いい音爆音アワー vol.71「モータウンぶらぶら散歩」

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爆音アワー
いい音爆音アワー vol.71「モータウンぶらぶら散歩」
2016年10月12日(水)@風知空知
モータウンのアーティストは「アンクル・トム」(白人に媚を売る黒人への蔑視として使われる)だと言う人もいたそうです。たしかに、モータウンは白人にも売れることを重要視したブラック・ミュージック・レーベルでした。音楽だけでなく、ステージでの振付、アーティストとしての立ち居振る舞いまで、徹底して訓練しました。しかしそれは媚を売るというようなものではなく、したたか且つ画期的な戦略だったと思います。
それまで黒人のオリジナル曲も白人がカヴァーしないと売れなかったり、黒人のフィーリングを真似た白人のほうが人気があった音楽市場を、モータウン・サウンドというオリジナルな黒人音楽で席巻し、黒人差別がずっと深刻だった時代に、黒人所有のレコード会社として初めて大きな成功を成し遂げ、ブラック・ミュージックのポジションを大きく向上させたモータウンの功績は、非常に大きいと言えます。
福岡智彦 (いい音研究所)

セットリスト

▶モータウンの創業者:ベリー・ゴーディ・ジュニアBerry Gordy, Jr.
1854年頃、祖父・ベリー、ジョージア州オコニー郡で、ジム・ゴーディとその奴隷だった女性エスター・ジョンソンの間に生まれる。
1888年7月10日、父・ベリーが生まれる。
1922年、一家は自動車産業で賑わうデトロイトに移住する。
1929年11月28日、ベリー・ゴーディ・ジュニアが生まれる。
1946年、高校を中退し、プロ・ボクサーになる。
1953年夏、「3dレコード・マート」というジャズ専門のレコード店をオープンする。
1955年、「3dレコード・マート」閉店。
1957年頃、作曲を始める。
1957年夏、スモーキー・ロビンソンWilliam 'Smokey' Robinsonおよび”the Matadors”(後の”Miracles”)と出会う。
1957年10月、昔のボクサー仲間だったジャッキー・ウィルソンJackie Wilsonに提供した「Reet Petite(リート・ペティート)」がリリースされる。R&Bチャートの11位に達する。
他にもヒットを出すが、わずかな収入しかないことに業を煮やし、自費で音源を制作し、その販売権をレーベルに売り込む「レコード・リース」というシステムを考え出す。
1959年1月12日、家からの借金とウィルソンからの印税、800ドルで「Tamla Records」レーベルを立ち上げ、マーヴ・ジョンソンMarv Johnson「Come To Me」を制作する。
  • Marv Johnson「Come To Me」
    ベリー・ゴーディが詞曲・編曲・プロデュースした、Tamlaレーベル最初のシングル。
▶アンナ・レコード
1959年、ベリーの仲間、ビリー・デイヴィスとベリーの姉、グウェンとアンナが「Anna Records」を立ち上げ、シカゴのチェス・レコードと提携する。
  • Barrett Strong「Money (That's What I Want)」
    ビートルズもカヴァーしたこのスタンダード・ロックンロール・ナンバーもベリーが曲作りに参加。
▶モータウンの設立
白人が牛耳るレコード業界の中、ベリーは自分の収入が仕事に見合ってないと感じ、「ちゃんと利益を得るためには、他人に音源を渡すのはやめ、製造、販売、宣伝すべて自分たちの手でやるしかない」とのスモーキー・ロビンソンの意見に同意し、1960年4月14日、「Motown Record Corporation」を設立し、そこにTamlaも抱合した。
Motownは、デトロイトの別名「Motor Town」を縮めたもの。
  • The Miracles「Shop Around」
    設立から半年も経ないでミリオン・セラー。幸先よいスタートを切った。
▶組織
モータウン・レコード・コーポレーション=レコード会社
  レーベル:Tamla, Motown, Gordy, Soul, V.I.P.,など
ヒッツビルHitsville U.S.A.=レコーディング・スタジオ
ジョーベート音楽出版Jobete Publishing=作家契約、音楽出版管理
インターナショナル・タレント・マネージメントInternational Talent Management Inc.(ITM)=マネージメント
  • The Marvelettes「Please Mr. Postman」
    ビートルズやカーペンターズがカヴァーした名曲のオリジナルは、彼女たちのデビュー・シングル。モータウン初の全米1位になりました。
  • The Miracles
    「You've Really Got a Hold On Me」
    これもビートルズがカヴァー、というよりほとんどコピーだね。スモーキー・ロビンソンの詞曲の才能が光ります。
▶モータウン・レビュー
1962年11月、「モーター・タウン・レビュー」(最初はこう呼んだ)開始。23日間に19の都市の「チトリン・サーキット」と呼ばれた、全国の黒人街にある劇場ネットワークで公演。モータウンのアーティストだけで構成し、人気者で集客し、新人を売るしくみとして考え出した。
▶Holland=Dozier=Holland (H-D-H)
ホーランド兄弟の兄、エディEddieと弟ブライアンBrian、ラモント・ドジャーLamont Dozierの3人による、作詞・作曲・プロデュース・チーム。1962年に結成した。
モータウンは最初から、ヒット作品を作れる作家を重視し、専属で契約した。モータウン黄金時代の形成には、このH-D-Hとスモーキー・ロビンソンという作家たちの能力の高さが大きく貢献している。
しかしH-D-Hは、1968年には、待遇が不満でモータウンを去ってしまう。
  • Martha and the Vandellas「Heat Wave」
    ワクワクするような弾けるビート。これがモータウンらしさ。
  • Mary Wells「My Guy」
    アメリカにビートルズ旋風が吹き荒れた1964年に堂々の1位。大人な歌唱だと思ったけどこのとき20歳。
  • The Supremes「Where Did Our Love Go?
    (愛はどこへ行ったの)」
    いよいよH-D-Hが絶好調。スプリームズの快進撃が始まった。
  • The Supremes
    「Stop! In the Name of Love」
    これが売れなきゃ何が売れるんだってくらいキャッチーな曲だね。
  • The Temptations「My Girl」
    メアリー・ウェルズの「My Guy」へのアンサー・ソング。どちらも詞曲はスモーキー・ロビンソン。
▶モータウン・サウンド
1965年ごろにイメージが確立する。タンブリンが強調するダンス・ビートに乗せたボーカルとコーラスのコール・アンド・レスポンスなどがその特徴である。そのモットーは「KISS (keep it simple, stupid)の原則」だった。
1966年リリースのテンプテーションズ『Greatest Hits』から、”The Sound Of Young America”というキャッチコピーをレコードに印刷する。
▶ファンク・ブラザーズThe Funk Brothers
アール・ヴァン・ダイクEarl Van Dike keyboard
ジェイムズ・ジェマーソンJames Jammerson bass
ベニー・ベンジャミンBenny Benjamin drums(1969年4月20日に死去)
ロバート・ホワイトRobert White guitar
他。
2002年公開の映画『スタンディング・イン・ザ・シャドウズ・オブ・モータウン(邦題、永遠のモータウン)』で注目される。
  • Four Tops
    「Standing In the Shadows Of Love」
    クレジットされなくても常に最適のフレーズを考え、最高のプレイを目指したバッキング・ミュージシャンたち。
  • Four Tops「I Can't Help Myself
    (Sugar Pie Honey Bunch)」
    これぞ典型的なモータウン・サウンド!
  • Four Tops「It's the Same Old Song」
    数時間で曲を作り、曲ができてから一昼夜で1,500枚プレス、ラジオ局に発送したという信じられない職人技の結集。
  • Marvin Gaye & Tammi Terrell
    「Ain't No Mountain High Enough」
    もうひとつの強力作家チーム=アシュフォード&シンプソン、渾身の1曲。いつ聴いても胸がキュンとする名曲&名歌唱です。
  • Diana Ross
    「Ain't No Mountain High Enough」(album version)
    同じ曲のダイアナ・ロス、ソロ・バージョン。こちらは壮大で華麗なアレンジです。
  • The Jackson 5「I'll Be There」
    少年時代のマイケルの伸びやかな歌唱。それにしても上手い。この時11歳ですよ。
  • Gladys Knight & the Pips
    「Neither One Of Us (Wants To Be The First To Say Goodbye)」
    モータウン移籍後ブレイクしたが、なぜかモータウンになじめず、モータウンらしくなかった彼らの、モータウン時代最後のシングル。
  • The Temptations「Papa Was a Rolling Stone」
    モータウンのハウス・プロデューサー、ノーマン・ホィットフィールドがこの野心的で緻密なサウンドをもたらした。黒いブライアン・ウィルソンかな。
  • Marvin Gaye「What's Going On」
    歴史に残る名曲のひとつ。フォー・トップスのメンバー、レナルド・オビー・ベンソンの思いから生まれた歌というところがモータウンらしい。
  • Smokey Robinson & The Miracles
    「The Tears Of A Clown」
    スティービー・ワンダーの曲にスモーキー・ロビンソンが詞をつけて生まれた曲。ミラクルズに初の全米1位をもたらした。
  • Stevie Wonder
    「Don't You Worry 'Bout a Thing」
    この曲を含むアルバム『Innervisions』発売の3日後、スティーヴィーは交通事故に会い、4日間意識不明になる重傷を負う……。
▶モータウンその後
1972年、本社をロサンゼルスに移転。
1983年5月、特別番組「モータウン25 -Yesterday, Today and Tomorrow」(NBC)で、マイケル・ジャクソンが「ムーン・ウォーク」を初めて披露。
1984年、MCAと配給契約を結ぶ。
1988年、MCAおよびボストン・ベンチャーズに買収される。
現在、キャピトル・レコードの子会社として操業している。
  • Commodores「Superman」
    70年代以降モータウンは勢いが衰え、モータウンらしさもなくなっていく。彼らはその最後の花か。
                        
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