【月刊BARKS 浜崎貴司 vs 安藤広一 特別対談 Vol.2】第二期FLYING KIDSが猛スピードで疾走を続けたシーンの土壌

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【月刊BARKS 浜崎貴司 vs 安藤広一 特別対談 Vol.2】
第二期FLYING KIDSが猛スピードで疾走を続けたシーンの土壌

一人のアーティストを深く掘り下げて、その音楽性、個性、与えた影響などを紹介していくこの企画。1990年代に登場し時代の寵児的な存在として音楽界を賑わしたFLYING KIDSの浜崎貴司が登場。そしてその時代を二人三脚で歩んだ元The Roosters(※)のキーボーディストであり、ビクターエンタテインメントのディレクターであった安藤広一に当時の模様を語ってもらった。この組み合わせがどのようなケミストリーを生み出し、そのロック魂を爆発させていったのか。4回連載の第二回目をお届けする。

■ PART2:良き時代の記憶と、FLYING KIDSを生んだシーンの土壌■


第二期FLYING KIDSが猛スピードで疾走を続ける中、プライベートでも親交を深めた浜崎と安藤は、行き先知らずのぶらり旅など様々なエピソードを残しながら強い絆を結んでいく。70年代の古き良き日本の音楽シーンをリアルタイムで知る安藤と、70~80年代パンク、ニューウェーヴの洗礼を受けた浜崎。FLYING KIDSを生んだシーンの土壌が、ロック観の異なる世代の対話の中から浮かび上がってくるのが見えるだろうか?

──シングルヒットが出て、再びFLYING KIDSが軌道に乗り始めた頃は、二人はもうすっかり心を許してるわけですか。

浜崎:そうですね。でもある日、酔っ払って爆発して、変な言い方で「オレのことをいつわかってくれるんだ?」みたいなことをぶつけてこられた時があった。それも青森だったような気がする。青森だと開放感があるのかな(笑)。それで「いやいや、すみません、これからもよろしくお願いします」みたいなこともありました。

安藤:まぁね。こっちもそれなりに、たまるところはたまってるわけだから。

浜崎:でもとにかく飲みましたよ。レコーディングが終わると、夜中だろうが何だろうが、やたら飲んで話をした。旅もしたし。

安藤:一緒に旅行に行ったよね。遊べる土壌がまだあった時代だから、羽田空港に集合して、「北か南か?」みたいなことをやってた。結局、宮崎に行こうということになったんだけど、その時にもう持ってるの。宮崎行きのチケットを。使わなければ破棄できるいろんなチケットが用意してある。

浜崎:トランプみたいに広げて「どれにする?」って。

──いい時代ですねぇ。

安藤:それで宮崎に行って、シーガイアのホテルを押さえて。あの時の居酒屋、おいしかったな。

浜崎:あそこ、こないだ行った。

安藤:あ、そう?

浜崎:こないだツアーで行ったら、「いいとこあるんですよ」って言われて、ついてったら「ここ、あの時の店じゃん」って。和食屋ね。すっげぇうまいの。

安藤:そういうことはよく覚えてる。石垣島も行ったよね。

浜崎:そうそう。オレが態度が悪いみたいで、地元の人に絡まれたりね。釣りに行った時も絡まれた。

安藤:あれは千葉の御宿だ。民宿に行って、魚釣りに行こうと言って…。

浜崎:ちょっと待って。これはあんまり話すことじゃない気がする(笑)。

安藤:そうか。ごめんね(笑)。

──今ではあんまり聞かないですよ。アーティストと制作スタッフがそこまで仲がいいという話は。

浜崎:それがビクターの伝統っぽいところがあるんですよ。わりと家族的な風潮があって、普段からごはん食べに行ったりしてた。今はかなり状況が違うけど、空気的には似てるところがある。上の世代が残っていて、そういう空気を維持してるのかもしれない。ビクターの素敵なところは、そういうアットホームなところです。そういう中で、特にその感じが一番強いのが安藤広一さん。

──わかる気がします(笑)。

浜崎:そのあとFLYING KIDSが解散して、僕がソロでソニーと契約して、一回別の道をたどるんですけど。でもその時も普通に飲んでたよね。

安藤:飲んでた。もう別に怒られないから言ってもいいだろうけど、僕、ソニーのレコーディングも行ってたもんね。

浜崎:そうそうそう。で、ソニーとの契約が終わり、事務所との契約もやめることになり。その時にアンディがSPPEDSTAR MUSICというマネージメント会社を立ち上げていて、僕がそこに入るということで再び合流する。

──ここでちょっと、時代背景の話もしたいんですが。FLYING KIDSが出てきた頃、80年代末のバンドブーム、そして「イカ天」、世の中はバブル期ですけど、日本の音楽シーンはどんな時期だったと思いますか。

安藤:僕の感覚で言うと、70年代には日本にはまだロックがなかったと思う。もちろんあったんだけど、一般的にはまだ見つかっていないという感じ。フラワー・トラヴェリン・バンドもいたし、サンハウスもいたし、ポップス寄りだけど洋楽に負けないバンドとしてゴダイゴが出てきた。でも日本ではまだロックという言い方がピンとこない時代だった。それが80年代になり、70年代にバンドをやっていたミュージシャンがプロデューサーになったり、音楽大好きな人がレコード会社に入ってきたり、音楽出版社にいたり、それが80年代に入って開花し始めたんじゃないかな。セックス・ピストルズやパンクの影響も大きかったと思う。ビートルズやストーンズもわかりやすいけど、セックス・ピストルズのほうがはるかにわかりやすいわけだから。同時にキッスとかがロックを大衆音楽に持ち込んで、ロックが日本にも浸透し始めた。その流れの中から80年代のロックバンドや、「イカ天」とかも出てきたんだと思う。テレビの音楽番組からロックバンドが出てくるなんて、すごいエポックじゃないですか?

──そうですよね。

安藤:それはずっと、アンダーグラウンドで悔しがってた人たちがいっぱいいたからなんです。僕もその一人だっただろうし。僕もバンドでデビューしたけど、売れたという実感なんて一回もない。2万枚売れた時にちょっとうれしかった記憶はあるけど、僕がディレクターになった当時は、2万枚じゃ怒られる数字だから。80年代になって完全に状況が変わったんです。僕が直接関わったのはジュン・スカイ・ウォーカーズの1枚目とか、アンジーとか、バンドブームが来るちょっと前だけど、それでもあの時ジュンスカはキャプテン・レコードで、20万枚ぐらい売れてる。だから、いろんなものが後押ししたんじゃないかな。僕らがバンドをやってた頃は結局陽が当たらず、BOΦWYとかが横からひょいと抜いていくわけだけど(笑)。BOΦWYの存在も、若いバンドの誕生にはすごく貢献してるんじゃないかな。だけど、その前の先輩たちのすごさを知ってほしいと僕は思うんだよね。布袋だって誰だって、憧れるミュージシャンがいたわけだから。

──浜崎さんは、自身がバンドを始めた頃の環境を、どんなふうに見てましたか。

浜崎:サザンとか佐野さんとか、そういう先輩方がいて、でもそれとは全然関係ないものをやるべきだ、という感じでしたね。今売れているものじゃないものを。アンディが言ったみたいに、僕らの世代にはパンクやニューウェーヴの洗礼があって、「変えていく」ということをみんな志してやっていく感じだったから。今ある音楽シーンではなく、自分たちがやりたいことをやって塗り替えていくんだというような発想で、それぞれがやっていたと思います。だからイカ天のバンドを見ても全然バラバラだし、次から次へと本当に個性的なバンドが出てきたでしょう? クオリティは置いといて。というか、クオリティじゃないんだということですね、面白いこと、インパクトがあること、日本を動かしていくような感覚をモチーフにしているバンドがすごく多かったですよね。同世代でデビューして、今もそれなりにやってる人たちは、一緒の感覚を持ってたなという感じがします。

安藤:イカ天を見てすごく思ったのは、確かにみんな個性バラバラで、尖がってるバンドがいたんだけど、やっぱり僕はどこかでルーツが見えないとつまんない。テレビ的に面白いバンドじゃなくて。その中でFLYING KIDSは群を抜いていたんですよ。「なんだこいつら? すごいじゃん」って。パロディみたいなバンドもいる中で、ふてくされた、唇の分厚い男がジャージみたいなのを着て出てきて、キンタマ触わりながら歌うわけだから。「なんだこれ!」って思いますよ。

──ですよね。

安藤:うまい具合に、アメリカのロックを持ってきたなと思ってた。僕らが聴いてたのはイギリスのロックだったから、「こいつらアメリカなんだ」と思ってビックリしたのを覚えてる。だからイカ天の中でも、テレビ向けの人たちと、音楽をずっとやっていく人たちと、ちゃんと線引きがあった気がしますけどね。

浜崎:言葉が大きかったと思うんですよ。日本語の扱いをどうするか?ということを、先輩方を含めてずっとやってきたわけだけど、ずっと「日本語はロックにならない」というフレーズがまかり通っていた時代があったと思うんです。それを桑田さんや佐野さんや、別のところではユーミンや達郎さんみたいな人が、それなりに自分のやり口でクサビを打っていくみたいなことがあって、清志郎さんもそこにいて。言葉をどういうふうに吐くか?というのは、テクニックの問題じゃなくて、何を語るか?という部分が実は大きいことだったんです。単純なラブソングになる歌が多い中で、複雑なテーマ性を言葉でぶつけていくということが、僕がFLYING KIDSをやりながら考えていたことだった。「幸せであるように」もそうで、あれも恋愛ではなく人生観みたいな部分を、語弊があるかもしれないけど宗教的な目線で書こうとしたんですよ。

安藤:オレ、聖書を思いだしたよ。初めて聴いた時。

──ある種のゴスペルですね。

浜崎:そう、ゴスペル的なことを、日本人として解釈していくという切り取り方。それは「我想うゆえに我あり」もそうですけど、「人生って何だろう?」という、広い意味での宗教観を、日本の音楽で僕らは表現していくことがチャレンジだったし、それをひとつの武器にしていったところがあった。それは別に僕らだけじゃなく、ほかにもたとえばユニコーンがいて、『服部』みたいなアルバムを作っていくチャレンジがあったり。それはさっきアンディが言ってた、テレビ的なにぎやかしではない、きちんとした音楽的な深みがあって、そういう新しい切り口をそれぞれが切り拓いていったという気がします。ブルーハーツにしてもそうだったし、みんなそうだったと思いますよ。スカパラみたいなバンドもいましたけどね。でも「提案していく」という角度で言うと、一緒だったと思います。

司会進行・構成●宮本英夫

(※)The Roosters  1979年、北九州市で結成されたブルース色の強いロックバンド。

連載第三回は、【PART3:解散、再結成、そしてソロ最新作『ガチダチ』へ】を後日お届け。1998年、FLYING KIDS解散。浜崎はソロに転じるが、安藤との絆は変わらず続く。やがて安藤の立ち上げたマネージメント会社に浜崎が合流し、二人が再びタッグを組むことになったあと、2007年にはFLYING KIDS再結成が発表された。現在は別の立場から浜崎とFLYING KIDSを見守る安藤から見た、今のバンドの状況、浜崎のソロ活動、そして最新作『ガチダチ』の素晴らしさへと話は続く。

『ガチダチ』
2013年1月30日(水)リリース
VICL-63989 \2,400(tax in)
1.君と僕 / 浜崎貴司×奥田民生
2.デタラメ / 浜崎貴司×斉藤和義
3.セナカアワセ / 浜崎貴司×中村中
4.グローバ・リズム / 浜崎貴司×佐藤タイジ
5.ウィスキー / 浜崎貴司×おおはた雄一
6.ぼくらのX'mas-Song / 浜崎貴司×仲井戸“CHABO”麗市
7.ヒバナ / 浜崎貴司×高木完
8.ゆくえ / 浜崎貴司×曽我部恵一

浜崎貴司 弾き語りツアー<LIFE WORKS LIVE ~Since2011/終わりなきひとり旅>
2013.04.05 (金) 福井県 福井CHOP
[問]福井CHOP TEL 0776-34-3558
[問]FOB TEL 076-232-2424
2013.04.06 (土) 富山県 総曲輪かふぇ 橙
[問]総曲輪かふぇ 橙 TEL 076-482-5986
[問]FOB TEL 076-232-2424
2013.04.07 (日) 石川県 金沢もっきりや
[問]もっきりや TEL 076-231-0096
[問]FOB TEL 076-232-2424


■FLYING KIDSの歴史

1989年3月「平成名物TV・三宅裕司のいかすバンド天国」に出場、5週勝ち抜き初代グランドキングとる。1990年、シングル「幸せであるように」でメジャーデビュー。

ファンクミュージックからポップ路線まで幅広い振れ幅でスマッシュヒットを連発。1990年「幸せであるように」から1997年の「君にシャラララ」まで19枚のシングルと12枚のアルバムをリリース。

1998年2月12日解散。浜崎はソロとして活動を続ける。

2007年8月18日、<RISING SUN ROCK FESTIVAL 2007 in EZO>でオリジナルメンバー6人で再結成。

2009年9月23日、約12年振りのニューアルバム『エヴォリュ-ション』を発売。2011年9月21日、2年振りのアルバム『LIFE WORKS JOURNEY』をリリース。

【FLYING KIDS 作品年表】
●シングル
「幸せであるように」1990年4月4日
「我想うゆえに我あり」1990年8月21日
「心は言葉につつまれて」1990年11月21日
「新しい方々」1991年3月21日
「君だけに愛を」1991年10月21日
「TELEPHONE」1992年8月26日
「君とサザンとポートレート」1992年11月21日
「大きくなったら/虹を輝かせて」1993年8月21日
「恋の瞬間」1993年10月27日
「風の吹き抜ける場所へ」1994年6月22日
「君に告げよう」1994年11月9日
「とまどいの時を越えて」1995年4月24日
「暗闇でキッス ~Kiss in the darkness~」1995年8月23日
「Christmas Lovers/バンバンバン」1995年11月22日
「真夏のブリザード」1996年5月22日
「ディスカバリー」1996年10月28日
「僕であるために」1996年11月25日
「Love & Peanuts」1997年4月23日
「君にシャラララ」1997年9月4日

●アルバム
『続いてゆくのかな』1990年4月21日
『新しき魂の光と道』1990年12月16日
『青春は欲望のカタマリだ!』1991年10月21日
『GOSPEL HOUR』1992年5月21日
『DANCE NUMBER ONE』1992年8月26日
『レモネード』1992年12月16日
『ザ・バイブル』1993年12月16日
『FLYING KIDS』1993年9月22日
『Communication』1994年12月5日
『HOME TOWN』1995年11月1日
『真夜中の革命』1996年11月25日
『Down to Earth』1997年10月22日
『BESTOFTHEFLYINGKIDS』1998年2月11日
『FLYING KIDS NOW! ~THE NEW BEST OF FLYING KIDS~』2004年2月25日
『エヴォリュ-ション』2009年9月23日
『LIFE WORKS JOURNEY』2011年9月21日

【浜崎貴司 作品年表】
●シングル
「ココロの底」1998年12月2日
「どんな気持ちだい?」1999年6月23日
「誰かが誰かに」1999年10月6日
「ダンス☆ナンバー」2004年1月28日
「オリオン通り」2004年8月7日
「スーパーサマー・バイブレーション!!」2005年7月20日
「ラブ・リルカ」2005年9月28日
「Beautiful!!」2007年7月14日
「MERRY~ぬくもりだけを届けて」2007年10月24日
「モノクローム/オリオン通り」2008年2月20日

●アルバム
『新呼吸』1999年11月20日
『俺はまたいつかいなくなるから』2001年6月2日
『AIと身体のSWING』2002年3月27日
『2002』2002年12月8日
『トワイライト』2003年9月29日
『発情』2004年2月25日
『1』2008年3月26日
『NAKED』2010年9月29日
『ガチダチ』2013年1月30日

◆【月刊BARKS 浜崎貴司 vs 安藤広一 特別対談 Vol.1】FLYING KIDSで知る日本ポップスの潮流
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