパワフルなアップ・テンポ・ナンバーだ。


そしてアンディはカントリーも大好き。もちろん僕もC&Wも大好き(90年代にはカントリー・ゴールドの司会をした。ドワイト・ヨーカムとエルヴィス・プレスリーやストーンズの話しをしたりエミルー・ハリスと焼き鳥屋に行ったり…)。ここではアリソン・クラウスでもお馴染みの「Lay My Burden Down」と ニッティ・グリッティ・ダート・バンドの「Down Will The Circle Be Unbroken」(永遠の絆)をメドレーで披露。アンディのアメリカ音楽に造詣が深いことを立証した。両曲とも歴史あるスピリチュアルな作品。そして歴史あるといえば、アンディがアコギのブルージーな12曲目は40年代から50年代初頭にかけて活躍したタンパ・レッドの後期のヒット作「When Things Go Wrong With You」。49年にビルボード誌R&Bチャート9位を記録している。次に披露された「If I Ever Get Lucky」は76年のアルバム『Be Bop 'N' Holla』に収められていた。

そしてついにここでエーメン・コーナー「Bend Me Shape Me」!68年にUK/ミュージック・ウィーク誌ポップ・チャート3位を記録したマイ・フェイヴァリット。当初29日のセカンド・セットにこのナンバーが予定されていたが、何とかファーストでもとお願いしていたところ…、奏ってくれたのだ、それも「次の曲はマイクのリクエスト」というコメント入り。ポップでとてもキャッチーなサウンドだ。


75年の『La Booga Rooga』からのうっとりとするような「Wide Eyed & Legless」。アコギで聴かせる作品もアンディは得意なのだ。ラスト・チューンはインスト4曲メドレー。ベンチャーズなどでお馴染み「Tequila」。LA出身のザ・チャンプスの58年のナンバー・ワン・ソング。♪テキーラ♪!「Peter Gun」は50年代末から60年代初頭にかけて放映されたテレビ番組のテーマ。日本でもオン・エアーされた。ブルース・ブラザーズでもお馴染みだ。「Apache」はクリフ・リチャードのバック・バンドとして知られ、グループ単独でも活動したシャドウズの60年UKナンバー・ワン・ソング。そして最後がフレディ・キングの名作「Hide Away」、61年にR&Bチャートで5位を記録。ということでインスト始まり&インスト終了のステージ構成。


もちろんアンコール!ファイナルはエーメン
・コーナーの「(If Paradise Is)Half As Nice」。しっとりとしたムードで♪La La La La…♪、ドラマティックな楽曲、AC唯一のUKナンバー・ワン・ソング、69年春の大ヒット。アンディの音楽との出会いから、プロとしての活動、最近の動きまでを楽しく味わうことのできた素晴らしいステージだった。


   ◆   ◆   ◆

インタビュー アンディ・フェアウェザー・ロウ Pt.1


──音楽との出会い

アンディ・フェアウェザー・ロウ:1950年代後半にロックンロールにロカビリー。スコティ・ムーア!海賊放送のラジオ・ルクセンブルクやパイレーツ・ラジオをよく聴いていた。60年代、学生時代にローリング・ストーンズを観た。R&Bも大好きだ、オーティス・レディング、サム&デイヴとかブッカーT&MG’s。もちろん初期のビートルズも素晴らしかった。

──66年エーメン・コーナーでプロ・デビュー。ヴォーカル担当、アイドル的存在。グループではギターは弾かなかった。

アンディ・フェアウェザー・ロウ:ギターは弾かなかったね。バンド結成する前は弾いていたけど。オルガン奏者とバンドを結成、別のバンドからギタリストとベーシストが一緒にやって来たので、俺は歌うことに専念したんだ。当時演奏していたソウル・ナンバーなどは弾けなかったしね。またエリック・クラプトンみたいに上手じゃなかった。エーメン・コーナーの最初のライヴはジミ・ヘンドリックスがヘッドライナーのショー。ザ・フー、ザ・ナイス、ピンク・フロイドと一緒だったんだ。ジミはとにかく凄かった。時々、物凄く上手くて、ちょっと下手な時もあったり。おかしなことにギターのチューニングがあってなかったことも。でもジミはとにかく他とは全く違って、物凄かった。すごくエキサイティングな瞬間だった。


──エーメン・コーナー解散、3年間ブランク。田舎で曲作り、その後ソロ活動。

アンディ・フェアウェザー・ロウ:とにかくエーメン・コーナーのマネジメントは酷かった。稼いだほとんどを搾取されてしまった。ライヴではそこそこのギャラをもらえたけど、とにかくマネージャーから逃げたくてバンドを解散。バンドの負債をRCAにお願いして、俺はウェールズに帰った。その後3年間、しっかり作曲活動に励み、A&Mとソロ契約。

74年にアルバム『Spider Jiving』発表。JJケイル、レオン・ラッセル、ジョー・コッカー、リチャード・ティー、コーネル・デュプリー…、素晴らしいアーティストがA&Mに在籍していた。


──ロニー・レーンのARMSコンサート出演。

アンディ・フェアウェザー・ロウ:ロニーとはスモール・フェイセス時代からの知り合い。彼らはエーメン・コーナー結成前の64年から活躍していた。もちろんデビューした頃のライヴも観ているよ。マネージャーが同じだったんだ。ドン・アーデンだ。奴は彼らの金も搾取。SFはみんな小柄でカッコよくて、おしゃれで、音楽が大好きだった。スティーヴ・マリオットはホントに素晴らしかったし、グリン・ジョンズを通して彼らに会ったんだ。グリン・ジョンズは俺のアルバムをA&Mで2枚プロデュース、当時、俺は彼の家によく入り浸ってた。グリンはクラプトンもプロデュースしている。彼の家に居た時、ロニーから電話があって、多発性硬化症患者のために何か募金活動出来ないだろうか…。グリンは、うなずきながら俺に「アンディ、やれるよな」って言うからOKしたんだ。その後エリック、ジミー・ペイジ、・ジェフ・ベック、チャーリー・ワッツ、ビル・ワイマンらが参加。またスティーヴィー・ウィンウッドも協力してくれた。ロニーは体調が悪かったけどステージで数曲パフォーマンスしたよ。そしてアメリカにも行った。そういえばロニーはジョージ・ハリスンの大ファンだったなぁ。そして、マック(イアン・マクレガン)も他界したし。グリン・ジョンズはマックの最後のアルバムをプロデュースした。本当にマックは良いプレイヤーだった。


──エリック・クラプトン・バンドの一員として日本での最初の仕事が、ジョージ・ハリスン&エリック・クラプトンのライヴ。エリックのバンドに加わった経緯。

アンディ・フェアウェザー・ロウ:90年代に入ってジョージ・ハリスンから直接電話があって、エリックのバンドと一緒に参加してほしいということになった。ジョージとエリックが相談して、アルビヴィン・リー、マイク・キャンベルとか何人もの候補者があがっていて、自分は7番目にリストされた。ジョージがその裏話を聞かせてくれた。その後エリックのマネージャーのロジャー・フォレスターから電話があって、ジョージが俺にスライドを弾いてくれって頼んでるとか。俺はスライド・ギターはやったことなかったけど、ジョージには3回か4回ライ・クーダーのコンサートで会ったことあって、俺がライ・クーダーの大ファンだって知っていた。俺もジョージがライ・クーダーの大ファンだっていうことはよく知っていた。ジョージに「やったことないけど練習して何とかなるだろう」と伝えてもらったんだ。その後ジョージから電話があって、「キミのプレイは聞いたことないけど、みんながキミのことを好いているんだよ」と言ったんだ。で、来い!と呼ばれて行ったら、意気投合さ。アルバム収録曲全て完璧に練習して熟知してたんで、すぐに演奏出来た。1曲目の「Give Me Love」はハーモニー部分とか熟知したけど、スライドが上手く出来なかったので結局歌ったよ(笑)。東京ドームでやったのかな。あとでビデオ観たらまあまあだった。サイコーの場面だった。ジョージは最高だったね、いやサイコーのホストだった。(つづく)

■プレゼント
アンディ・フェアウェザー・ロウの直筆サイン色紙を2名の方にプレゼントします。


*ライヴ・ショット
写真提供/COTTON CLUB
撮影/米田泰久
*インタビュー・ショット
撮影/佐藤和弘(ロックンロール・コレクション・ボックス)

◆LIVE INFO


【カウボーイ・ジャンキーズ 27年ぶり来日】
サイケデリックでロックな独創的なサウンド・クリエイトで熱狂的ファンに愛されているオルタナ・カントリー、カウボーイ・ジャンキーズが久しぶりにやってくる。4月にはコーチェラ・フェスにも出演が決まっている。その前にクラブ・ギグをしっかり堪能しておこう!

ビルボードライブ大阪:
2017/1/19(木)
1stステージ開場17:30 開演18:30
2ndステージ開場20:30 開演21:30

ビルボードライブ東京:
2017/1/20(金)
1stステージ開場17:30 開演19:00
2ndステージ開場20:45 開演21:30

2017/1/21(土)
1stステージ開場17:00 開演18:00
2ndステージ開場20:00 開演21:00

INFO: www.billboard-live.com

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